カモマイルの悪魔 | ナノ


「お兄さんでもないの?ただの社員?キミみたいな人がなんでこんなところにいるんだ?」

見合い相手である季楽社長の息子は、幸村が軽く自己紹介をするや否やこう言い放った。潤は顔が引きつりそうになった。幸村との笑顔の攻防で毎日表情筋を鍛えていたからよかったものの、そうでなければ変な顔をしてしまっていたに違いない。家族でもない幸村が見合いの席にいるのは確かにおかしな話だが、それにしても不躾な発言だった。潤は斜め後ろに座っている幸村の気配を探ろうとした。幸村は動じてなさそうだったが、しかしいい気分であるはずがない。
社長の息子は艶やかに黒光りする座敷机の向こう側で馬鹿にしたように鼻を鳴らしている。潤が内心むっとして返事に詰まっていると、潤の隣に座っていた白岩社長が口を挟んだ。

「幸村が受け持った案件に季楽社長が興味をお持ちになってね。良い機会だから紹介をするために私が連れて来たのだ。すまないね」
「こら、こら。そのくらいにしておきなさい」

白岩社長の向かい、息子の隣に座っている季楽社長は鷹揚に笑いながら息子をたしなめた。当の本人は肩をすくめてみせただけだった。潤はなんとか笑顔をキープしていたがムカついて仕方がなかった。そっちが幸村に会いたがったくせに失礼なことを言うし、季楽社長も笑うばかりでちゃんと謝罪する気もない。大事にするほどのことではないし幸村も気にした風ではないが、それにしても腹が立つ。ちゃぶ台返しをしてやりたい。

潤が押し黙っていると両家の準備が整ったと思ったのか、世話人の堂本さんが両人を紹介しはじめた。お座敷から見える日本庭園は瑞々しい若葉や花で彩られ、遠くからは鹿威しがコンと鳴る音が聞こえてくる。

「お父上である季楽社長は、帝都大学の経済学部を主席で卒業、そのままKRKの次期幹部として入社されました。学生時代はラグビー部の主将を務め、人望も厚く部を全国大会へ導き……」

愛想良く話を聞いていた潤だったが、30分もしないうちに見合いを受けたことを心から後悔した。お見合いなのだからお互いの紹介がされて会話をするものだとばかり思っていたが、紹介されているのは自分たちの両親のことばかりだ。どれだけ優秀で人望があって見た目もよくて素晴らしいのかということが事実よりも5割り増しで語られている。見合いなのだからお世辞を言われるのは仕方ないにしても、肝心な見合い相手がどんな人間なのかがさっぱり分からない。分かるのは季楽社長やその奥さんが素晴らしい人らしいということだけだ。
潤は季楽社長に振られた話をそつなく受けつつ、ため息をついた。仕方ないこと、なのかもしれない。潤は社長令嬢という身分はあるものの、ただそれだけだ。仕事ができるわけでも特技があるわけでもない。趣味でさえも曖昧である。白岩社長や幸村とは違って、特別な能力も持たない一学生であり、まだ何者でもないのだ。持ち上げて紹介しようにも紹介することがあまりない。
潤は自分の正面でへらへら笑う社長の息子をさりげなく観察した。さっきの台詞といい、あまり気遣いが出来る人間だとは思えない。彼はもう社会人ではあるけれど、もしかしたら潤と同じでまだ何者でもないのかもしれない。


***


「キミがオレと結婚したら一生安泰だよ。なんせKRKの次期社長だしね」
「ええ」

堂本に「ではそろそろお二人で」と送り出され、社長の息子と庭を散歩しながら会話することになって今に至る。当たり障りのない返事をしているが、潤はイライラが頂点に達しそうになっていた。履き慣れない草履に着物、隣にはこの男。せっかくの日本庭園もこれじゃ楽しくない、と潤は心の中で文句を言った。
彼は野心にまみれたタイプでも悪意の塊というタイプでもなかったが、悪気なく偉そうだった。白岩家で偉いのは両親であって、決して自分が偉いわけではないと常々潤は自覚していたけれど、それでも見下されるのは不愉快なものだ。

「キミのところは家柄が微妙だよねー、白岩カンパニーは伝統ある会社じゃないし。でも今は大会社だからね。オレの周りはキミみたいな人と結婚することにいろいろ文句を言うかもしれないけれどオレは気にしないよ」
「そうですか、ありがとうございます」

この上から目線である。潤は拳を握った。へらへらと笑いながら錦鯉の泳ぐ池をのぞき込む息子の背中を思いっきり押してやりたい。……事故に見せかけてやってみるか?いや見られてたらまずいし我慢我慢。
無駄に高そうなスーツの背中を見て潤は跡部のことを思い出した。跡部も社長の息子にして俺様で偉そうであるけれど、跡部の態度に苛立ちを覚えたことは一度もない。自分が偉いと思っているところはこの目の前のアホと一緒でも、跡部は気遣いができる人だし優しいからかもしれない。自信を露にすることはあっても周りをむやみに見下すこともない。
潤は腕時計を見たが、二人で話し始めてから5分ほどしか経っていない。もう話もしたくないがまだ切り上げるわけにはいかない。潤は適当にお世辞を言ってさりげなく話をそらすことにした。

「季楽さんは女性に人気がありそうですね」
「あっはっは、分かる?そうなんだよねー、当然だけどね」
「好きな人はいないんですか」
「なかなかオレの眼鏡にかなうイイ女がいなくってね!まあ、キミは少なくとも最低合格ラインは超えてるから喜んでくれていいよ」
「……ありがとうございますうれしいです」

彼は本気で言っているらしく満面の笑みを浮かべている。結局見下し発言は止まらず、さりげなく話を変える作戦は失敗したらしい。
潤は目眩がした。このままずっと見下され続けるのも腹立たしい。いや、もう腹立たしいのも通り越して呆れているけれども良い気分ではない。潤は気分が悪くなって、髪を払うふりをしてさりげなくそっぽを向いた。
潤が今いるのは都内のとあるホテルの一角だったが、そこは小高い丘になっていて、庭からは周りを見渡すことができた。潤が見とれたふりをして景色を見ていると、彼は潤の隣に立ってほら、とある一点をさした。

「テニスコートがあるだろ、あれもこのホテルの施設の一つなんだ。オレはテニスが趣味でね、叔父が季楽泰造選手なんだけどね、相手をしてもらうこともあるんだ。結構オレ強いんだぜ?」

潤は熱心に聞くふりをした。見下されるよりはただの自慢話の方がマシだ。そうしていると彼はふと気がついたかのように潤に尋ねた。

「そういえばキミもテニスするんだっけ?」
「ええ、でも少したしなんだことがある程度なんです。周りにテニスをしている人が多いので、これからもっとしてみようかなと思っているところで」

テニスがご自慢らしい彼に会わせて適当なことを言うと、彼は珍しく潤の台詞に興味を示した。

「へえ、そうなんだ。白岩社長もするの?珍しいね、あれくらいの年の人だとゴルフが多いのに」
「ゴルフもしているみたいですけれど、テニスは確か幸村に教えてもらったって」
「ああ、そういえばあの幸村?って住み込みで働いてるんだってね」

彼は再び鼻を鳴らすと、嫌みったらしく言った。

「オレ、なんだかあの幸村ってヤツ気にくわないんだよね。すかした顔しちゃってさ。うちの親父が興味を示したらしいけど、そんな優れた人間にも見えないし」

潤は腸が煮えくりかえった。潤だって幸村のことは好きではない、だがこんな男に見下されていいような人間でもない。曲がりなりにも白岩カンパニーの社員であり、父の信頼する白岩家の執事なのだ。それを気にくわないというただそれだけの理由で侮辱するなど無礼にもほどがある。

「社長に指南できるってことは、幸村って人はテニス上手いの?それなりに?」
「……らしいです」
「ふーん、それなら手合わせしてもらおうかなあ?季楽選手は忙しいし、従兄弟もテニスやってんだけど汗かくのが嫌いとか言ってあんまり相手してくんないんだよね」
「えっ、でもラケットとか」
「ここのホテルは一式かしてくれるし大丈夫だよ。ま、オレ強いから幸村くんがちょっと可哀想だけど?かっこいいとこキミに見せてあげるよ」

じゃあ早速誘いにいこうか、と上機嫌な彼はさっさと座敷に向けて歩いていった。
幸村は一体どう言うだろう。不機嫌をストレートに表すことはないだろうが、潤は慌てて先へ行く彼を追いかけた。


***


「いいよ、幸村くん行っておいで」
「はっはっは、すみませんねえ、うちの息子が」

社長二人は話が盛り上がっているのか、やたらと上機嫌でにこにことしていた。幸村に上から目線で勝負を挑んだ見合い相手の行動に潤ははらはらしたが、幸村は案外彼の言葉を気にしていないようで、あっさりと腰を上げた。

「わかりました。『私なんか』がちゃんと相手になれば良いのですが」
「手加減してあげるからさ、全力で打ってきていいよ?」
「ありがとうございます」

相変わらずの上から目線に潤は内心、一層腹を立てた。当の幸村は笑っている。きっと相手からはただ笑っているようにしか見えないに違いないが、付き合いの長い潤からは作り笑いであることが丸見えだった。しかし、何を考えているかは相変わらずよく分からない。
潤は廊下へ出た幸村に小さく声をかけた。彼は足を止めて振り返る。

「幸村」
「なんでしょう?」

人の良さそうな、しかし本心は伴わない笑み。潤にとってそういう笑みは普段は気持ち悪く感じるもので、幸村の作り笑いにはマイナスのしか評価できない。しかし今の潤にとっては、幸村に抱く反発や気持ち悪さよりも見合い相手に対する腹立たしさの方が上だった。

「絶対、負けないでね」

見合い相手には聞こえないように小さな声で、でも幸村の目をしっかりと見据えてはっきり言う。幸村の強さは分からなかったけれどもあんな男に負けて欲しくはない。それに、いくら彼が強くても負けない気もする。

幸村は目を軽く開いて、珍しく驚いたような顔をした。そしてふっと息を吐くように笑うと、再び見合い相手を追って歩き出した。

潤は息をのんだ。久しぶりに自分に向けられた、幸村の本物の笑顔。誰かに向けられた笑みでもなく、正面から自分に向けられた笑顔。
すこしドキリとしたが、潤は頭をふって、二人の後を追いかけた。


(20131119)

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