カモマイルの悪魔 | ナノ


スマホの向こうで跡部がふっと息を吐くように笑った気配がした。
潤はスマホを耳に押し当てたまま、ベッドの上でごろんと寝返りを打った。服は皺になりそうだが、あまりにもふわふわとした良い気分だったので気にならなかった。お酒が回って体がほかほかする。

「もしかして、美波と樺地先輩の件ですか?」
「ああ」

跡部主催のパーティーに出席して以降、潤はダブルデートを実現させるべく、跡部とメールを話し合いを続けていた。
それもこれも美波と樺地のためである。パーティーでの二人は案の定、メアドの交換もしないまま別れてしまったらしい。潤が美波に尋ねたところ、どうやら二人は話に夢中になりすぎてメアドを交換することさえ思いつかなかった、ということだった。
その後、潤は跡部経由で聞いた樺地のアドレスを美波に渡していたが、二人は遠慮しすぎてメールを全くしていないようだった。

「聞いてくださいよー跡部先輩!今日も美波に『樺地さんにメールしてみたら?お花がきれいですね、みたいな内容でもいいじゃん』って説得したんですけど。やっぱりあの子、遠慮しちゃって」
「それなら別のやり方で背中を押すしかねえな」
「樺地先輩から美波にメールをしてもらうのは難しいですか?」
「結果論だが俺様の客人に手を出すことになる、だから樺地は自分から積極的に動こうとはしえねだろう」
「そんなこと気にしなくていいのに」

樺地は少しでも跡部に悪影響がないようにと配慮しているようだった。本当に真面目な人だ、と潤は思った。だからこそ信用できる。
美波は華やかで明るく、社交的だ。だが実際はかなり懐疑的かつ慎重な性格で、人と知り合っても簡単に心を開くことがない。その代わり、とても誠実である。潤は美波の性格を思い返し、だからこそ樺地とはぴったりだ、と再確認した。

「あいつらの関係がもう少し進展してから、と思ったがそれは期待できねえ。そこでだ」
「いきなりデートですか?」
「ああ」
「わあ、本当ですか!それなら頑張らないと。あの子遠慮ばっかりで、どうやって美波を口説き落とそう……」
「俺様と潤がデートをしたい、だがいきなり二人っきりは気まずいから来い、と言えばいいだろう」
「それいいですね、使わせていただきます」

また跡部がククッと笑う声が聞こえてきた。今日は跡部も機嫌がいいらしい。潤は美波にこの話をしたらどんな反応をするだろうかと想像し、愉快な気分になった。

「日にちは……そうだな、潤、再来週の土曜日は空いてるか?」
「私は大丈夫です。美波には聞いてみないと分かりませんが、たぶん大丈夫なんじゃないかな。それで、行き先は」
「東京アトベランドはどうだ」
「アトベランド!素敵!」

潤は思わず小さく叫んだ。遊園地がいいと以前パーティーで話はしたが、東京アトベランドに行けるとは思ってもいなかった。
アトベランドは東京湾に面する巨大な遊園地で、その名称の通り跡部財閥が所有している。夢の王国とも言われるアトベランドには数々のアトラクションがあるだけではなく、人気キャラクターによるパレードやステージ、値段以上においしいと評判のレストランなど楽しみがたくさんあって、1日中居ても飽きない。
ただ一つ問題があるとすれば人気がありすぎて混雑が激しいことだ。それゆえ休日には入場制限がかかることがある。

「あ、でも入れますかね?休日だから混むんじゃ」
「お前、俺様を何だとおもってやがる」

やたら自信満々な台詞に、潤は忍足から聞いたとある台詞を思い出し凍り付いた。そういえば跡部先輩は跡部財閥の御曹司である。

──跡部な、前に女の子と初めてデートするとき、気合い入れすぎてオペラを貸し切りで見たんやで。

自分たちが所有していない劇場まで貸し切りにしちゃうくらいだったら、アトベランドを貸し切りにするくらいできそうではないか。人が全くいない遊園地で4人など、静かすぎて嬉しいどころか逆に恐怖である。

「ま、ま、まさか!貸し切りじゃないですよね!?」
「アーン?貸し切りの方が良かったか?」
「いえいえいえとんでもないです。違うならよかった」

潤はほっと胸をなで下ろした。さすがに分かってくれていたようだ。

「心配するな、プラチナパスを4人分確保してある」
「プラチナパス!?」

プラチナパス。幻の入場パスであるそれは、持っていれば並ばずにアトラクションに乗れるなどの特別待遇を受けられる……らしい。イギリスから来日した大女優がそのチケットを使っただとかアラブの王様はそれを持っているらしいとか、噂だけはまことしやかに囁かれていた。だが表沙汰になったことは一度もなく、潤はプラチナパスはただの噂で実在するとは夢にも思っていなかった。

「プラチナパスって本当に存在したんですか!あの、並ばなくてもいいって噂の?」
「そうだ。跡部家が特別に招待した者にだけ、たまに発行することがある」
「都市伝説じゃなかったんですね……。どうしよう、本当にありがとうございます!私はおまけですけどそれでもアトベランドに行けるなんて嬉しいです!」
「それは違うぜ、アーン?」

笑いを含んだ自信満々な跡部の声は、突然真剣味を帯びた。
潤は跡部の変化に一瞬ドキッとして口を閉じた。何か失礼なことを言ったかと思ったが、そういうわけではなさそうだった。ふわふわと浮かれて上昇してた気分が急にしぼんでいった。後に残ったのは正体不明の空虚感だ。
携帯を持ち直して耳を傾けると、語りかけるように跡部が話し出した。

「お前はおまけじゃねえ。勘違いするな」
「え?」
「俺様が言ったことを忘れたか」
「何のことです?」
「『ここにいるのは、お前に会うためだ』」

潤は絶句した。忘れていたわけではない。むしろはっきりと覚えている。初めて会ったときに言われた台詞だ。どんな意味なのだろう、とずっと考えていた。だが次にパーティーで会った跡部はそんな思わせぶりな台詞を吐かなかったから、ただの気まぐれな言葉だったのだろうと思っていた。
しかし跡部は今、改めてはっきりと同じ言葉を囁いた。真意を確かめねばと思っても言葉が出てこなかった。

「俺様は本気だと言っただろうが。本気で樺地と高原美波のためだけにデートに誘ったと思ったのか?」

黙っていると電話の向こうから苦笑する声が聞こえた。
潤にはなぜか、その跡部の声色に寂しさが含まれているように思えた。それに伴って、パーティーのときに跡部が寂しそうな顔をしたように見えたことをも思い出す。
わからない。わからない。人のことも、自分のことでさえ。

「俺様は樺地のためであっても、好きでもねえ女とデートする気はねえよ」
「跡部先輩」

直感だった。だが跡部からそう言われても、潤にはなぜか跡部が本気で潤を好いているようには思えなかった。本当に勘もいいところだ。だが彼の声色には恋の情熱が秘められているようにも思えなくて、むしろ渇望だとか寂寥だとか、そういった気持ちがこもっているように聞こえた。

「跡部、先輩」
「なんだ」

そして潤には、その跡部の気持ちは今の自分の気持ちと似ているのではないかと思えてならなかった。跡部と潤の境遇はだいぶ異なる。持っているものも、できることも、何もかも。それでも、自分が今薄暗い部屋で一人、何とも整理できない感情を抱えているように、跡部もまた一人で何かを抱えているのではないか。

「先輩。私、なんだか、寂しいんです」

そんな話をするつもりではなかったのだ。だが口を開いたとたん、自然と潤の口からそんな言葉が転がり落ちた。思わず言ってしまっただけなのに、訂正する気にはならなかった。聞いてほしい、と潤は思った。
跡部は少し黙ってから、静かに聞いた。

「何かあったのか」
「何も。何もないと、言うべきなんだと思うんですけど」

潤はまた寝返りをうって、携帯を握りしめたまま頭をのけぞらせて窓からを見上げた。薄いレースのカーテンの隙間から、満月が少し欠けたような明るい月がくっきりと濃紺の闇に浮かんでいるのが見えた。
子供のころに見ていた月と今の月は全く変わらないというのに、見上げたときの気持ちは全く違う。何を間違えたのだろう。いつの間にか、こうなってしまった。


(20140317)

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東京アトベランドのモデルは、もちろん舞浜にある某ランドであります。某ランドがテニプリ界にあったら東京アトベランドか東京サカキランドになってる気がするんだ。

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