カモマイルの悪魔 | ナノ


お嬢ちゃん、という忍足の声で潤は我に還った。忍足と鳳が心配そうにこちらを見ているのに気がつく。あぶない、と内心汗を流して潤は二人に笑顔を返した。
完全に意識を跡部先輩の演説にもっていかれていた。中学時代、噂に聞いていた跡部の演説の様子を想像したり友達と推理したりしていたが、本物のは想像を絶するインパクトだった。パーティー前に二人で話をしていたときは会場が薄暗く、また会話に集中していたせいで気がつかなかったが、今日の跡部の服装はこれまた想像を絶する派手さだった。

「あのー、跡部先輩のあの服、趣味なんでしょうか?」
「せやな。昔から私服はあんなもんやったし」
「あの服は跡部さんくらいしか似合いませんよね」

前回のパーティーでは跡部は派手めではあるものの標準の範囲内のタキシードを着ていた。ところが今日の服装は、一言で表現するとフリフリである。絹のシャツの首元からフリルが滝のように下へ流れて、袖にもふんだんにレースがあしらわれている。確かに鳳の言うとおり、普通の人には絶対に似合わない服である。

「それで話戻すけど、そのデートっちゅうのは樺地とあっちのお嬢ちゃんのためなんか」
「そうです、あの子……高原美波というのですけれど、私の友達なんです。あの二人はすごくお似合いだから背中を押そうって話になりまして」
「ふんふん、なるほどなあ」
「跡部さんとの話し合いで、そのデートの相談はどこまで進んだんだい」

パーティーは開会式も終わり、人の話し声や物音、音楽でざわめいている。潤たちは未だに会場の真ん中にいるが、跡部がここにいないこともあってさして目立ってはいない。潤は樺地と美波が熱心に話し込んでいるのを遠目で見守りながら返事を口にした。

「残念ながらほとんど進んでいません。でも、樺地さんと美波にいきなり二人っきりのデートをさせるのはたぶん難しいから、跡部さんと一緒にダブルデートがいいのではないかという結論になりました」
「それはいいね。……でも樺地と高原さんと跡部さんと跡部さんの彼女でデートをするなら、高原さんにとってはアウェーになってしまわないかな」
「えっ。跡部さんの彼女じゃなくて私と跡部さんが、という話だったんですが」

鳳の質問に驚いて、潤は小さく、しかしほとんど叫ぶように答えた。跡部に彼女がいるという話は聞いていない。紹介もされていない。潤の返事を聞いた忍足と鳳は顔を見合わせた。

「それは変やな。跡部はあれでも一途やさかい……」

彼は困惑したように眉を寄せて曖昧ないい方をした。

「そうですね。でも、そもそも跡部さんあの子と付き合っているわけじゃないんでしたっけ」
「ああ、まあそうやなあ」

潤は焦ってあたりを見渡した。跡部先輩と親密な女の子?どこにいるのだろう。
潤と跡部の間に恋心はないといえど、目の前で好きな人と見知らぬ女がデートの約束をしていたら嫌な気持ちになるに違いない。

「そうだったんですか!?どの方なんですか?」
「彼女予定って感じやけど。……あれ?そういやあの子おらへんなあ」
「うーん、確かに見えませんね。いつもは一緒にいるのに」

いつもは一緒にいる?潤は記憶をたどったが、少なくとも前回のパーティーでは「彼といつも一緒にいる女の子」なんてどこにもいなかった。いたとしたら潤と顔を合わせていたはずだ。
忍足は眉間に皺を寄せると、周りに聞こえないような小声で潤に話しかけた。

「跡部、あの子と上手くいかんかったんかなあ。仲むつまじそうやったのに。お嬢ちゃん、なんか聞いてへん?」
「私、そういう相手がいるという話さえ聞いてなくて。そもそも知り合ったばかりですし、直接会うのは今日がまだ二回目で」

潤は口に手を当てて考え込んだ。出会ったときに跡部が言っていたこと、今日跡部が言っていたこと。しかしどこにも跡部の恋人に繋がるヒントはないように思えた。むしろ彼は「お前に会うためにパーティーへ来た」だなんて、勘違いしそうなほど思わせぶりな台詞を吐いている。跡部が本当に一途だというのなら、好きな相手が身近にいるのにそんな言葉を言うとも思えない。

「そうだった、知り合ったばかりなんだよね。さっき跡部さんとメアド交換してたみたいだし。知り合ったばかりにしてはうち解けてるね」
「それも不思議やな。跡部がまだよく知らん子とわざわざ手ぇ組んで樺地のために動こうっちゅう気になるなんて」
「気が合ったんじゃないですか、忍足さん。ね、どうなんだい」
「そんなに合っているとも思えないです。あの跡部さんの服装を見るに」
「そ、そらあの服装と気が合う人はそうそうおらんで」

その時、お飲み物はいかがですか、と背後から潤に声がかかった。振り向くと自分と同じくらいの年の若いメイドがグラスの沢山乗ったお盆を片手ににこにこ笑いながら立っている。潤はパーティーが始まってからというもの、グラスの一つも手にしていない。

「ありがとう。じゃあ赤ワインを頂けますか」
「こちらになります」
「ありがとう」

潤はグラスを受け取ろうと相手の顔を見て、そこでようやく彼女が前回のパーティーで幸村が話しかけていたメイドだということに気がついた。

幸村はずいぶん熱心に何事かを尋ねていたようだけれど、この子のことも気に入ったのだろうか。

「忍足様と鳳様はいかがですか」
「俺も赤ワインいただくわ。……お嬢ちゃん、去年の夏に俺らでリゾートに泊まってテニス大会したときに世話してくれた子のうちの一人やな」
「ああ!洗濯とかをしてくれたのは君だったね。ありがとう。俺も同じく赤ワインで」
「いいえ、私も楽しませていただきました。こちらになります」
「おおきに。お嬢ちゃん、相変わらず足綺麗やなあ」

忍足の台詞はセクハラではないかと密かに潤は思ったが、メイドは慣れているのかにこやかに返事をしている。潤はついさりげなく相手の様子を観察した。
思えば、自分が初めて見た、そして自分を叩いた例の彼女以外で幸村がたぶらかした女の子はみんなメイドだな。こういうしっかりしていて、でも主人を立ててくれる主張しないタイプが好みなんだろうか。そんなことを考えているうちに潤はメイドの様子に既視感を覚えた。

前回のパーティーじゃない、もっと別の日に、この子を見たことがある気がする。

「あの、いきなりすみません、私と以前会ったことがありませんか?」
「白岩潤様でいらっしゃいますね。この前の跡部財閥のパーティーでも私は給仕しておりましたので、その時ではございませんか」
「うん、その時もなんだけれど、もっと別の時に」

メイドは困ったような顔をして口ごもったので、潤は慌てて手を振った。不確かな記憶で困惑させてしまった。

「いえ、きっと気のせいね。ごめんなさい」
「いいえ、とんでもございません」

メイドはまた笑顔を浮かべると、隣に立っているグループにサービスを始めた。
潤は首をひねった。なんだろう。自分の勘違いなのか、それとも会ったのはずっと昔のことなのか。

「白岩さん、彼女に会ったってことよく覚えてるね。跡部さんのうちには使用人がいっぱいいるから、顔を覚えるのは難しくないかい」
「お嬢ちゃん顔覚えるの得意なんか?」
「いいえ、前のパーティーの時に幸村が……あ、うちの執事なんですけど」

鳳が目を見開いて首を傾けた。

「幸村?もしかしなくても幸村精市さん?」
「えっ、鳳さんもお知り合いなんですか!?」

ぎょっとして潤は目をむくが、一方の忍足はうんうんと納得したように頷く。

「そうか、幸村は白岩家で働いとるって話聞いてたわ。幸村、有名人やさかいな」
「へっ、それは業界の人という意味で……?」
「ちゃうちゃう。そっちの意味でも有名やけど、俺らの世代の最強のテニスプレイヤーの一人やったんやで、幸村は」
「ええっ!!」

潤の反応を見て、忍足は不思議そうに言葉を重ねた。

「なんや知らんかったんかいな。『神の子』なんて二つ名もあったくらいや」
「神の子……」

潤は絶句した。実感がない上に予想以上に二つ名が神々しく、むしろ大げさにさえ思える。確かに幸村はスポーツも万能と聞いたけれど、でもあの女たらしが神の子だなんて、ずいぶん好色な神様だな、と潤は頭の片隅で考える。

「イタリア人ばかりなんですか、テニスプレーヤーは」

思わず本音が漏れる。潤の言葉にきょとんとした鳳の隣で、忍足は眼鏡を押し上げた。

「なんや女性を気軽に口説きまくるっちゅう意味かいな」
「だ、だって!幸村もそうだし、跡部さんも千石さんも!忍足さんだってさっき足が綺麗だねって」
「千石清純とも知り合いか?また懐かしい名前を聞いたわ」

感慨にふけっている忍足を見下ろしながら、鳳は「俺は口説き文句をすぐ口にしたりなんてしませんよ!」と小声で抗議していた。


(20131013)

[back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -