カモマイルの悪魔 | ナノ


「ところで跡部先輩。デートって一体何をするものなのですか?」

潤は首をかしげて素直に尋ねた。誰かと付き合った経験はもとより、デートなぞしたことがない。跡部は呆れたように口をつぐんだ。彼は腕組みをすると偉そうに眉を寄せて考えるようなそぶりをした。

「……そりゃ、デートと言えばオペラが定番だろうが」
「ど、どこの貴族ですか……。とても素敵ですが、オペラは気合いが入りすぎではないですか?最初なのでもうちょっと気軽なものがいいのでは」

潤は考え込んだ。美波が好きそうなところ。どこだろう。カラオケならよく美波と一緒にいくけれど、樺地さんとのデートでカラオケというのも落ち着かない気がする。だからといってオペラだとさすがに力が入りすぎで萎縮してしまいそうだ。
跡部を見上げると、彼は驚いたような顔で潤を見つめていた。そのことに逆に潤も驚く。

「跡部先輩、いかがなされました?」
「……なんでもねえよ。昔俺にお前と同じことを言ったやつのことを思い出しただけだ」
「そうですか」

いつもなら相手の目を正面からはっきりと見つめる跡部の瞳に、しかし今日はわずかに反らされた碧眼に潤はどきっとした。深みを帯びた青が妙に寂しそうに、悲しそうに見えた。この人はこんな顔もするのか。いつも自信満々というわけではなかったのか。そう思う間もなく、跡部はいつもの表情に戻ってしまった。
潤は慌てて取り繕った。

「そ、それにですね!美波は跡部先輩と違って普通の人なのでもうちょっとこう、そのあたりの配慮をですね!」
「あーん、配慮だと?……ふっ、そうだな、キングな俺様が普通であるわけがねえ!仕方ねえことだな!よく分かってるじゃねえか、ハッハッハッハ!」
「そ、そうですよね」

潤は仕方なく曖昧な笑いを浮かべた。分からん。この人、分からん!褒めたつもりはなかったのだが何がツボに入ったのやら、突然機嫌良く鼻歌まで歌い始めた。しかも話がそれている。
彼は満面の笑みを浮かべて前髪をかきあげた。その瞬間、ホールの端からこちらを伺っていたらしき女性達の黄色い歓声があがる。さらに彼は右手を上にかかげ、ぱちんと指を鳴らした。その瞬間、さっきより多くの女性達から「キャー跡部さまー!」という大歓声がわき起こった。
潤はきょろきょろとあたりを見回し、絶句した。なにこれ。まるでアイドルの舞台のようである。

「相変わらず派手やなあ、跡部」

突然、右側から低くて色気のある声が聞こえてきた。潤が振り返ると思ったより近くに男が二人立っていた。一人は長めの黒髪に丸めがねをかけていて、もう一人は長身で色素が薄く白っぽい髪をしていた。
潤は二人に見覚えがあった。氷帝の先輩。中等部のときにテニス部のレギュラーだったはずだ。跡部先輩がテニス部部長をしていたときに一緒に氷帝を率いていた人達だ。前に跡部さんが来たときに、この人たちも一緒に来ていた。
白い男が跡部ににっこりと笑いかけた。

「こんにちは、跡部さん。お元気そうで何よりです」
「よく来たな!ちょうどいい、紹介するぜ。潤、こいつらは」
「忍足先輩と鳳先輩ですよね?」

潤に名前を言い当てられた二人は驚いて潤をまじまじと見つめた。忍足は首をひねると優しい声で問いかけた。

「知り合い……とちゃうな。俺らのこと知ってるんか?」
「私、氷帝出身なんです。私が中等部にいたころに、跡部先輩と一緒に学校にいらっしゃってましたよね」
「ああ!なつかしいな。その時に君もいたんだね」
「そうなんです」
「そういうことだ。忍足、鳳。こいつの名前は白岩潤だ」
「よろしくお願いします」

潤が軽く頭を下げると、忍足は目元をやわらかくして「よろしゅうな」とかすかに微笑み、鳳は「よろしくね」とくったくなく笑う。その様子に潤はほっとして、同時にここでは白岩の名前はあまり深い意味をなさないのだということに気がついた。
なんせ主催者が超一級の家柄と財力を誇る跡部家の跡継ぎなのだ。ただの成金などこの場にはたくさんいるだろうし、いくら今飛ぶ鳥落とす勢いの白岩家といえど、跡部財閥と比べれば月とすっぽんだ。自分の家が何の意味もないということが、こんなにも楽だ。潤は肩の力が抜けて自分が安心するのを感じた。

「潤。俺はそろそろ開会式の準備がある。デートのことはこいつらと相談しておけ」
「えっ、いいんですか」
「構わねえだろ。じゃあ……おっと、その前に携帯出せ。俺様の連絡先だ」
「はい、ありがとうございます」

アドレスを交換すると跡部はさっそうとステージの方へ去っていった。後ろを向いたまま肩越しにこちらに手をあげてみせる、その何気ない仕草でさえも完璧に格好いい。そう思ったのは潤だけではなかったらしく、周囲からはまたきゃあきゃあという高い歓声が聞こえた。ぼうっと彼の後ろ姿を見ている潤に、鳳がおそるおそる声をかけた。

「白岩さん、跡部さんとどういう関係なんだい?」
「はっ?」
「ほら、デートの相談って言うから」
「恋人、なわけないな。今アドレス聞いとったし」
「確かにそうですね。しかし、あの跡部さんが女性に自分からアドレス渡すなんて珍しくないですか?忍足さん」
「それもそうやな。もしかして知り合ったばっかりやけど意気投合して仲良く、ってやつか?」
「そういえば樺地がいませんね」
「樺地のやつ、気を利かせて席を外したってことかいな」

忍足先輩はからかうように言う。潤は二人の会話で自分がいる状況にようやく気がついて、絶句した。ホールのど真ん中で、跡部先輩と二人で熱心に小声で話し込み、しかも話の内容がデート。恋人だと勘違いされてもおかしくはない。潤は慌ててきょろきょろと周りを見回したが、幸いなことに忍足と鳳以外はあまり人がいなかった。

「違います!」
「ははは。それで、デートの相談っていうのはどういうことなんだい?」
「それは……あ、いた。鳳先輩、忍足先輩。あれを見てください」

潤は手のひらを返してホールの片隅をさした。ここからだと距離が離れているが、ホールにいる人の集団から一つ頭が抜けている樺地の頭だけははっきりと見て取れる。

「なんや、樺地やん。珍しいな、あんなところで跡部からも離れて何をしてるんや」
「あれ?樺地、もしかして女性と話してる?」
「なんやて!?」
「そうなんです」

おもむろに潤が頷くと、二人はあたかも「知ってるのか!?」と言わんばかりに一斉に潤の方へ振り向いた。

「どういうことや。今ちらっと顔見えたけどえらい美人さんやったで!?」
「しかもずっと話し込んでいるようだし、白岩さん何か知ってるのかい」
「実はそのことなんです。さっき跡部先輩が言っていた『デートの相談』にも絡むのですが」

潤が手短に樺地と美波のことを説明すると、鳳は驚いて目を丸くし、忍足はニヤニヤと唇をゆるませた。

「へえ、樺地が、そうだったんだ。確かにそれは珍しいね」
「ほおーう、やるやん樺地。あんなべっぴんさんをなあ」

突然、ホールの電気がぱっと消えた。あたりが真っ暗になって人がざわめく。数拍ののち、天井のあらゆる場所から七色の光の筋が伸び、その光はクラブのようにあたりを目まぐるしくかけめぐったかと思うとステージの中央、マイクが置いてある場所に落ち着く。そのど真ん中、光の色が混ざって輝かんばかりの白の光に照らされたそこに泰然と歩いていったのは、予想通り跡部だった。
一瞬あたりが静まりかえったかと思うと、今度は割れんばかりの大歓声が立ちこめた。

キャー!跡部様ー!!
こっち向いてー!
素敵ー、跡部様ー!

ほとんどが女性の声だったが、それに混じって口笛をピーピー鳴らしたり歓声を上げている男性もいる。
潤は再びあっけに取られて、間抜けにもぽかんと口をあけた。なんじゃこりゃ。個人パーティーってこんなものなの?いやそうじゃない、問題はそうじゃなくて、あの硬派でダンディな跡部会長の息子がまるで、まるでアイドルのような、「俺様をしかと目に焼き付けな!」とでも言わんばかりの派手さである。驚きすぎて声が出ない。いや、あの人ならやりそうだ。跡部先輩なら。でも、でもさあ、それでもこれは。
隣にいた忍足と鳳を横目で見た潤は、二人がさして驚いていないことに気がついた。長年つきあいがあるのであろう彼らから見たら日常なのかもしれない。ということは日常的にこんなことやってんのか、跡部先輩。
彼はマイクの電源を入れると、スッと両腕を横に伸ばしてT字型になった。その整った顔に傲慢な笑みを浮かべると、唇をつり上げた。

「よく来たな!皆、せいぜい俺様の恩恵を受けていけよ!」

再び大歓声。跡部が話すと歓声が静まり、一句しゃべるとまた大歓声。信じられない。潤が呆然とステージを見つめていると、忍足が半分笑いながら言った。

「なんや、中等部で跡部が初めて演説したときのことを思い出すわ」
「初めての演説って、入学式でキング発言したやつですよね、忍足さん」
「え!?」

ぼうっとした頭に聞き捨てならない会話が入ってきた。潤が二人の方を振り向くと、鳳は潤に苦笑してみせた。

「あれ、さすがに知らないかな?跡部さん、自分の入学式で演説したんだよ」
「しかもなあ、それが普通の新入生挨拶と違うてな」
「……あの、もしかして、『俺様がキングだ!』ってやつ、じゃないですよね?」
「そうそう、それや」

潤は今度こそ本当に言葉を失った。卒業式で言ったというならまだ分かる。いや分からないけど、まだ分かる。中学の3年間で生徒会長をしてテニス部を率いて大活躍した跡部先輩ならキングだ発言をしてもまだ分かる。でも、彼が発言したのは入学式で、だ。つまり、12歳かなんかのときに、いきなり、顔もしらない同級生達のまえで堂々と宣言したということ。
噂には聞いてたけど、まさかと思っていたんだ。潤は口に手を当てた。

キング発言、本当だったんですか、跡部先輩。


(20131007)

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