カモマイルの悪魔 | ナノ


跡部邸の前まで送ってくれた河西にお礼を言って潤と美波は車の外へ出た。涼しい春のそよ風、薄い雲がたなびく晴天。柔らかな昼間の光に照らされてきらめく跡部ッキンガム宮殿を目の前にして、潤と美波は絶句した。中世西洋のお城みたいだ。巨大な門扉からは玄関まで長く道が続き、その途中には噴水が高く透明な水を噴き出している。

「すごい。ヨーロッパのお城みたい!」
「あ、あれここまで豪華な邸宅だったっけ」
「潤、この前もパーティーで来たんじゃないの?」
「うん、でも前は夜だったから外観はあまり見えなくて」

日本にこのような建物があるのが場違いすぎて、まるで自分たちが中世ヨーロッパへトリップしてしまったかのような気分になる。
潤は美波と話をしながら門扉の中へ足を踏み入れた。ハイヒールのかかとが固く敷き詰められた道の砂利に当たって音を立てる。潤はちらりと自分のかかとを確認する。この前痛めてしまった右足はすっかりよくなっていて怪我の跡も残っていない。樺地さんの手当のおかげだ。
考え事をして無言でいると、美波は突然立ち止まって不安そうな声を出した。

「ねえ、私、これで大丈夫?」
「うん?何が」
「服」

美波はライムグリーンのドレスを着て、長い髪を巻いて結い上げていた。春らしくさわやかで、落ち着いた夜会巻きは大人びた彼女の美貌をより一層引き立てている。

「うん、綺麗だよ。それに跡部さん優しかったから大丈夫」
「そっか」

美波は緊張でこわばった顔をゆるめて笑みを浮かべた。潤は美波につられて笑顔になった。今回は大丈夫。靴擦れも起こさないし、もし話すことになっても前よりもちゃんと跡部さんに向き合える。

「いらっしゃいませ。白岩潤さんとそのお連れ様でいらっしゃいますね」
「はい」
「どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ」

玄関のドアマンが笑みを浮かべて扉を開いてくれる。二人で並んで屋敷へ足を踏み入れると、バラのよい香りが漂ってきた。
建物内部の豪華さは以前見たときと変わらなかったが、それでも細部まで行き届いたこだわりが見えて驚いてしまう。跡部邸に初めて足を踏み入れた美波はものめずらしそうにあたりを見回しながら、小声で興奮したように言った。

「ドアマンの人、お客さんの顔全部覚えてるのかな。そんなところまですごいんだね」
「ほんとにね。メイドさんたちも、所作ももてなしも完璧なんだよね。さすが跡部家は違うなあって思う」
「白岩家だって幸村さんも河西さんも使用人としては完璧なんでしょ?」
「うーん、どうだろ。少なくとも幸村は……」

こそこそと二人で話をしていると、周囲のささめきが大きくなった。潤と美波が話をやめてそちらを向くと、跡部と樺地が左右に割れた人の間を悠々と歩いてくるところだった。跡部は顎をあげて自信満々の笑みを浮かべ、樺地はその後ろに無表情で付き従っている。

「来たな!白岩潤」
「こんにちは、跡部先輩、樺地さん。先日はお世話になりました。本日もお招き頂きありがとうございます」
「ふっ、存分に楽しんでいくんだな」
「はい!」

潤は跡部が自分から隣へ目を移したことに気がついた。はたと気がついて隣にいた美波に目をやると、彼女は目を見張って跡部を見つめていた。
美波も氷帝出身であるから跡部を見たことはあるはずだが、遠目にちらっと見たくらいだろう。それに、跡部は大人になってますます格好よくなっている。美波が驚くのも無理はないと潤は納得して跡部と樺地に向き直った。

「ご紹介遅れました。こちら、私の友人、高原美波です。美波、知っていると思うけれどこちらは」

美波の方を振り向いたところで、潤は違和感を覚えて美波と跡部たちの顔を交互に見た。当の跡部も片眉を跳ね上げて、美波をまじまじと見、次いで振り返って背中越しに樺地を見た。
潤は跡部と樺地と美波を順番に見て、ようやく気がつく。美波が食い入るように見つめていたのは跡部ではなく樺地だった。そして樺地もまた、真っ黒でつぶらな瞳を美波に向けている。

「こいつは……」

ぽつりと呟いた跡部と潤は顔を見合わせた。これはひょっとして、いやひょっとしなくても、そういうことに違いない。そういえば美波、純粋な人が好みだって前に言ってたっけ。その点、樺地さんは間違いなく純粋でいい人だ、と潤は頭の片隅で思う。
跡部はぐいっと潤の肩をつかんで引き寄せ、小声で囁いた。

「これは、そういうことか?」
「たぶん。あの、樺地さんの方はどうなんでしょう」
「さあな。樺地が女に興味を示すことはめったにねえからな。しかし、ちょうどいい」

潤はごくりと唾を飲み込んだ。これはもしかしなくても、ボーイ・ミーツ・ガール。
跡部は背を伸ばして一つ深呼吸をすると、はっきりとした声を出した。

「おい樺地。おい」

美波と見つめ合っていた樺地は無言でゆっくりと跡部の方を向いた。

「俺様は潤と話がある。そっちはお前がもてなしておけ。白岩家ご令嬢の友人だ、丁寧にな」
「ウス」
「高原美波と言ったか。潤は借りていくぜ。ゆっくりしていけ」
「あっ、はいっ、ありがとうございます!」

跡部に声をかけられてはっと我に返った美波は慌てて頭を下げた。潤は頭を上げた美波の顔を見て密かに感嘆した。こんな顔、みたことがない。美波が初めて幸村に会ったときの顔とも違う、もっとぼうっとしたようでいて、そして顔の端々から生命力があふれるような瑞々しい表情をしていた。

***

跡部に肩を抱かれて潤はその場から歩き出した。振り返ると、肩越しに樺地に話しかける美波が見えた。ただ単に嬉しそうというよりも、そう、一生懸命といった方がふさわしい表情。気に入ったというのよりも一段階深い、これはもう恋と表現していいだろうか。
跡部に連れられた先は会場のど真ん中で、しかしパーティーが始まる前の今はまだまだ人が少ない。跡部は立ち止まると真剣な顔をして潤に尋ねた。

「おい、潤。さっきのアレに関連して聞きたいことがある」
「どうぞ」
「高原美波はどういうやつだ?」

潤は跡部が言わんとしていることを正確に理解して、少し考えて、真面目に答えた。
さきほど見た、樺地に話しかける美波はまるで、ライムグリーンの若枝に咲いた朝露を宿した薄紅の花のように見えた。

「大学は私と同じく氷帝です。中高も。素直で率直で、すごくいい子ですよ。好きなものは確かおにぎりで、えーっと、好みのタイプは」
「純粋で誠実、真面目なやつ。か?」
「そうです!よく分かりましたね」
「なるほどな。俺様の見立て通りだ。お前は自分の友人と樺地のことをどう思う?」

潤は意気込んで身を乗り出した。

「あの、お似合いだと思います」
「そうか。俺もそう思うぜ」

跡部はそばにいたメイドからシャンパンを二つ受け取ると、一つを潤に手渡した。彼は先ほどよりももっと上機嫌になって、まるで鼻歌を歌い出しそうな雰囲気になった。身にまとうオーラも3割増しにキラキラして見える。

「ハッハッハ!樺地もやるじゃねーの!二人の前途を祝ってやろうぜ。乾杯!」
「乾杯!跡部さん、友人思いなんですね」

シャンパングラスを掲げた潤は自然と笑顔になった。跡部は「さあな」と返事をするとシャンパンをぐいっと飲むと笑った。
樺地は無口で跡部に付き従っている。彼らは明らかに主従の関係にあったのは有名な話で、どうして樺地が跡部に仕えているのか疑問に思う人も少なくなかった。潤が中学生のときに跡部が中等部にやってきたときも樺地がそばに控えていて、それを不思議だと言う声がちらほら聞こえた。噂も様々あって、樺地が盲目的に跡部を信奉しているのではないかという内容から、跡部が樺地の弱みを握っているのだというものまであった。
けれど、と潤は思う。跡部先輩は樺地さんに当然のように命令するけれど、ないがしろにしているようには見えない。さっき美波のことを確認したのだって、美波がまともな人間かどうか一応確かめておきたかったのだろう。主従関係に見えるけれど、実は信頼が厚すぎて主従が強調されてしまうだけの友人関係なのかもしれない。

「ただ、ちょっと心配なところもあるんです」
「言ってみろ」

潤は目をつぶって回想した。美波は正直でまっすぐですごくいい子だ。でもだからこそ、友人として心配なところがある。

「彼女、しっかりしてるから。普段は正直なくせに、悩んでいるときは一人で抱え込んだり、相手に迷惑を掛けるからと何も言わず黙って身を引いてしまうところがあるんです」
「アーン?なんだお前ら、そっくりじゃねえか」

呆れたように言う跡部の言葉に潤は目を剥いた。

「私!?私はそんなことないと思いますけど」
「気がついてねえのか」
「でも、私はぽろぽろ本音を出しちゃいますし」

跡部は納得していないような顔で、しかしそれ以上弁解する潤を追求しようとはしなかった。彼は左手で前髪を書き上げると再び口の端をつり上げて笑う。

「高原とやら、樺地を気に入るとは見る目があるじゃねえか。せいぜい背中を押してやるとするぜ」
「はい!」

潤はふと今の状況に気がついて、不思議な気分になった。初対面の時とはだいぶ印象が違う。あのときはなぜか、妙に物理的に距離が近くて、色っぽい雰囲気で、しかもお前に会うためだとかなんとか意味不明なことばかり言われた。今日もどうなるのかと思っていたが、今の跡部先輩はとても普通だ。前の跡部先輩はギラギラした野心家に見えたが、今はそれよりも普通の……あくまで跡部先輩基準だが、普通の友人思いな青年に見える。
潤は考えるほど跡部の人柄が分からなくなって、それ以上考えるのを辞めた。

「おい、潤。お前も俺様に協力しろ。あいつらが上手くいくようにし向けるぞ」
「もちろんです!えっと、何から始めますか」
「樺地は真面目だからな、あいつが客人である高原をいきなり誘えるとは思えねえ」
「じゃあまずはデートをするようにお膳立てする、って感じでしょうか」
「ああ。そこは自然な流れにするために……」

パーティー会場のど真ん中にて、潤と跡部の優しいはかりごとは着々と進んでいった。


(20130928)

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