カモマイルの悪魔 | ナノ


泉さんは門の外でこちらへ向かって深々と一礼すると、きびきびとした足取りで去っていった。それを見送った潤と河西は玄関までの小道を並んで歩く。赤や黄、ピンクのバラが咲き誇るのを見た潤は、彼女は丁度良い季節にうちへ来たものだなと思った。隣を歩く河西は満足そうな表情を浮かべていた。彼は歩きながら手にしていた履歴書を見返し、一つ頷く。彼女を雇うことに決めたのだろう。潤もそのことに文句はなかった。おじぎの仕方からも歩き方からも彼女の人柄が伝わってくる。自然体で、そしてきっちりとした性格の、頼りになりそうな女の子。服装は質素なものだったが、立ち振る舞いは良家の出を伺わせるようなものだった。潤は密かに、この子は自分よりもずっと出自が良いのではないかと勘ぐった。

「素敵な人だったわね」
「ええ。お嬢様はどう思いますか?彼女を雇うことを」
「もちろん賛成。気持ちの良い人だったし」
「それは良かった。ではさっそくうちへ来てもらうことにしましょう。ああ、しかし幸村くんは」
「幸村も賛成だと思うわ。さっき泉さんのこと絶賛してたから」

河西はけげんな顔をした。それを見た潤は首をかしげた。何かおかしいことを言っただろうか。

「幸村くんが?」
「うん?うん、そうだけど、どうして?」
「いえ、珍しいなと思いまして。今までは面接のときに誰かを絶賛することなどありませんでしたから」

潤は面食らった。今までうちへ来たメイドのことだって幸村は気に入っていたはずだ。だってたらしこんで遊んでいたくらいだもの。熱心に口説く様子も何回も見た。それでも、最初はその子たちのことを褒めてはいなかったのか。それは、ちょっと意外だった。あの女好きのことだ、てっきり最初から褒め殺して女心をもてあそんでいるのではないかと思いこんでいた。

「……そう」
「よほど気に入ったんですね、幸村くん。それでは今夜にでも社長に報告しておきます。早ければ今週から働き始めてもらえますね」

ほっとしたような弾んだ河西の声が胸の真ん中で渦巻く。
よほど気に入った、か。河西が言うなら確かなのだろう。自分だって見た、あの幸村の言葉と笑顔。今までメイドに向けてきた笑顔と同じ、私の大嫌いな、女に向けた笑顔。そして同時に今までの笑顔とは違う、もっと本気の笑顔にも見えた。自分だってつい自然と微笑んでしまうような素敵な人だったんだ、だから幸村が本気になったとしても不思議ではない。私の大嫌いな、幸村の笑顔。今日はよく見るな、と潤は思った。
少なくとも今の私は泉さんを気に入っている。その泉さんと幸村が、真剣に向かい合って見つめ合っているところが容易に想像できた。彼女も幸村を気に入っているように見えた。もし彼女が、幸村が私に向ける偽りの笑顔を見たら一体どうするだろう。今までのメイドたちのようになるか、それとも。

「お嬢様、お疲れなのではないですか?」

気がついたら心配そうな河西に顔をのぞき込まれていた。潤は慌てて頭を横に振るといい繕った。

「ごめんなさい、考え事してた。大丈夫よ。夕飯前にお風呂に入ってくるわ」
「かしこまりました。準備は既に整っております」
「ありがとう」

部屋のクローゼットから着替えを出すと、潤は急いで風呂場に逃げ込んだ。磨き抜かれた鏡をのぞき込むと酷く歪んだ表情が映った。眉間は険しく寄せられていて、口はへの字に曲がっていて、肌はくすんでいるように見える。ひどい顔だ。確かに疲れているのかもしれない。昨日は合コン、今日は美波が遊びに来て、それから面接。濃いウィークエンドだった。千石さんや泉さんとの素敵な出会いもあったけれど、幸村が絡むとどうしてもネガティブ思考になってしまう。さっきの、幸村の泉さんへの対応。本気、なのかな。
潤は頭をふってカットソーを脱ぎ始めた。湯船からはワコルダーの爽やかな香りがただよっている。ふと顔を上げると鏡に映った自分の肩に小さい青あざができているのを見つけた。首をねじって左肩の前面についたそれを見る。昨晩、幸村に強くつかまれたときに出来た痣だ。いつか、あの悪魔のような男から逃れることはできるのだろうか。
潤はため息をついた。さっきから妙な胸騒ぎが止まらない。まるで嵐の前日のような、直感が生み出す確かな胸騒ぎが。


***


幸村は二階の廊下の窓際から外を見下ろした。玄関から鉄門へ向かう三人の後ろ姿が見える。彼は潤や河西には目もくれず、熱心に泉の姿を見つめた。河西や潤に向ける笑顔、少し首を傾ける仕草、優雅なお辞儀、歩き方。薄暗い夕方でも艶やかな髪、小さな真珠色の爪、すらりと伸びた脚。幸村は姿が見えなくなるまで泉をじっくりと見つめて、それから真剣に何かを思案し始めた。それからどれほど時間が経ったのか、幸村に声がかかった。

「幸村くん、どうかしましたか」

幸村が顔を上げると、潤の白いバスタオルを手にした河西が階段の下からこちらを見上げていた。幸村は首を横に振って見せてから、階段をゆっくりと下りてバスタオルを受け取った。

「以前に会ったことがある気がしまして。でも思い出せない」
「泉さんに、ですか」
「ええ。どこでだったか。まあいいです、勘違いかもしれませんし。いずれにせよ素敵な女性でしたね」
「本当に」

河西は満面の笑みを浮かべた幸村を見て苦笑した。幸村は熱いため息をつくと囁くように河西に尋ねた。

「どうにも彼女のことが気になってしまって。今までどのような生き様だったのだろうか、とかね。聞かない約束だと仰いましたが、河西さんは何もご存じないのですか。彼女の以前のことを」
「ええ。泉さんはよっぽど嫌な思いをしたことがあるのか……、社長も一切話そうとしません。大変彼女のことを気に入っているようで、全面的に信頼しているようでした」
「そうだったんですか」

幸村は残念そうな顔で河西に少し頭を下げて、浴室へ向かった。
長い廊下を歩きながら、幸村は一人薄笑いを浮かべた。そして独りごちる。

「弱ったな。一筋縄ではいかなさそうだ」

楽しそうに、愉快そうに。幸村の目がぎらりと光る。

「なかなか落とせなさそうだ。だがそれでも、ね」

口元には笑みを浮かべて。幸村は中からシャワーの音が聞こえる浴室のドアをノックした。


***


跡部景吾を乗せた黒のリムジンは、光の溢れる夜の都内をすべるように走っていた。街灯やビルの輝きが艶めく車体に映って金色の光を放つ。オーケストラの演奏するクラシックが流れる車内で、跡部は何もいわず腕を組んで目を伏せていた。しばらくして、リムジンはゆっくりと減速するととあるビルのロータリーに入り、やがて入り口の前で停車した。車が止まるとすぐに大柄の男、樺地が車に乗り込んで来、リムジンは再びゆっくりと動き始めた。
跡部は目をつぶったまま、そこでようやく口を開いた。

「ご苦労」
「ウス」

車の天井に頭がつっかえそうな樺地は少し体を前に倒した。手に持っていた鞄を膝の上で開けると、中から出したタブレット端末を少しさわり、跡部に差し出した。跡部はそれを受け取ると、億劫そうに目を開けてタブレットに映った文章に目を通した。

「それで?白岩の方はどうだ」
「まだ……気がついていません」

跡部は喉を鳴らして、乱暴にタブレットの電源を切った。髪をかき上げると愉快そうに唇をゆがめて窓枠に肘をついた。

「フン、そうだろうな。俺様をだれだと思っているんだ。なあ、樺地?」
「ウス」

リムジンはスーツを着た男女を数え切れないほど追い抜かしすれ違って進んでいく。ただ平凡に生きるだけでもドラマの多い都会で、会社のヘッドとなって大勢を率いることがどれほど困難なことか、跡部は身をもって知っている。経営は弱肉強食だ。平等など存在しない。強いものが生き残る、ただそれだけだ。様々な知恵や人脈、バックグラウンドを持つ敵たちと、ある時は戦いある時は手を組んで、跡部はまだ若いながらこの時代を生き抜いてきた。この東京というジャングルで跡部は自身を王者だと自負していた。

「白岩社長に、招待状を……送りました」
「そうか。いよいよだな。ハッハッハッハ!いくぜ樺地、ショータイムの始まりだ!」

狙った獲物を逃すつもりは、ない。たとえどんな手段を使うことになったとしても。
跡部は高らかに笑った。戦いの前はいつだってテンションが上がる。勝者は俺だ。


(20130722)

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東京ジャングルっていう面白いゲームがあったりします。ポメラニアンがライオンを倒すゲームです(実話)

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