カモマイルの悪魔 | ナノ


約束の時間が近づいてきた夕刻、なすこともなくただ応接室で待っていると外で門扉の開く音がした。潤は横目でちらっと隣に座る幸村を見るが、彼は無表情で背筋を伸ばして座っていて、その鼻筋の通った横顔が冷淡に見えた。口から漏れそうになる思いを飲み込んで背筋を正す。もうすぐ次のメイド候補がやってくる。
どんな性格の人なのだろう。今回も生真面目な人なのだろうか。幸村に対してどんな態度を取るのだろう。幸村は前のメイド達にそうしたように、次のメイドとも遊ぶのだろうか。
考えても仕方がないのにとりとめもなくあれこれ思いをめぐらせてしまう。様々な思いが心の中をせめぎ合って落ち着かない。ところが目の前に当の本人が現れたとたん、潤は考えていたことをすっかり忘れて瞠目した。

「はじめまして、泉綾希と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

河西に案内されて応接室へ入ってきた彼女は、優雅に腰を折って頭を下げてから微笑んだ。緊張も媚びも含まない、くったくのない笑顔。思わずこちらからも自然に微笑み返してしまってから、潤は内心舌を巻いた。
間違いなく私よりずっと上手だ。今までのメイドとは違う。むしろ振る舞いが一般人には見えない。普通は「一人で白岩の屋敷に入って面接を受ける」だけで緊張するというのに泉さんは平然としている。椅子に腰掛ける所作にも無駄がない。場数を踏めば度量は付くだろうが、彼女は若い。自分よりも数歳年上だけだ。なぜこれほどにも場慣れしているのだろう。どこで身につけたのだろう。それに何より、お父さんは一体どこで彼女を見つけたのだろう?
次々に疑問が沸いてきて、潤は面接とは関係なく彼女のことを知りたくなった。
河西は彼女にお茶を出すとさりげなく面接を始めた。趣味、特技、志望動機。幸村はしばらく様子見することに決めたのか何も言わない。しばらくあたりさわりのない質問をした後、河西は彼女の履歴書をめくりながらふむ、と息を吐いた。

「白岩社長によると、泉さんは既にメイドの経験があるそうですね」
「はい。最初は大学の学費を稼ぐために少しだけするつもりで始めたアルバイトだったのですけれど、居心地が良くなってしまって。大学を卒業してから最近までメイドとしてお勤めしていました」
「それはそれは。仕事がご自身に合っていらしたのでしょうか」
「ええ、そうかもしれません」
「あの、父とはどういった関係なのですか?」

潤が尋ねると、泉は身を乗り出して目を輝かせた。艶やかな栗色の髪が肩口から溢れる。垢抜けて粋な女の子だな、と潤は思う。

「勤め先の主人と白岩社長が知り合いで、何度かうちへおいでになったんです。そこで名前を覚えて頂いて。今回もこうして新しい勤め先を紹介してくださって、本当に白岩社長には感謝しています」
「そうだったんですか。それはよかったです」

父を褒められたことが素直に嬉しくて自然と笑みが浮かんでくる。こんな女の子を連れてくるなんてやるじゃん、お父さん。それに、メイドをやっていたなら人慣れしていることにも納得だ。きっとお金持ちのお家に勤めていたのだろう。大きなお家なら来客は多いし、家でパーティーを開くこともあるだろう。そんな環境で働いていたら自然と場数を踏むことにもなるし、そりゃうちに来たくらいじゃ緊張しないだろう。
潤は感嘆した。すごくいい。素敵な女の子だ。真面目でしっかりしてそうだけど、それだけじゃない。表情がころころと変わって魅力がある。うちで働くことになったら仲良くなれるだろうか。

ずっと黙っていた幸村が、柔らかな口調で泉に話し掛けた。

「以前はどちらにお勤めだったのですか?」
「えっ。えーと、あの」
「幸村くん、それは聞かない約束なのです。すみません、事前に伝えておくべきでしたね」

河西が困ったような顔で口を挟み、幸村はいぶかしげな表情になった。

「約束?」
「ええ、白岩社長にそう言いつけられました」
「ごめんなさい、私が頼んだのです。前の主はライバルの多いお仕事をされていたので、メイドをしていたというだけでも秘密を探ろうと近寄ってくる輩が多いんです。だからできれば内緒にしたくて」
「ああ、なるほど……それは失礼しました。少々気になっただけなので気にしないで下さい。社長の判断なら間違いないでしょう」
「ありがとうございます」

幸村は彼女に柔らかく微笑み、泉も幸村にあのくったくのない笑顔を向けた。
潤はさりげなく二人から顔をそらした。心臓が静かに嫌な音を立て始めた。見たくない。また、だろうか。彼女もまた、今までのメイド達と同じようになってしまうのだろうか。幸村は確かに格好がいい、だから今まではメイド達が幸村に遊ばれても仕方のないことだと思っていたけれど、なぜか泉にはそうなって欲しくないと強く思った。
けれど、自分には、彼女が幸村へ向ける気持ちをどうこうすることなんてできないのだ。
高揚していた気持ちが急激にしぼむのが分かった。たとえ彼女がどれほどいい人でも、私と気があったとしても、幸村が絡むなら一筋縄ではいかない。むしろ関係がこじれるかもしれない。今までのように。

廊下の電話が鳴った。河西は詫びを述べて慌ただしく席を立つ。潤は自分の首に冷や汗が伝うのが分かった。泉さんと私と幸村の、三人っきり。嫌な予感がする。

河西が応接室を出たとたん、幸村は彼女に向き直って満面の笑みを浮かべる。

「職を辞してからも主の秘密を守ろうとする心がけ、素晴らしいですね。家人はどうしてもその家の事情に精通することになりますから。私としても貴女のような立派な心構えをもった人と仕事がしたいものです」
「いえいえ、そこまで褒めないでください、恥ずかしいです。当たり前のことですし」

泉はちょっと恥ずかしそうに俯いている。可愛らしい反応をする綺麗な女の子。笑っていない笑顔で口説くように熱心に語りかける幸村。
潤は気分が悪くなった。いつも通りだ。だけど何だろう、この今までにない不快感は。今度は何も起きませんようにという願いと、今度もダメかもしれないなという諦め、それだけじゃない、土足で心に踏み込まれるような確かな不快感と恐怖感がある。なぜだろう。自分も気に入った女の子で幸村が遊ぼうとしているせいか。
そんな自分を表に出さないようににこにこと笑って、でも二人の話に口を挟むことはできない。

「それに、貴女のような魅力的な女性と一緒に働けるかもしれないと思うと心が躍りますね」

いつもそうだ、幸村は。口説いて遊んで、その後どんなことが起きるかなんて考えもしない。潤はぎゅっと自分の掌に爪を立てた。しかし当の泉の反応を見て、潤は目を丸くした。

「とんでもない、恐縮です。私こそ幸村さんのような方と仕事ができたら嬉しいです」

彼女は顔をほころばせて、さらっと、しかし堂々と幸村を褒め返す。
大人な対応。少なくとも、今までのメイドや他の女の子たちのように幸村に夢中になっている様子ではない。泉さんも美波と同じタイプなのかもしれない。潤はちょっと安心して密かにため息をつき、幸村の方を振り返った。

「それは、嬉しいことを言ってくださいますね。男冥利に尽きます」

幸村は、自然な笑みを浮かべていた。潤はぎょっとして息を飲んだ。また、だ。昼間に美波に向けていたような笑み。いや、それよりももっと嬉しそうだ。私には決して見せない笑みを彼女に向けていて。彼女もまた同じような様子で。幸村は私よりもずっと上手で何考えているかなんてさっぱり分からなくて、でも彼女もまた私より上手で。だったら、彼女には幸村の気持ちが分かるんだろうか。

喉の奥がざらざらする。砂を飲み込んだような乾いた不快感と、自分の知らないところで重大な何かが起きてしまっているかのような一抹の不安感。なぜだろう。泉さんが幸村に誘惑されないことに安心しつつも、彼女が幸村とどういう関係を築くのだろうかということに対する少しの不安。幸村は、今までのメイド達に対してはこんな風に満足そうな顔をしたことがなかった。だったら。もしかしたら。

泉さんに対して、本気?

……もしそうだとして、そうだとしたら、それはそれでいいのかもしれない。遊び人の幸村が身を固めるということになる。もう女の子が幸村に遊ばれることもなくなるのだ。私だって変に恨まれずに済むかも知れない。それなのに不安が残るのは、「幸村の女」に対してろくな思い出がないからに違いない。

溢れ出てきそうな思いを力の限り心の奥に押し込んで、潤は二人に笑って見せた。


(20130714)

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