七色の雲 | ナノ

柳生はひとかけらの冗談も含まない目で、心の中を覗くように俺を見据える。壊れたテープのように、だが辛抱強く確固たる意志を持って繰り返した。


「丸井くんは、辛くないんでしょうか」


俺は返答を求められている。ただならぬ様子の柳生に何か言わねばと焦る一方で、その異様な雰囲気に恐れをなしているのか、彼の言葉の意味が欠片ほども理解できない。俺と優香の話だったのになぜブン太が突然出てくるのか。しかも辛いとは何のことだ。何も悩んでいるそぶりなどなかったし、第一何かあれば俺にも相談なりなんなりしてくるはずだ。
いつもならば論理的で分かりやすく話す柳生が、一体何を。


「なんで、ブン太が」

「丸井くんは、自分の好きな人が恋人と仲良くしているのをずっと目の前で見ていて、辛くないのでしょうか」


はっと息をのむ。外の冷たい空気が一気に気管支に流れこんで俺は軽くむせた。「すみません、大丈夫ですか」という感情をなくした柳生の声が、心に刺さった。
柳生の言葉の意味がようやくわかった。むせる息の中で、めまぐるしく記憶と思考が動く。俺はそのとき指摘されて初めて、ブン太の気持ちに気がついた。ブン太はよく優香と話していた。よく優香のことを見ていた。優香を笑わせたり、何かあれば手伝ってやったり。からかって、むくれた優香に怒られて逃げたり。ただ気に入っているのかと思っていた。よく見た光景だ、気に入った女子と親しくするのは。「その程度」だと思っていた。自分の感覚で考えると。だが、ここは日本だ。親愛表現から何から何までひかえめな日本人が、ただ気に入っているという程度でそんなことをするだろうか?ここはブラジルではない。

柳生は口をつぐんで、黙った。木枯らしに吹かれて丸まった枯れ葉が一つ二つ、足下を転がっていった。低く静かな足音が歩道に響く。

何を考えているのか、深刻に黙っている柳生の横顔をちらりと見て、俺はもう一つ、これもまた唐突に、ほぼ思いつきのように――気がついた。


「それは、柳生の気持ちじゃないのか?」


今度は柳生が息をのむ番だった。反応を見て確信に変わる。
そうだったのか。柳生もまた、優香のことが好きだったのだ。
だから俺に問うた。好きな気持ちを抱えて辛くないのかと。だからブン太について聞いた。好きな人の自分以外へ向ける恋情を見ていて辛くないのかと。柳生のことだから俺やブン太を心配する気持ちは確かにあったのだろう。だがその奥に流れているものもまた柳生の本心だったのだ。それこそも、また。


「優香の誘いを断ってるのは」

「ええ、そうです、実は」


最後まで言わせない、聞きたくないとでも言うかのように、柳生はせわしなく俺の言葉に返事を重ねた。彼は落ち着かず何度も眼鏡を指先で押し上げる。優香に対する気持ちが他人にバレたのは初めてなのかもしれない。そのくらい、無表情な彼の仕草には狼狽が見て取れた。
柳生は人に気を遣う。だから――もし優香への気持ちがばれたら優香にも仁王にも、その他の俺やブン太、優香を好く仲間に申し訳ない、波紋を起こしたくないと思ったのかもしれない。想像にすぎないが、柳生なら十分ありえることだった。


「柳生こそいいのか、それで」

「ええ、いいのです」

「でも、お前、俺なんかよりもずっと」

「仕方ないではないですか!!」


柳生は立ち止まって声を荒げた。言い過ぎてしまったらしい。あの柳生にそんな声をあげさせてしまうようなことをしてしまったことを後悔するが、もう遅い。言葉は取り返せない。触れられたくないことに触れてしまったようだ。


「悪い、余計なことを」

「いえ……すみません、桑原くん。あなたは悪くないので気にしないで下さい」

「いや、だが」


柳生は大きく深呼吸をする。
そして、無表情だった顔に一瞬、意味のある表情を作るのに失敗したような微妙な表情をして、ようやく、笑った。苦笑のような、しかしそれよりも力の抜けた顔をしていた。


「私もまだまだですね」

「あ、いや。すまん、思いこみ過ぎない方がいいんじゃねえかって言おうとして、それで」

「はい。分かってます、桑原くんが心配して下さったことも。すみません、自分でもまだちゃんと整理がつけられていないようです」


落ち着いた柳生にほっとする一方で、得たいの知れない、いいようのない感情がこみ上げてきた。俺らはみんな優香が好きで、優香もたぶん俺たちのことが好きで、でもその好きは仁王に向ける好きとは異質のもので。表は綺麗にしていても裏に嵐のような葛藤を抱えている柳生。柳生だけではなく、俺もそうなのかもしれない。程度が違うだけで。もしかしたら、ブン太もそうなのかもしれない。好きなのであれば仕方のないことだ、だが仕方がない、では済まされない何かが確実にここにあって、それが静かに時を待つ魔物のように胎動しているようで。


「これでいいのだと思います。後悔も、していません」


落ち着いた様子できっぱりと言う柳生の男気に、俺は一応納得した。柳生がそう決心してしたことならそれでいいのだろう。俺が優香に対して何のアクションも起こさないのと、同じ事だった。


***


年度の変わった四月。よそ見をしていたら、コートに入るところで俺は誰かにぶつかった。


「あ、ごめんなさい」

「いや、こっちこそ悪ぃ」


同級生の女らしい。その女はぺこりと頭をさげると、スケッチブックと鉛筆を持って、コートから少し離れたところに腰掛けた。彼女はコートに向かって目をこらしきょろきょろと誰かを探し、一点に目をとめた。ただの応援ではないらしい。
視線をたどるとそこには幸村がいて、彼女に軽く手を挙げていた。幸村の彼女だろうか。美術部かなんかなのかもしれない。いずれにせよ、彼女はスケッチをする気まんまんらしく、鉛筆を片手に真剣にコートを見つめている。

こういうこともあるんだなと納得して、俺はコートの中に入った。早くしないと練習が始まってしまう。それに、幸村が許可を出しているならば他校のスパイでもなんでもないわけだから、何の問題もない。






彼女は練習がある日は毎日、コートに来た。そして練習が終わると、テニス部の誰と会話をするでもなくさっさと荷物を片付けて帰っていく。本当に絵を描くためだけにここまでしているらしい。甲高い声を出して幸村とべたべたするわけでもない。その絵にかける情熱はすごいものだ。
そんな彼女が当たり前のように、ある意味、男子テニス部の練習風景にとけ込んだある日、俺は柳に問うた。


「あいつ、ずいぶん控えめなんだな。幸村の彼女なのに一緒に帰るでもねえし」

「長崎のことか?どうして彼女だと思うんだ」

「長崎っていうのか。幸村とときどきアイコンタクトしてるだろ。彼女じゃないのか?」


柳はふむ、と言うともったいぶってつぶやいた。


「いや、そうではないらしい。本人たちの自己認識によるとな」

「……ずいぶん含みのある言い方をするんだな」

「まあ、な」


珍しく柳は軽い含み笑いをしていた。

柳の言葉の意味、彼女の真意と幸村の関係を本当に俺が理解したのは、全てが片付いた後の話。


(20111021,fin)

ミットさんリクエストありがとうございました!

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