七色の雲 | ナノ

後ろ手を組み直立不動の守衛さんに軽く頭を下げて、私はそびえ立つ荘厳な校門をくぐった。そこかしこの巨木が青々を葉を茂らせて、その奥からところどころ白く変色した古い赤煉瓦の建物が顔を覗かせていた。古い木枠に支えられた四角い窓やそよ風に揺らされた葉が春の柔らかい日差しを白く反射させている。
私は腕を盾に日光を遮りながら上を見上げた。ここが幸村くんの大学なのか。近代的で新しいけれど無機質な校舎が居並ぶ私の大学とは雰囲気がずいぶん違う。だが仄かな親近感を覚えるのは「昔の私」が通っていた大学に似ているからだ。懐かしい。昔のことを思い出すとほんの少し寂しくなる。いつかこの気持ちは消えるかと思ったけれど記憶が完全になくなる日までは消えないのだろう。友達、先生、生きていたところ。大切だったはずの記憶は、こうして私たちが大学生になった今、鮮烈な新しい大学生活によってますます薄く朧気になり色あせていく。それは仕方ないことだった。私はそっと古い記憶を撫でて一つ瞬きをする。
もう、昔の話だ。そう思えるほどに時間は経った。



しばらくすると遠くから男の子が走ってきた。彼は私をめがけて一直線にぐんぐん近づいてくる。相変わらず大きなラケットバッグを下げて、しかし重さを感じさせない軽やかな走り。軽くウェーブのかかったくせっ毛がなびいている。ちらほらと行き交う大学生をいともたやすく追い抜いて。

こちらへ着く前に彼は足を止めて振り返った。3人の女の子が彼に声を掛けたらしく、何か話をしている。髪の毛に触る子、首をかしげて微笑む子、彼に近づく子。素直に可愛いなあと思う。お洒落なヘアースタイル、流行の服装、センスの良いストールとバッグ。ファッション雑誌の読者モデルみたいだ。それに比べて自分はと顧みると情けない気分になってくる。自分が嫌いなわけじゃないけれど自信がないのは昔からなかなか変わらない。
そういえば大学に進学してから彼が普段どんな人と何をしているのか知らないな、と気づく。どういう関係なのだろう。どこで知り合ったんだろう。仲が良いんだろうか。幸村くんのこと好き、だったりするのかな。授業が一緒だったり、彼と過ごす時間は長いのだろうか。
幸村くんは相変わらずテニス三昧の生活で、その上別々の大学に進んだものだからますます一緒にすごす時間は減った。テニスと大学生活の隙間をぬって合う日々。そのことになにも不満はなかったけれど、寂しくないといえば嘘になる。テニスをしているとき以外は、大学にいるときは、彼は一体どうしているんだろう。誰と、どんな子とどんな会話をしているんだろう。どんな表情で、どんな気持ちで。

ぼんやり突っ立っていると、いつの間にか幸村くんが目の前にいて心配そうに私をのぞき込んでいた。三人の女の子たちは背を向けて、しかしこちらをちらちらと見ながら歩き去るところだった。彼女たちの視線に居心地が悪くなって、私はさりげなく幸村くんの影に隠れた。

「どうしたの?体調でも悪いのかい」
「友達?」
「友達というか同じ学科の子だよ」
「そっか」

感情丸出しの声。なんて女々しい聞き方をしてしまったのだろう。せめて明るい口調でにっこり笑顔を浮かべながら聞けば良かったのに。これじゃあ妬いてるのが丸出しだ。責めるつもりはなかったのに、私はこうして幸村くんに特別な時間を割いてもらってるのにまだ羨ましいだなんて思って。しまった、と後悔したときには既に言葉の真意が幸村くんに伝わっていた。
彼は私の頭をぽんぽんと撫でた。私、まるで子供みたいだ。ばつが悪くなって幸村くんから目をそらす。あさっての方向を見るとときどきカップルが道を行くのに気がついた。カップルなんて星の数ほどいそうだけれど、でも誰の付き合い方も結局、参考にはなってもマニュアルにはなりはしないのだ。ときどきどうすればいいのか分からなくなる。どうすればいいのか分かっていても感情と折り合いがつかないこともある。

「大丈夫だって、心配なんていらないのに」
「分かってる」
「うん」

ごめんなさい、と素直に謝る。小さな声が出た。どう言われるかなと軽く落ち込んでいると彼はふふっと笑った。予想外の反応に戸惑う。彼は笑いを含んだ軽い口調でさらっと言ってのけた。

「嬉しいよ」
「え?」
「いやあ、昔の由紀だったら我慢してばかりで絶対口にしなかっただろうからね。よく考えてみればこれはすごい進歩だな」
「退化じゃないの」
「進化だって。少なくとも俺は嬉しいよ」

本当にいいのかな。幸村くんは優しいけれど、我慢しすぎるような不器用なタイプではない。だから大丈夫?いやどうなんだろう。甘えすぎかな。
思考の深みにはまっていると彼の手が私に触れた。駅に向かって一緒に歩き出す。

「ほんとに?」
「俺は嘘はつかないよ」
「うそ」
「うん、ごめん、嘘、ついた」

もう、と腰の辺りを押してやると彼はニヤニヤと笑いながら私を避けて、目の前に回り込んできた。彼は私の歩くペースに合わせて後ろ歩きした。

「でも、嬉しいというのは本音だよ。約束しただろ、我慢しすぎないって」

我慢しすぎない。幸村くんと話し合って決めたことだ。相手のために我慢すべきところと本音をぶつけるべきところを見極める必要があるから、と。
いくら二人の価値観が似ていたとしても絶対にどこかで意見が食い違うときが来る。どちらかが妥協しなきゃいけないときもあるだろう。でも無限に我慢することができない以上、爆発するまで我慢するなんて自分にとっても相手にとっても良くない。だから素直になって話し合う方がいい、と。どっちかの一方的な我慢の上に成り立つ関係になんてなりたくないから、と。

「これとそれとは違うような」
「そうかな。抱え込まれるよりもずっといいしな」

幸村くんは再び私の手を取ってぐいっと引っ張った。

「さ、それで、今日はどうする?見たい映画でもある?」
「ん、特には。話がしたいな」
「じゃあ喫茶店にでも行こうか。……そんなこと言うって珍しいね」
「そう?」
「だっていつも話してるじゃないか」
「うん。でもね」

お昼時を少し過ぎた午後。冷たさの消えた温い春の風がほほを撫でる。今の私に世界は優しい。それはきっと幸村くんのおかげ。だからもうちょっと正直になってみようか。彼に心配を掛けさせないためにも、彼をもっと知りたいと思う自分のためにも。

「もっと精市のこと教えてよ」
「え!?これ以上由紀の知らないことなんてあったかな」
「一杯あるよ。大学での友人関係とか」
「さっきの女の子こと、根に持ってる?」
「さあねえ?」

冗談めかして言うと彼はぶっと吹き出した。私もつられて声を上げる。気分はだいぶ楽になった。勝手に落ち込んだり勝手に盛り上がったり、我ながら勝手なものだ。だって好きだからなんて理由で許されるうちが花かもしれない。

「そういえば俺も君の大学生活良く知らないな」
「授業で何取った、とかそういう話はするけどでも、ね」
「中高では学校が一緒だったからなんでも分かったのに、離れると分からなくなるもんなんだね」
「うん。仲が良い人の話はするけど、その他のことは分からないっていうか」
「人間関係は中学時代が一番濃厚だった気がするな」

柳くん。真田くん。仁王くん。立海大附属テニス部レギュラーのみんな。そして、藤川さん、私の大切な友人達。みんな進む道は違って、メールをしたりはするけれどそれぞれが新しい生活を過ごす今となってはなかなか会えなくなった。
幸村くんは迷いもなくテニスの道を選んで、相変わらず学校生活とテニスが中心の生活だ。私は私で大学の授業やバイトに追われる日々で。こうして会える時間もそんなに長くはない。それでも子供のころから比べればずいぶん自由に行動できるようになった。

「そうだね、いろいろあったし」
「つまらないことで悩んだなあって思うこともあってさ。でもあのときはそれが精一杯だったんだろうな」
「そうだよ。そう考えると成長したんだね、私も精市も」
「昔は内面がむきだしだったというかね、ずいぶん角張った性格だったなと思うんだ」
「……精市が?ずっと、人格者だって思ってたんだけど」
「買いかぶりすぎだろう。怒ったり怒鳴ったり、あのころは荒かったよ」
「まあ、今の方がみんな丸くはなってるよね」
「お互い年取ったね」
「何その老夫婦みたいな会話」
「ふふ」

幸村くんの髪に光が反射してきらきらと光る。何気ない会話が私の人生を満たしてくれる。これが幸福じゃなくて、何を幸福と呼ぶ?

「お、新しいメニュー出てるよ。クリームの上にベリーのソースだってさ」
「美味しそう!奮発して頼んじゃおうかな」

近いうちにまたみんなと会う約束をしよう、と思いながら、私はがちゃりと喫茶店の扉を開ける。
喜び勇んでまた新しい空間へ。違う場所に行ってもそれでも、今まで仲良くしてきた人たちとの関係が途切れるわけではない。


(20120928,fin)
--
ますめさん、リクエストありがとうございました!

[back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -