七色の雲 | ナノ

聞けば文学が好きなのだと言う。図書館にいることが多いと本人は言っていたが、実際の柳くんはもっと神出鬼没だった。どこにでも表れてはデータを取って去っていくので「趣味は日本文学よりもデータ収集と人間観察なんじゃないの」と呆れると「否定はしないが、情報収集は必要な分と興味のわいた分しか取らない」と飄々とした返事が返ってきた。文学は人の心理や行動を描いているし、文学趣味が高じて人間観察やデータ収集をするようになったのかと最初は好意的にとらえていた。だが今は違う。柳くんは単なるゴシップ好きなんじゃないかと思うこともあるくらい。まったく、読めない男だ。優しいところがあるのももちろん分かっている。今みたいに。

「全然重くなさそうに持つね」
「事実、重くないからな」

彼は巨大なカンバスとイーゼルを抱えて悠々と歩いている。美術部の顧問に頼まれてそれを職員室から美術室へ運んでいた私は、途中で柳くんに出会った。
(手伝おう)
(ありがとう、助かる。さすがに両方運ぶのはちょっと無理で……いや、片方は私が運ぶよ)
(心配するな、任せろ)
そう言うと大きな手と長い腕でそれらを軽々持ち上げた。私は柳くんの横を小走りで歩いていた。歩幅が彼の方がずっと大きい分、歩くのが速い。放課後の廊下ではところどころ、生徒が行ったり来たりしていた。

「さすが男の子だねえ。テニス部の練習は大丈夫なの?今日あるよね」
「まだ大丈夫だ、これを運んでからでも間に合う」
「柳くんと会うとデータを取られるって思ってたけどそうじゃないこともあるんだね」
「まあな、たまには自分で動かないとな」
「え?」

美術室の前で、彼はドアにカンバスとイーゼルをゆっくりと立てかけた。滑り落ちて倒れないように私はそれを手で押さえた。やっぱり、一人で運ぶのは無理だっただろう。よく考えたら顧問の先生、結構ひどい。

「柳くん、あり――」
「時間だ。またな」

彼は私の感謝を遮ってきびすを返すと、さっさと去っていった。珍しい。彼は人の台詞を遮ることなど今までしなかったし、早くここから去りたいと思うほど怒ってもいないはずだ。それに、たまには自分で動かないと、とはどういう意味だろう。データばかり取ってて頭でっかちね!とでも言われたのだろうか。少なくとも私には意味不明だ。


放課後、いつものように幸村くんを待っているとなぜかそこへ柳くんがやってきた。

「柳くん、さっきはありがとう」
「いや、かまわない。幸村待ちか」
「うん」
「そうか」

彼はあごに手をあてて、しばらく何かを考えたかと思うと、急に腰を曲げて私の耳に口を近づけた。

「うん?」
「長崎。幸村は情が深い分、強情でもある」
「え?」
「内緒にしておけ。またな」

顔を見上げると、彼は再びすうっと体を伸ばして去っていた。本日二回目の、謎。全く意味が分からない。情が深い分、強情?確かに幸村くんは人情深いし、頑固なところもあるけれど、なぜそれが内緒なんだろう。

「長崎さん」
「あ、幸村くん!」
「お待たせ。柳と何を話してたんだい」
「えっ」

私は言葉に詰まった。ええと、何を言えばいいんだろう。幸村くんが情が深くて強情だと言っていた。それだけだ。だが内緒だとも言っていた。大した話でもないし、よく分からないけれど彼の秘密は守るべきだろう。

「ううん、たいしたことじゃないし、なんでもないよ」
「そうか。さあ、帰ろう」
「うん」

柳くんは変だったけれど幸村くんはいつも通りの温かい笑顔で、それは私を安心させた。

***

寝る前に明日の準備をしていると、携帯がお気に入りの音楽を奏で始めた。画面がぱっと明るくなって「柳蓮二」と表示された。

『from:柳蓮二
 sub:明日
 本文:明日は雨が降る。折りたたみ傘を携帯していた方がよいだろう』

『to:柳蓮二
 sub:Re:明日
 本文:天気予報では明日は晴れだって言ってるよ?』

『from:柳蓮二
 sub:Re2:明日
 本文:明日朝の予報では雨になるはずだ』

私はカーテンを開けて窓から空を見た。月が奇麗に出ていて雲などカケラも見あたらない。やっぱり天気予報が正しいんじゃないだろうか。しかし、柳くんがわざわざメールをくれたんだ、きっと何か意味があるに違いない。そういう結論に達した私は、紺色の折りたたみ傘を鞄に忍ばせてから寝ることにした。

そしてその判断は正しかった。

「おや、雨が降ってきてしまったね。しまった、傘を持ってきていない」

翌朝、駅について幸村くんと合流したとたん、空は明るいのにぼとぼとと大粒の雨が降り始めた。駅の人々は大あわてで駅舎の軒の下に入ったり、バスに乗り込んだりしていた。

「折りたたみ傘、あるよ。一緒に入って」
「悪いね、おじゃまします。ありがとう」

大きめの折りたたみ傘で良かった。傘を広げると幸村くんが入ってきた。右手で握っている傘の柄の真上を幸村くんの左手が握る。ちょっと恥ずかしいが、ふたりともあまり濡れずに済むのはラッキーだ。

「おかしいな、昨日の天気予報では晴れだって母さんが言っていたんだけど」
「うん、昨日のテレビはそう言ってたよね」
「長崎さん、それなのによく傘持ってきたね。この時期は普通降らないし」
「あのね、柳くんが」
「柳?」

彼は足をちょっと止めた。驚いて振り返ると、ごめん、と言って彼は再び歩き出した。

「うん。柳くん。明日は雨が降るぞーってメールくれて」
「そうだったのか。まったく、それなら俺にも教えてくれれば良かったのに」
「天気予報をくつがえして天気を当てる中学生ってどうなの、それ」
「ふふ、さすが立海の参謀、柳蓮二だね」

彼は心底愉快そうに笑った。まったく、柳くんは不思議だ。

***

翌日。昼休みに廊下をぶらぶらしていると、私はいきなり乱暴に腕を後ろにひっぱられた。あっと声を上げるまもなく引きずられて、側にあっためったに人が入ることがない資料室の中へ引きずり込まれた。

「幸村くん?」
「ごめん、いきなり。驚いた?」
「うん。どうしたの」

資料室は薄暗くて、彼の表情はよく見えない。雨がばたばたと窓ガラスに当たって、流れる水が透明な紋様を作り出して次々と形を変えていった。

「さっき君が柳とデートの話をしているのを聞いてしまったんだけど」
「えっ、聞かれてたの!?恥ずかしい」

ここ数日の柳くんは、本当におかしい。テンションも表情も何もかも普通だが、ただ言葉の内容だけがいつもとは全然違う。今日はデートスポットの話なんかを振ってきて、聞いてもいないのに幸村だとここがいいのではないか、長崎、おまえはどう思う?などと聞いてくる。
柳くんは確かに変だったけど、デートスポットなどほとんど知らない私には新鮮な話題でつい食いついてしまった。その、友人や幸村くんと遊びに行くときにも使える情報だったこともある。

「長崎さん」

幸村くんの声が暗い。いぶかしく思って彼の顔をみつめたが、教室の暗さにいまいち表情が読み取れなかった。

「柳とどこかへ行くのか?」
「ええ!?まさか!」
「じゃあなんで柳とそんな話をしているんだい」
「ええと、なぜと言われても」

返答に困る。それに、柳くんとデートなんてするはずがないじゃないか。そういう関係じゃないことくらい、幸村くんだって知ってるはずなのに。まさか仁王くんあたりに変なことを吹き込まれたんじゃ、と疑いかけたがそれは失礼な発想か。柳くんから感染したみたいに今日は幸村くんまで変だった。柳くんと違うのは、今日の幸村くんは行動まで普段とは違うということか。いつもなら乱暴なことは絶対にしないのに。

「なんで柳なんだい」
「はあ?」

幸村くんが一歩詰め寄ってきた。思わずのけぞって一歩後じさると、幸村くんはまた一歩距離を寄せてきた。

「そんなのダメだ」
「何が?」
「絶対に俺は認めない」
「なんの話?」

私はのけぞった。なんかおかしい。幸村くんは眉間に皺を寄せていた。怒っている、というのとは違うのだがなんだか雰囲気が怖い。

「俺は柳より真田より力が強いんだよ」
「ああ、前にもそんな話して――」
「身長は負けるけど、そんなことどうだっていいだろう」
「え?うん、そりゃあ」
「君の荷物で持てないものがあるなら俺が運ぶから」
「はい?」

彼は、しごく真面目に言っていた。私は後じさりすぎて扉の窓ガラスにごちんと頭をぶつけた。痛い。痛みにうずくまると、彼もしゃがんだらしくゆっくり患部を撫でてくれる。そういうところはいつも通り、なのに。

「なんで柳なんだい」
「別に、柳くんを選んだことなんてないよ」
「うん。相談があるなら俺に言ってよ」
「えーと」
「デートスポットが知りたいなら俺と一緒に探せばいいだろ」
「まあ、そうだけど、柳くん詳しいし便利じゃ」
「ダメだ。柳がすることなら俺がする」
「ねえ、幸村くん、どうしたの?」

彼は私の髪の毛をちょっと掴んで、小さくつぶやいた。

「分かってるよ。分かってるんだけど、理性と感情は別物だよね」
「え?うん、まあ」

だから、ダメだから。

結局、幸村くんも変なままだった。情が深いけれど強情、とはこのことなのだろうか。全くわけが分からぬまま一日が過ぎて、この日の幸村くんの感情を理解したのはずいぶん後のことになる。

***

俺は呆れ、げんなりし、そして心から幸村に同情した。幸村精市と柳蓮二とは親友でありながら悪友であるに違いない。全く、頭のいい男とはこれほどタチの悪いものなのか。

「見ろ、ジャッカル。成功したぞ」
「つまり、幸村を嫉妬させたかった、と」
「ああ。上手くいった。俺はデータが取れて、幸村と長崎は絆を再確認し、今日はいいことばかりだな」
「柳、お前、そのうち幸村に殺されるぞ」

俺の台詞を聞いた柳は愉快そうに笑っているだけだった。


(20120714,fin)

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