七色の雲 | ナノ

彼女を初めて意識にとめたのは満開を過ぎた桜が散りゆく季節のことだった。ある日、薄桃に染まる地面の上に座ってコート脇でテニス部の様子を描き始めた。幸村くんの様子を見るに許可も与えているようだったし、私はそれ以上彼女を気にすることもなかった。実際、第一印象を覚えていない。そのくらい印象は薄かった。静かに絵を描くその姿は真面目そうで、だがどこにでもいそうな女の子だった。
明確に彼女を認識したのは、そして彼女がただデッサンをするためにテニスコート脇にいるのではないのだと気がついたのは、しばらく経ってからだった。偶然病院で出会い、声を掛けられたのだ。

(あの、立海男子テニス部の?)
(はい、そうです。ああ、見覚えがあると思ったら――)

当初は単なる世間話かと思い、良さそうな人だな、という印象を受けた。そういうところが幸村くんにも信用されているのかもしれないと。だがその後に仁王くんのことを聞かれ、詳しい話をして、そこで初めて、本当の彼女を見た気がした。

――仁王くん、ときどき冷たい目、してた。藤川さんと一緒にいるときに。笑っているのに笑ってないというか
――柳生くんが一緒に帰ろうっていう藤川さんからの誘いを断っていたのって、……仁王くんのため?

的確な言葉に私は舌を巻いた。
彼女は言った。絵を描くためにテニス部を観察していたから気がついたのだ、と。だがその説明は不自然だ。絵のためならテニス部の感情の動きよりも体の動きだとか服の形に注目するだろう。もともと人の心の機微に敏感な人なのかもしれないが、私は彼女の口ぶりから、ほぼ直感的に気がついてしまった。
彼女は絵を描いているんじゃない。描いているのかもしれないが、テニス部を見ている真の目的は絵を描くことじゃない。しかしどうも、好きだから見ていたいだとかプライベートな情報を集めているだとかはたまたスパイだとか、そういったわけではなさそうだ。仁王くんのことを聞いてきた口ぶり、そして私自身への問いかけからは、ゴシップ的な好奇心ではなくむしろ謎を解き明かす探偵のようなある種の純粋さがあった。

もしかしたら、幸村くんも絡んでいるのかもしれない。彼はときどき彼女の方を見ていた。てっきり彼女が何かテニス部にやらかしてないかチェックしているのだろうと対して意識していなかったが、本当はもっと重大な意味のある行為だったのかもしれない。



最初には協力関係だったらしい幸村くんと長崎さんの関係は、いつのころからか親密さを帯びていった。思えば趣味も性格も合いそうな二人だ。幸村くんは元々テニスに対するような厳しい顔を外ではちらりとも見せないのだけれども、それが、長崎さんと一緒にいるときは一層リラックスしているようにも見えた。8月も終わりになり、全国大会も過ぎて、すっかり昔の通りになったテニス部に彼は満足しているようだった。

二人は楽しそうだった。テンションがあがって楽しんでいる、遊園地に行って騒ぐ楽しさというよりも、縁側でうちわで仰ぎつつ一緒に涼んでいるような、そういう雰囲気だった。仁王くんと藤川さんの関係とは違い、私が知っているどのカップルとも違う関係が不思議に見えた。でも本当は付き合い方なんて千差万別なのだから、これが彼らの「自然」なのかもしれない。

「ねえ、柳生くん」
「なんでしょう?長崎さん」

目の前にいる彼女を見て、私は一層微笑ましく思った。幸村くんと長崎さんの関係が正確には何と称すべきなのかは分からない。恋なのか、友情なのか、それとももっと別の表現が似合うのか。だがどうであれ幸村くんはもっと長崎さんと仲良くしたいと思っているらしい。とても自然な感情で、良いことだ。
以前から思っていたことだが、彼女はどうやら自分にあまり自信がないようだった。卑屈というほどではないかもしれないが、少なくとも私たちテニス部に対して強い遠慮があったのは確かだ。幸村くんがその「遠慮」を取り外そうとしているのは、聞こえてくる話の端々から読み取れた。

「……なんでそんなにイイ笑顔なの?」
「嬉しいからですよ」

報告者第一弾は桑原くんだった。朝練のとき、彼女と幸村くんが一緒に登校しているのを見たのだと言う。彼女は朝早く来る必要などないだろうに、それでも一緒だったのだ。

(悲惨だったぜ)
(おや、何がですか?)
(考えてみろよ、柳生。幸村と長崎。駅から向かう先は当然俺と一緒。仲良いカップルの後ろを駅から学校までずっとつけていかなきゃいけないんだぜ)
(それは……申し訳ない気分になりますね)
(だろ?もう、どうしたらいいのかと)

微笑ましい気分にはなったが、実際に遭遇してしまった桑原くんは少々不憫だ。
次に報告をしたのは、今度も桑原くんだった。彼らが図書館で一緒に勉強をしていた、と今回はむしろ柳くんと切原くんが首謀者だった。それのストッパー役が桑原くんだったようで、桑原くんはやはり不憫な役回りだった。

(柳は堂々とデータを取っているしな)
(ええ)
(赤也は叫び出しそうになるし!)
(……ええ)
(幸村はこう、長崎の手をがっとつかんでエビフライ食ってるし!!俺は!もう!)
(お、お疲れ様でした)

その後で報告が来たのはなんと彼女自身からだった。幸村くんの前で寝てしまったと、ただそれだけで悶々と思い悩んでいた彼女は、まあなんと可愛らしいものかと思った。考えずとも幸村くんがそんな細かいことを気にする男ではないことくらい分かるだろうに、それに気がつくほどの思考力までも奪ってしまうものなのだろうか。恋というものは。
しかし考えてみれば、私の好きなミステリ小説でも好きであるがゆえに登場人物が盲目になってしまって事件が混迷していく、というストーリーはしばしば見られる。やはり、そういうものか。

極めつけは昨日のこと。長崎さんと幸村くんがお互いのことを名前で呼んでいたらしい。どうもそれを目撃したのはテニス部員のようだが、テニス部内にその話はあっという間に広まっていた。むしろ、意図的に広めていた。……仁王君が。

「な、何が嬉しいんですか柳生くん」
「幸村くんを名前呼びしていたと聞いて」
「えっ……ええっ!」
「おや、嘘なのですか?」
「ほんと、だけど」

彼女の声は小さくなった。
今日はたまたまこうして、長崎さんと帰りの電車が一緒になった。幸村くんと駅までは一緒だったらしいけれども、残念ながら長崎さんと幸村くんの家は方向が違うようで今は一緒にはいない。彼女に話している間に、私は、どんどん笑顔になった。

「なんで柳生くんが喜ぶの」
「仲がよろしいようで、仲間としては嬉しいことです」
「そんなもんなのかな。私は恥ずかしいんだけど、柳生くん」

彼女は少しふてくされたような顔をしていた。素直であって素直じゃない。私はあやすように言った。

「大丈夫です。じきに慣れますよ、名前呼び」
「えっちょっとまってー!柳生くん勘違いしてるよ」
「何がですか?」
「あれは罰ゲームであって、その、普段からそう呼ぶというわけじゃあ」
「いいではないですか、名前呼びでも。幸村くんもそう呼んでいるのでしょう」
「でも」
「そこまで苗字呼びにこだわらなくてもいいのでは?」
「うん、まあ……そうなんだけど、そうだけど」

幸村くんは彼女の限界に手を伸ばす。そして限界を少しずつ少しずつ押して、限界の枠を押し広げていく。まるで神の子のように。忍耐強い人だ、とも思うけれども、忍耐というよりも彼女の限界を広げていくというその作業を楽しんでいるのかもしれない。幸村くんのことだ。

「今日はいいことがありました」
「ん?そうなの?」
「ええ。幸村くんとあなたが一緒に帰るのを見られましたから」
「や、やっぱり見られてたんだ……」
「テニス部員もこの時間に帰宅しますから、多くの部員が目撃していると思いますよ」
「そんな!」

いいではないですか。あなた方を見ていると和みますし。
そう言うと彼女はがっくりと肩を落とした。その様子もまた、微笑ましい。


(20120704,fin)

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