七色の雲 | ナノ

人気がないことを確認してから俺は慎重に屋上のドアを開けた。一応鍵がかかっていて立ち入りが禁止されてドアも開かないようになっているから人がいないのは当たり前なのだが、たまに自分のようなやつがいる。実は屋上のドアを開けるコツがあって、端の方をうまく押すと「扉全体が」外れるようになっているのだ。テニス部でこれを他に知っているのは赤也でも丸井でもなく、なぜか柳生だった。

夏の間は暑くて日陰でも屋上にいる気にはなれなかったから、ここへ来たのは久しぶりだった。以前していたように貯水槽の裏に寝転がる。まだ日差しはきつかったけれども、日光で暖められていないコンクリートの地面はひんやりとしていた。
もう10月だ。目を開けると、空の淡い青と混ざってしまいそうなほど薄い雲が細くなびいていた。秋の空は春の空に少しだけ、似ている。

ぼうっとしたくてここへ来たのに、こうしているとあの春の出来事を思い出す。柳生に言われた言葉。優香の顔。真田の響き渡る声。幸村の苛立ち。
もう何ヶ月も前のことになるのか。夏の大会も無事終わってあの嵐のような出来事はすっかり昔の出来事になった。丸井や藤川とはまた普通に話せるようになり心の痛みも未練ももうない。悩むことももうない。けれど疑問はあった。

なぜ優香と上手くいかなくなったのか。どうすれば良かったのかなんて分からないけれども、答えなどない問いなのかもしれないけれども、それはどうにも気になる。どこで間違えたのか、それとも仕方ない結末だったのか。上手くいくカップルといかないカップルの違いは何なのだと、と。後悔というよりも純粋な謎だ。
最近特にそう思うようになったのは、幸村と長崎の様子を見ているからかもしれない。彼らは学校では一緒にいることがほとんどない。幸村と長崎に関する噂は以前としてあるもののだいぶ影を潜めている。だが二人は相変わらず仲がよいのだと俺は確信していた。二人の様子を見れば、お互いに向ける視線の優しさを見れば一目瞭然だった。

あの幸村と長崎のことじゃ、まだ付き合ってないだろうがそれも時間の問題だな。

あの二人は俺と優香の関係とはまるで違う。俺が優香に向けていた感情や行動をそのまま幸村が長崎に向けているとはどうしても思えない。人前ではクールに振る舞い影で実は……ということは考えられなくはないが、幸村の思いはもう少し穏やかなものに見える。熱い男だからその内心は知らんが。性格上当たり前だが優香と長崎もまるで違う。そもそも何故あんなに遠慮がちなのか分からない。幸村と長崎の間にある障害なんてないだろうに。
同じ仲間でも関係がこんなに違う。不思議な話だ。こう、自分が経験した優香との関係と幸村たちの違いが。付き合い方なんて人それぞれよ、と姉が言っていたのをふと思い出す。中学生の付き合い方なんてどれも似たり寄ったりでこんなもんだろう、と思っていたのは単なる思いこみだったのかもしれない。

幸村や長崎はお互いをどう思っとるんじゃ。それが分かれば俺の疑問も少しは解けるんか。今後誰かと付き合うことがあるかもしれんから、参考にしてみるか。本人に聞けばいいんかのう、と独りごちて、俺は上半身を起こした。丁度長崎に聞いてみたいこともある。


***


長崎、と声を掛けて後ろから肩をたたくと当の本人はとびあがった。彼女はぎこちなく振り返った。

「な、なんだ仁王くんか。どうしたの?」
「なんだとはずいぶんな言い方じゃな」
「う、ごめん、いやなんでもないよ」

俺は長崎の目を見たが、視線は合わなかった。彼女は目をうろうろとさせて落ち着かない様子だ。落ち着いた性格の彼女がこんな様子とは珍しい。俺は少し考え、すぐに彼女の状態に納得した。
なるほど。状況は分かった。これは、丁度聞きたかったことが絡んでいるに違いない。

「なあ、長崎」
「何?」
「幸村を名前で呼んでたって本当か?」

テニス部員の一人が教えてくれた。彼らが帰り道でお互いに名前を呼んでいる、と。
幸村が長崎で呼ぶのは簡単に想像できたが、あの遠慮がちな長崎が幸村の名前を呼んだというのが信じがたい。しかも恥ずかしそうに呼んでいたというわけでもなく澄ました顔で堂々と呼んでいた、とか。どんな心境の変化があったのかますます疑問だった。
苗字は固まってほほを引きつらせた。ビンゴ。俺はつい喉を鳴らして笑ってしまった。

「なんじゃ、お前さん、分かりやすいのう」
「な、なんでそのことを」
「テニス部員で目撃者がいたんじゃ」

彼女は絶句した。顔が白くなった気がする。
この様子を見ると、他の人には知られたくなかったことだったのか。とすると、人目をはばかって幸村といちゃいちゃしてなかったが本当はしたかったということか?見られてないと思っていたから堂々としていたということか。

「ラブラブじゃの」
「ラ……!違う!そうじゃなくて」
「隠さんでも内緒にしちゃるぜよ」
「いやそうじゃない、違うってば!」
「何が違うんじゃ」
「そ、その」

彼女は下を向いてぶつぶつつぶやいた。

「見られてないと思ってて」
「二人っきりのときはいつもそうなんか」
「開き直ってただけ!」
「開き直ってた?」

俺は首を傾けた。どういうことだ。

「その。数学のテストあったじゃない」
「ああ」
「テストの点数で賭けをしてて」

負けて。罰ゲームで名前呼ぶことになって。
そう言う彼女の顔はやや赤い。負けた悔しさというよりも名前を呼んだ事から来る恥ずかしさなのか。

俺は長崎をまじまじと見ながら、こんなやつもいるんじゃなあとしみじみ思った。優香は名前で呼ぶことに全く抵抗がなく、むしろ仲良くなったやつは名前呼びで当たり前だと思っているところがある。夏美のように苗字呼び捨てというタイプが最も多いかもしれんが、俺の周りでは名前呼びをする女も珍しくはない。一方長崎は丁寧にも敬称つきで苗字を呼び、さらには彼氏である幸村の名前でさえなかなか呼べない。

初々しいと言うべきか、臆病と言うべきか。幸村とあんなに仲がよいのにこういうところで根強い遠慮が残っているらしい。

「なんじゃ、そういう初々しさが足りんかったんか?」
「なんの話?」
「のう、長崎。カップルが破綻する原因はなんだと思う?」
「唐突だね。……優香ちゃんのこと?」
「まあ、それもあるな。じゃが俺たちのことだけじゃなくて、全体的に」
「うーん、難しいこと聞くね」

答えはないかもしれない、そんな答えなんてあるならどこのカップルだって上手くいくだろう。それでも彼女の答えが気になる。
返ってきた返事は、長崎らしい優等生な回答だった。

「ちゃんと意志を伝え会えることじゃないかな。それから、相手のことを考えられること。思いやり」
「ほう、もうちょい詳しく」
「気持ちを伝え合わないと、どっちかが一方的に我慢しちゃったり不満をため込んだりしそうじゃない。あと、せっかく相手の気持ちが分かってても全く合わせないっていうか、思いやりがないと結局だめになりそう」
「ふむ」

確かに、そうかもしれない。少なくとも自分と優香の関係においては。丸井にもお前って不器用だな、と言われたところでもある。

「と、いうことは……話もとに戻すが、そもそもなんで賭けなんてしたんじゃ」
「なんか、なんでだろう。流れで?」
「ほう。じゃあそれは幸村の思いやりじゃな」
「ええ?」
「お前さん、幸村に言いたいことちゃんと言えてるか?」
「言ってるつもりだけど」

そう、言ってる「つもり」なだけじゃないか。長崎が我慢強くて、そして「思いやり」が強すぎるから「言ってるつもり」でも本心はなかなか「言い切れてない」。我慢させすぎないように幸村が気を配ってるんじゃないか。名前を呼ばせることなんて可愛らしい罰ゲームは、長崎が幸村に本心を伝えやすいように仕掛けた遊びなんじゃないか。
きっと名前呼びに長崎は抵抗しただろうし、そういう名前をめぐるやりとりやなんやかんやを通じて、ちょっとずつちょっとずつ長崎の本心を聞き出しやすくしようとしているんじゃないか。現に、今ではだいぶ幸村に慣れてきたのかいつの間にか身を引くようなことはなくなっているようだし。

そう思ったが俺は何もいわず、にやにやと笑ってしまった。

「な、なによ」
「愛されてるのう」
「付き合ってないよ」
「おお、かわいそうに幸村、こんなに一生懸命なのに長崎に愛が届いてないぜよ」
「だから、そんなことないって」
「ほんとかのう」

俺は突然、肩を叩かれた。さっき俺が長崎にしたように。振り向くと幸村がいた。彼はにこにこ笑っていた、が、分かるもんには分かる。何をいいたいかが。

「プ、プリッ」
「なんだい仁王、さっき言っていたことをもう一回言ってくれないか」
「プピーナ」
「なんだい、嫌なのかい。言えないようなよからぬことを長崎さんに言ってたのかい」

俺は、逃げることにした。

「何もないぜよ。ただ、幸村と長崎の仲を羨ましく思ってるだけじゃ」

幸村がぐっと詰まったのを横目に、俺はさっさとそこから逃げた。軽く廊下を走って階段を駆け上がり、勢いよく屋上に飛び込む。勢いが付きすぎてドアがはずれて外に倒れた。俺はその上に乗っかって、寝転がる。
何も分からん。終わったことに解決もなにもない。それを望んでもいない、また優香と付き合いたいとも思わない。だが次に誰かと付き合うことがあるならば、幸村長崎方式でいってみるかのう、と心の中でつぶやいた。


(20120701)

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