七色の雲 | ナノ

風景画は美しい。暗いテイストのものであれ明るく小奇麗なものであれ、どこか物語の世界に出てきそうでドラマチックな舞台が似合う。でも本当は絵よりも現実の方が美しいんじゃないか。絵描きはただ現実を切り取って、思いを乗せて描いているだけで。

思わず口に出すと隣の幸村くんは「そうかもしれない」と答えた。この景色を見ているとそんな気分になるね、と付け加える。
私たちが今日この庭園へ来ることにしたのはほとんど衝動だったけれど、結果的に最善の選択になった。空高くに千切れて泳ぐひつじ雲、たまに舞い落ちる赤黄の木の葉、道行く人を優しく撫でる風、全てが心地いい日だ。まるで小春日和が私たちを待っていたかのように。

(どうかな、今回は東京の)
(それ、私もそこがいい)
(コスモス?)
(うん)
(決まりだね)

私は笑んだ。以心伝心、と言って良いのかは分からないけれど少なくとも意見は一致。久しぶりに少し遠出をして今が旬の庭園に行こうという話だ。コスモスがよい季節だから。庭園はいつ訪れても表情が違ってどれもいいものだけれど、春は花粉がきつくて夏は蚊に追われ冬は寒いから、結局、外でぼうっとゆっくり過ごすには秋が一番いい。

緑葉と紅く染まりかけた葉が重なる。ひらひらと黄が地面に溶ける。木々の根元に広がる池には赤白の魚。灯籠や石垣の厚い苔は未だに瑞々しさを保っていた。最後の蝉が鳴いている。じりじりと最期の力を振り絞って鳴く。日差しに残る夏の熱はだいぶ薄れていて、湿気を過多に含む力はない。
もともとこの庭園が美しいのか。それとも美しいと感じられる心の余裕のせいか。テストが終わって心配事もなく、何より彼が隣にいるせいか。分からない。でも確かに幸福感はある。生命力溢れる春とは違って厳しい冬へ向けた、命の終わりさえも感じさせるもの悲しい季節だけれども、それもが幸せを引き立てる。

私は黙っていた。彼も黙っていた。髪が風に遊ばれて額をくすぐる。隣に座る彼の腕が私の腕に熱を伝える。庭園を見てまわる他の客の声、鳥の羽ばたき、水音、葉のさざめき、衣擦れのような小さな風。それで十分だった。深呼吸をすると、湿度の下がったぬるい風に馥郁とした花の香りが微かに混ざっている。日々の生活で少しずつ溜まっていた疲れが、ほぐれて体外へ溶かし出されるような気分だ。ゆっくり瞬きをする。座っているベンチは茂みに囲まれていてここまで人はやってこない。遠くを行き交う人はオレンジや赤茶、山吹などすっかり季節に染まっている。

秋が来た。秋なのだ。

もう少ししたらテニス部は秋の大会がある。冬休みを越したら新年に小さな試合があって、年度が変わればいよいよ最後の全国大会だ。こうして希望を持って先のことを考えられるのもまた余裕のある証拠だろう。目の前のことしか考えられなかったあのころとは違って。

「長崎さん、大丈夫かい」
「ん?」
「テスト直後なのに朝から出かけて」

昨日ようやく試験が終わって、今朝は8時に家を出た。久しぶりに出かけるからと余裕をみて結局起床時刻は朝6時。お姉ちゃんにも呆れられたが仕方がない、幸村くんと都合が合ったのは今日のこの時間帯だけだった。それなら寝ているよりも彼と出かけたい。

「幸村くんこそ」
「俺は体力があるから」

ぽん、と頭に手を置かれてゆっくり撫でられる。私はもう一度目をつぶって深呼吸をした。頭をゆっくり彼の方に押されて、それで。

また目を開けるはずだったのに。


***


偶然見かけた彼女の顔に歓喜なのか苦悩なのかそれとも悲哀なのかよく分からぬ表情が宿っていた。いつも落ち着いている彼女が感情を出していることは珍しい。その表情がなんとも煮え切らないものであるところも、それに本人が気がついていなさそうなところも珍しい。私は彼女に声を掛けた。

「長崎さん、こんにちは」
「柳生くん……」

微妙な顔をしている割に、彼女の頬は少し赤味を帯びている。体調が悪いのかもしれない。普段と違う様子にも、それなら説明がつく。ここのところすっかり秋らしくなって気温も下がってきた。季節の変わり目は風邪を引きやすい。

「大丈夫ですか?調子がすぐれないのですか」
「だめかも」

元気のない声、熱っぽい目。間違いない。

「保健室まで送りましょう」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょう」
「どうしよう」

どうしよう?妙な反応に頭をかしげていると、彼女はがっくりと肩を落としてため息を履いた。彼女の口から地を這うような言葉が漏れた。

「ねえ、柳生くん」
「な、なんでしょう」

彼女の口調は重い。私はそのテンションの低さに気圧された。

「人と一緒にいるのに寝るってさ、退屈だって意味になるじゃない」
「え、ええ」
「喋っている相手に寝られたらショックじゃない」
「まあ……」
「どうしよう!」

彼女は校舎の壁に手をついたかと思うとずるずると頭を抱え込んだ。私はぎょっとして周りを見渡す。幸い誰にも見られていなさそうだ。ほっと一息ついて「何があったのですか」と聞くと彼女は小さな声でぼそぼそとつぶやいた。

「幸村くんの前で寝ちゃった」
「は」
「気がついたら膝枕してもらってて」

私は声を失った。膝枕に驚いたわけではない。幸村くんと長崎さんの仲ならそのくらいのことがあっても驚きはしない。ただ何を言ったらいいのか、どう声を掛けたらいいものかが分からなくて私は黙り込んだ。

「どうしよう、そんなつもりじゃなかったのに」
「そこまで悩むことではないのでは」
「だって失礼じゃない。柳生くんだってさっき同意してくれたじゃない」

しまった。そういうつもりじゃなかったのだ。相手との関係性による。目上の人に話を聞きに行ったにもかかわらず寝てしまったのならばそれは確かに失礼だ、だが幸村くんと長崎さんの場合は違う。むしろ幸村くんは嬉しいのではないか。
私は昨日、日曜日の練習で見た幸村くんに思いを馳せた。いつも通りだった気がする。しかし、思えば鼻歌を歌い出しそうな雰囲気ではなかったか。こういう会話をしたからそう思えてきた……わけではない、間違いない。丸井くんが練習前に「幸村くん、今日は機嫌いいな」と言っていたはずだ。
彼の機嫌の良さは長崎さんとは関係ないものであるかもしれない。だが、もしかしたら、という気持ちがほぼ確信のように私に取り憑いた。

「長崎さん、長崎さんはあまり人前で寝ませんよね」

彼女は素直に頷いた。不安そうで、悩んでいて、その純粋な様子が心に染み込んでくる。私は気がついたら微笑んでいた。これを微笑ましく思わず何と思おう。

「もう一つ質問です。貴方はどんな人にでも寝顔を見せられますか?」
「まさか!恥ずかしいよ」
「ええ、そうでしょうね」

彼女は落ち着かなさそうな様子で私を見る。
私は彼女の目を見て、最初に会ったころとはずいぶんと印象が変わったことに気がついた。今も昔も丁寧で落ち着いている女性には違いない。でも以前はどこか自分の周りに壁を作っているような、誰にも心の内を見せなさそうな風に見えていた。だが今はどうだ。私にさえこうして素直に感情を見せている。それはひとえに幸村くんの影響なのだろうけれども、それがとても嬉しかった。

「長崎さん、単に疲れていたというだけでは貴方は寝ないと思いますよ」
「そんなこと分からないよ」
「いいえ。幸村くんは嬉しかったと思いますよ」
「遊びに行って寝られたのに嬉しいだなんてこと」

くすり、と笑いが漏れてしまった。慌てて口を閉じたけどもう遅く、彼女は怪訝な顔になった。しかし丁度良かったかもしれない。落ち込むことも悩むこともないのだ。本人からしたら深刻な問題なのかもしれないけれども、それが好きということなのかもしれないけれども。

「大切な人の寝顔が見られるだなんて、嬉しいではないですか」

彼女はぽかんとした顔になった。
その顔を見て、私は自分の言った言葉の内容を把握した。なんて大胆なことを言ってしまったのだろう。

「ほら、長崎さんに心を開いてもらえたということです」
「そ、そうな」
「そうです!大丈夫ですよ、ではこれで」

暗い感情は消せたのかもしれないけれど、今度は謎を彼女に与えてしまったかも知れない。しかしそれでもマシだろう。思わず熱弁してしまった。自分の言った言葉を思い出すと顔が赤くなる。考えない方がいいかもしれない。
きっと彼女は今日も幸村くんと一緒に帰る。そのころには、もうきっと大丈夫。


(20120520,fin)

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花子さん、透明人間さん、リクエストありがとうございました!

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