七色の雲 | ナノ

自分には厳しく、人には細やかな気遣いを。品行方正に生き、困っている人には親切に。私は幼いころからそう振る舞うようにしつけられてきた。自然に紳士と呼ばれるようになり、自分の行動の正しさに疑問を抱くこともなく今まで生きてきた。その「正しさという前提」が崩れそうになったとき、私はひどく困惑し、悩み、しかし変わりゆく自分を止める気も起きず、そんな自分にまた当惑した。

私はきっと、彼女のことが好きなのだ。見た目が清純な人は少なくないが、性格まで清らかな人がはたしてどれほどいるだろうか。
そばにいると心拍は上昇し、ぶしつけな質問をして相手のことをもっと知りたくなる。艶めく黒髪や肌に触れてみたくなる。女性相手にそんなことをしてはいけないのに。必死で自分を押さえる汚い私に彼女は綺麗な微笑みを見せてくれるのだ。

正しい行いができない。
できなくなりそうになる。
正しくないとは何だ。
正しいとは、何だ。

灰色の自問自答を繰り返す一方で、藤川さんと話をしてふわふわと浮つく自分がいる。普段ならば、自分をダメだと思えば自戒することができたのに。

紳士な私が崩れる。
紳士とは何だ。
私はどう振る舞うべきなのか。

少し前まではっきり分かっていたことが今ではもう分からなくなっている。今までの自分をひっくり返しかねない疑問の中にあっても私の目は無意識のうちに彼女を追い、観察し、理解しようとした。


出会ってから数週間。私は一つの事実を発見した。


「高橋さん、少し伺ってもよろしいですか」

「何、どうしたの?」

「藤川さんのことなのですが」


もしかして彼女は仁王くんのことを慕っておいでなのでしょうか。そう尋ねると、日に焼けた彼女はにんまり笑って頷いた。


「分かりやすいんだよね、あの子。顔に出てるでしょ?」

「ええ、そうですね」


私は苦笑して答えた。そう、彼女は気持ちが外に出やすかった。見ていればすぐに分かった。藤川さんは人とつるまない仁王くんにも積極的に話し掛けた。彼と話をしているときの笑顔は格別に柔らかくて、彼を見つめる目は何よりも熱心だった。明白だったのだ。彼女が彼を好いているということは。
それでも確かめずにはいられなかったのは、もしかしたら違うかもしれないと思いたがる自分の心を説得したかったからだ。コントロールの利かなくなった自分を少しでも元通りにしたかった。


「柳生、あの子のこと、好きでしょ。どういう好きかは知らないけど」


驚いて高橋さんの方を見た。どういう好きかはしらないけれど、という言葉に彼女の優しさを感じて、胸が少し締め付けられる。彼女は大切なものを愛でるような目付きで、遠くにいる藤川さんと仁王くんのことを眺めていた。


「分かるよ、その気持ち。私も好きだから。あの子といると幸せな気分になる。柳生もそうでしょ?まっすぐで、表裏なくて、一生懸命で、優しい。日だまりなんだよね、優香は。いつも笑顔で、明るくて。あの子のそばにいるだけでこっちまで幸せになる」

「分かります」


分かる、と心の底からそう言いつつも理解できない気持ちもある。私は高橋さんとは違う。藤川さんは私を幸せをくれた、しかし私はそれを痛みに変えてしまうのだ。自分に問題があることは分かっている、それでも心の有様を変えることはとても難しい。
何をすべきで、何をすべきでないのか。私にできるのは、行動が気持ちを変えることを願っていつも通りに振る舞うことだけなのだろうか。


「優香の優しさは、いろんな意味で柳生の優しさとは違うなあ。感覚的に。どこが、と聞かれてもなんとも説明できないんだけど」

「……?そう、ですか」


唐突にそんなことを言う高橋さんの意図が飲み込めず、曖昧な返事を返す。当然、自分と藤川さんは違う。違う人間なのだから当たり前のことであるし、彼女の優しさは確かに自分のような「人に優しくあろうとして生まれた優しさ」ではない、もっと自然なものだ。しかし、優しい人というのはたいてい自分よりも藤川さんに似たタイプであって……、その違いをなぜ高橋さんが突然指摘しようとしたのかは分からなかった。


「気持ちなんて自然と出てくるものだから。あまり理性で考えすぎない方がいいかもよ、優香のこと」

「そうですね、ありがとうございます」


高橋さんは唐突だった。会話の文脈があまりなくて、何かを言おうとしてそうなっているのかただ話が飛んでいるだけなのかよく分からない。しかし言葉の端々から彼女の人柄の良さ――藤川さんのそれとは違う、正直で率直な思いやりは感じ取れる。
私は素直に感謝の意を表して、密かにため息を吐いた。


***


私は、仁王くんを気にするようになった。恋のライバルとしてというよりも、実は好奇心の方が強い。あの藤川さんの惚れた男とはどんな人なのだろう。私とはどう違うのだろう。どんな魅力があるのだろう。その思いから、私は自然と彼を目で追うようになった。私は彼のことをほとんど知らない。この大人数の中で、存在は知っていたものの話したこともない。


「おまえさん、柳生じゃろ」


ある日、彼は背後から猫のように音もなく近づいてきて言った。振り返ると、彼は口元に笑みを浮かべて――しかし目は用心深く光らせて、立っていた。両手をポケットに入れ背中を曲げていた。

――私とは正反対の男だ。一見してそう思わせられる。


「はい。こんにちは仁王くん、話すのは初めてですね」

「そうじゃな、よろしく」


彼はするりと私の隣に来、当たり障りのない話をし始めた。内容はなくただ時間が流れ、何が言いたいのか魂胆のわからぬ雑談。

――この人は抜け目がない。

口で何気ない話をしながら、彼はそれとなく目でこちらの様子をうかがっている。彼は私を観察しにきたのかもしれない。私が彼を見ていたことに気がついたのか。ただの偶然か。
腹の中を見せぬ用心深さ。表面上は愛想よくしながら懐に小刀を忍ばせるようなしたたかさ。きっと彼は私が彼の観察に気がついているということに気がついているだろう。
彼は入部から数週間たった今でも、まだだれともつるもうとしない。誰とでもあたりさわりなく仲良くできているといえばそうだが、逆を言えばまだ誰にも心を開いていないということなのかもしれない。


「仁王くん!」

「おう、なんじゃ」


嬉しそうな顔をして藤川さんが近づいてきた。仁王くんはすぐに後ろを振り返る。その時ちらりと見えた彼の横顔――目元は、優しく細められていた。

その瞬間私は悟った。

仁王くんは、本気で藤川さんが好きなのだ。それはおそらく上辺だけの好意ではない。
本気でなければ、仁王くんのようなタイプがあのような優しい目付きをするとも思えない。
仁王くんは、本気だ。

彼の立ち上がった白い髪が、風にふわりと揺れた。


(20110905、続く)

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