七色の雲 | ナノ

ノートに数式を書き込むたびにカリカリという音がする。そんな小さな音さえも耳が拾えるほどの静けさ。耳を澄ませると、人が絨毯の床を歩く音や紙を捲る音がする。図書館独特の、古びた紙の香り。目の前に座っている男の子は目を伏せて一心に勉強している。俯くと邪魔になるのか、髪を耳に掛けているのがちょっと可愛い。教科は私と同じ、数学。字は薄め。几帳面に上の行から文字で埋めていく。幸村くんはずいぶん丁寧な証明をするものだな、と思う。
一緒に勉強する、と言っても教え合いをするでもない。こうして頭を付き合わせて別々に勉強しているだけだ。じゃあ一緒にいる意味なんてあるのか。そもそも私は彼の勉強の役に立ってない。けれど、そういうことじゃないんだろう。そう、たぶん一緒にいる意味はそういうものじゃない。

休日の図書館は子供からお年寄りまで、様々な人がいた。みんな本を片手に静かに行ったり来たりしている。

いつの間にか自分の手が止まっていたらしい。幸村くんが顔を上げた。目が合う。彼はにこっと笑ってくれたけれど、私は恥ずかしさで一杯だ。ぼんやり幸村くんを見ていたことがばれてしまった。
身を乗り出して、肘をノートの上に載せて、ささやくように彼は言う。

「もうそろそろ昼にしようか」

壁に掛かった木の時計を見やると、もう12時半を回っていた。身を乗り出してささやき返す。

「もうこんな時間だったのね」
「集中していたら早いね。出ようか」
「うん」

参考書と教科書、ノートをぱたんぱたんと閉じて鞄にしまう。窓から見た空は澄んだ青。高く薄くとぎれとぎれ浮かぶ雲に、もう夏らしさはない。強すぎもない日差しが色を変えつつある木の葉を輝かせる。光沢のある木の葉が光を反射して、そよ風に揺られるたびにきらきらと白い輝きを振りまく。
よい日だ。


***


芝生に落ちた木陰に、彼はどさりと座り込んだ。服が汚れるとかお尻が痛いとかそういう細かいことは気にしないらしい。幸村くんは字だって丁寧だし服もきっちり着ているけれど、ときどきそういうことをする。乱暴というか、雑というか、不思議なものだ。全てにおいて丁寧なのはたぶん柳生くんで雑なのは切原くんか。彼はその中間、みたい。昔はただ綺麗で優秀な幸村くん、という印象だったのがどんどん変わっていく。丁寧さの間に見える乱暴さというか男らしさというか、を見つけてはドキっとする。

私は彼の隣に腰掛けた。鞄からお弁当を取り出して、幸村くんの方を見て、驚く。彼は私と反対のことを思ったらしくて声を上げた。

「……そんな小さい弁当箱で足りるのかい」
「むしろ幸村くん、大きくない?」

何が驚きかって、その大きさ。自分の弁当箱の二倍くらいありそうだ。そんな馬鹿な。だって幸村くん。いや確かに小柄でもないし華奢でもないし男の子だし、よく食べても不思議ではないけどそんな。

「長崎さんは少食なんだね」
「少食だなんて初めて言われた。運動しない女子なら普通はこんなものじゃないかな」
「それで足りるなんて、同じ人間だとは思えないな」
「そんな」

あまりにも真剣な言いぐさに大笑いする。意外だ。意外と食事に執着しているらしい。食べ物といえば丸井くん、よく食べるといえば丸井くんとばかり思っていたけれどそうでもなかったらしい。そうだ、そりゃあそうだ。いくら大人びていたって幸村くんも成長期。何もしていなくたってお腹の空くお年頃、か。

「幸村くんは運動もしてるもんね、テニス部だとみんなそれくらい食べるの」
「うん。仁王はやや少なめで丸井はやや多めだけどだいたいみんなこんなもんだな」
「ふうん、違うものだね」
「ふふ」

蓋を開けるとプチトマトの赤やパプリカの黄色がまぶしい。今日幸村くんと出かける、と言うとお母さんはずいぶん喜んでお弁当を作ってくれた。休みの日に出かけることなんてめったになかったのに、とか明るくなったとか、なんとか。
幸村くんとはずいぶん昔からの友人だったような気になっていたけれど、思えば知り合ってからまだ半年経ってないのだ。私は変わった。女子テニス部の彼女に救われ幸村くんに救われ周りに救われ、今度は私がと思うけれど何かできているのだろうか。

お箸でおかずのエビフライをつまみ上げると、幸村くんが言った。

「美味しそうだね」
「昨日の晩ご飯でも食べたんだけど、美味しいよ!食べる?」

幸村くんって確か、焼き魚が好きなんだったっけ。もしかしたら魚だけじゃなくて魚介類全般が好きなのかも知れない。女の子同士じゃないんだしおかずをあげるなんて無遠慮だったかな、と思ったけれど、幸いすぐに彼は頷いた。

「ありがとう。もらう」
「魚介類好きそうだよね。もう一つ入っているから、そっちの方を」

お箸で触っていない方を食べて、と言い切る前に彼は私の右手をお箸ごとつかんだ。

「えっ」
「いただきます」

彼は私の手首を器用にくいっと彼の方に向けて、そのままぱくりと食べた。食べた。私のお箸から。嫌、いや違う嫌じゃないけれど、でも。
自分でも分かるくらい動揺している私に反して、彼は全くいつも通りだった。恥ずかしがっているわけでもなく、すました顔をしているわけでもなく。たぶん心から、本心で、本当に気にしていないのだろう。

「幸村くん」
「あ、この唐揚げ、もらったエビフライの代わりに」
「ありがとう……ってそうじゃなくて」
「うん?」
「えーと、いつもそういうことしてるの?」
「そういうことって?」

自然なことらしい。特別なことをしたという意識もない。

「いや、なんでもないです」

幸村くんは不思議そうな顔をしている。私はがっくりと頭を垂れた。ダメだ。聞けない。


***


「ほう」

俺は思わず声を上げた。ノートを開いていつものようにメモを取る。これは、これは。幸村が長崎の手からおかずを食べた。ここからは遠くてよく見えないが、いわゆる「あーん」ではな。遠目でもよく分かるくらい長崎は挙動不審になっている。

「な、なあ、柳」
「どうした、ジャッカル」

隣を見るとジャッカルが「んーっんー!!」と声を上げる赤也の口を押さえている。ジャッカルがそうするであろうことは分かっていたが、改めて考えると助かる。声の大きな赤也のことだ、もしかしたら幸村たちまで声が届いてしまっていたかもしれない。
ジャッカルが手を離すと、赤也はぷはっと息をした。小声ながらすごい勢いで話し出す。

「見ました!?見ました、見ましたアレ!?」
「ああ」

ジャッカルが何故かやつれ気味に見える。事の発端はジャッカルで、部活前に長崎と幸村が一緒に登校しているという情報をぽろっと赤也に言ってしまった。それで興味津々になった赤也と赤也を抑える役のジャッカルと、そして「純粋な知的好奇心から」気になった俺が図書館で勉強ついでに二人の様子を見に来たというわけだ。

「なんなんスかあれ、ラブラブじゃないっすか!!」
「ふむ、少し違うな」
「そうなのか?」
「どういうことっスか」

俺はノートをぱらぱらと捲った。

「幸村の様子は普通そのものだ。おそらく愛情表現というよりは無意識の日常行為なのだろう」
「でも部長がそんなことしてるの見たことないすよ」
「確かにそうだな」
「俺のデータにもない。だからここからは単なる想像だが」
「だが?」

つまり、他の人と接するときと長崎と接するときの「壁」のあり方が違うのだろう。心を許していると言えばいいか、一種家族のように、当たり前のように思っているのだろう。


(20120429)
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灯弥さん、芹菜さん、わたるさん、朔良さん、サカキさん。リクエストありがとうございました!

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