七色の雲 | ナノ

初めて一緒に下校したあの日、校門の外で私を見つけた彼は笑い出した。私は電柱の影から微妙な面持ちで彼を見やる。必死なのだ。緊張しているともいう。笑い事じゃないのだ、私にとっては。真剣な、真剣に、この、真剣さ!彼の人気がちょっと恨めしい。
幸村くんは可笑しそうに口を手で押さえながら、ジャージの裾をなびかせてこちらへ来た。

「なんでそんな変な場所にいるの」
「だって」

だって校門の脇に立っていたらいかにも「誰か待ってます!」という感じで悪目立ちしそうじゃないか。テニス部の練習が終わる前に待ち合わせ場所の校門に着いた私は、目立ちすぎずしかし分かりやすい場所を求めて5分ほど挙動不審になった。結果、落ち着いたのは校門から数メートル離れた場所にある電柱の影。校門からきょろきょろと見回せば私がいることが分かり、しかしなんとなく校門から出ると気がつかないようなところ。電柱の影に潜むなんてまるで漫画に出てくるストーカーだなと思うけれどもここが一番いい。そういう結論にたどり着いた。
彼は笑いを治めると、私を見て少し首を傾けた。

「まあいいや、帰ろうか」
「うん」

あたりは夕日に染まっている。徐々に東から薄闇が進行してくる。西の空は赤に近い橙色に染まり建物の窓は色を強く反射して、くっきりと物影を浮かび上がらせていた。夜が来る。
彼は大きなラケットバッグと鞄を肩に掛けて、颯爽と歩いている。朝とさして変わらぬその後ろ姿を見て、私はちょっと不思議な気分になる。私は今、幸村くんと一緒に学校から帰っているんだ。

「ごめん、俺歩くの速いね」
「ううん、むしろ合わせさせちゃってごめん」
「気にしないでくれ。テニス部だと早足が基本だけど、今は急ぐ必要もないんだし」
「ありがとう」
「うん」

思えば、三強は特に歩くのが速い。幸村くんと出かけたときや朝はそうは思わなかったのだけれど、部活の後に会うと早足になっている。そうか、これはテニス部の影響だったのか。
私は黙って足を動かして、彼の斜め後ろをついていく。早く家に帰りたいだろうに、私がとろとろ歩いているわけにもいかない。きびきび歩いているつもりだったのだけれどさすがに彼らの速さには負ける。
突然、幸村くんは足を止めた。

「何かあった?」
「ん、何が?」
「いやに無口だなあと思って」
「え、えーと、……幸村くん疲れてないの?」

こちらを伺っていた彼が片眉を上げたので、私は慌てて説明した。

「その、部活後だから疲れてるかなあって。練習ハードなんでしょ?それなのにしゃべりかけられたらうるさくない?」
「そういうことか」

彼は足を止めて空を見上げた。つられて私も同じようにすると、紺から橙のグラデーションがかかっている真ん中に切り取られたような月があった。さっきまでは気がつかなかったのに。空が濃くなったせいか月は明確な輪郭を持って存在を主張していた。
こっそり横目で見ると彼の通った鼻筋に光が当たって、目鼻の陰影をより強くしていた。

「問題ないよ。疲れていないわけじゃないけれど、長崎さんの話をうるさく感じるほど疲れてるわけじゃない」
「すごいね、さすが。さっき出てきてた一年生は幽霊みたいな顔してたのに」
「幽霊だって?『死にそう』を通り越してるじゃないか」

彼は肩をゆすって笑い出した。実に楽しそうだ。きっとハードな練習を課すことは当たり前なのだろう。むしろ、疲れ果てるまで練習させようとしているのかもしれない。

「だから、俺は大丈夫だから。話をしようよ、せっかくなんだ」
「無理はしないでね」
「立海部長の俺がこれくらいの練習でへばるような男だと思うのかい」
「そっか」

私は笑顔を浮かべて頷いた。「これくらい」で済まされる量じゃないのは知っている。けれど、そこにつっこんでも仕方がない気がした。


***


「慣れたね」

突然幸村くんがしみじみとつぶやいた。彼は感慨深げで、目を伏せてほうっとため息をついた。頭をかしげる。何の話だろう。

「俺と長崎さんのことだよ」
「うん?」
「最初は待ち合わせの場所だとか時間だとか、それこそ歩くスピードまで何から何まで新鮮で手探りだったじゃないか」
「そうだね、言われてみれば。なつかしいな。なんか変な感じ。たった3週間前の話なのにずっと前のことみたい」

お腹の中からつつかれているような温かいくすぐったさがわき上がる。一時の楽しさだったはずの非日常が日常へと変化していく、この幸福感。彼の隣で歩くことは、すっかり私の日々にとけ込んでいる。慣れれば慣れるほどドキドキは減るかもしれないけれど、暗闇にほんのり灯ったぼんぼりみたいなこの幸せはきっと減ることも無くなることもないだろう。

「今なら柳より長崎さんに詳しい自信あるよ」
「もともと柳くんは私のことそんなに知らないと思うよ」
「そうかな」
「そうだよ、だって最初から幸村くんほど仲良くないし」
「でもメールしてただろ、それにあいつの情報網はたいしたものだからな」

……確かに。柳くんに言ってないことを知っていることなんて多々あるし、ただメールをしているだけなのになんとなく「データを取られている気がする」こともある。そこから推測したのか、そもそも誰にも言ってないことを言い当ててくることも。

「私のことなんて知ってもしょうがないのにね」
「そんなことはない」

彼は強く言い切って、それから声のトーンを変えて続けた。

「長崎さん、次の日曜日予定あるかい?」
「次?ううん、なんにも」
「じゃあ一緒に図書館で勉強しないか。もうそろそろ中間考査だろう」
「あ」

すっかり忘れていた。二学期の中間は10月の1、2週目にある。もう残り2週間ほどだ。

「うん、ぜひ!」
「よかった。じゃあ、10時に駅前でいいかい」
「もちろん。幸村くん偉いね」
「何が」
「私すっかり忘れてたのに、早めに勉強しようなんてさ」

道路に落としていた目線を上げると、丁度顔の先に枯れかけた桜葉がひらりと落ちてきた。まだ木の葉が色づくにはちょっと早い。未だに蚊はいるものの残暑はずいぶん和らぎ、木はすっかり夏のみずみずしさを失って落ち着き始めている。まだ銀杏は緑のままで、でも確実に黄に変色する準備をしている。そんな季節だ。

「平日はテニスで疲れ切ってしまうこともあるからね、俺たちは早めに勉強すべきなんだ」
「志高いなあ、普通は運動頑張ってるんだからちょっとくらい勉強さぼってもいいやって思いそうなのに」
「先生や保護者に嫌な顔されちゃ困るからね。それに」
「もしかして、真田くん?」
「そうそう、真田が『たるんどる』ってね」
「ふふ」

真面目な彼の言いそうなことだ。どこまでもまっすぐな真田くんはテニスのせいで勉強ができないなどという言い訳は許さないだろう。その強さが、更にテニス部員を鍛えているようにも思える。

「そういえば、切原くんは大丈夫なの?」
「ときどき柳生と柳が面倒を見てくれているようだが……どうにも」

彼は言葉に詰まって、困ったような顔をした。立海レギュラーの中で幸村くんが最も心配なのは、彼なのだろう。後輩だからという理由だけではなく。


(20120403、続く)

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