七色の雲 | ナノ

始業式の今日、9月1日。テニス部の朝練に行く時間よりも早く、家を出る。もう秋だというのに昼は未だに長く、早朝でも太陽は顔を出していた。残暑の厳しい日になりそうだと思いつつ、深呼吸をする。学校からの最寄り駅に着くと、普段とは違って俺は足を止めた。通行の邪魔にならないように道の端に寄る。腕時計は約束の時間の20分も前を指していた。
気合いが入りすぎたか。
そんな自分を小さく笑って、俺はラケットバッグを肩にかけ直した。学校は好きだけれど夏休みが終わるときはいつだって複雑な気分になる。久しぶりに始まる友達との生活が楽しみな一方、自由な時間と夏の終わりが惜しい。それでも久しぶりに着た制服からは新鮮な香りがした。休み中も学校にはよく部活で足を運んでいたのに、今日はことさら新しい日の始まりに思える。久しぶりに教室に行くから、久しぶりに授業が始まるから、理由は様々あるだろうが、一番大きな要因は『彼女』に違いない。

「おはよう幸村くん、ごめん、待った?」
「おはよう、長崎さん。いや、来たばかりだよ」
「まさかこんなに早く来てるなんて」
「それは俺の台詞だよ」

彼女は俺の姿を認めると、改札の奥から急いで走り出してきた。まだ約束の時間まで15分ある。彼女と俺が同じ行動を取ったことが可笑しくてクスリと笑うと、彼女も照れたように笑った。

「じゃあ行こうか」

彼女が落ち着けるように一呼吸置いて、歩き出す。もう何度もこうして彼女と並んで歩いたのに、朝という新しい時間帯のせいか一緒に登校するのが初めてなせいか心が弾む。

「長崎さん、大丈夫なのかい」
「うん、本も画材も持ってきてるし」
「いいの?」
「本が読めるし絵も描けるから、望むところ」

運動部にも委員会にも所属していない彼女は当然、こんなに早く登校する必要がない。一学期にメールで宣言した通り、全国大会が終わったら俺は彼女と一緒に下校するつもりだった。そういう誘いも既に掛けていた。だがまさか登校まで共に出来るとは全く思っておらず、長崎さんから遠慮がちに「一緒に登校してもいいか」と申し出があったときは驚きのあまり息をのんだ。

「幸村くん、何かいいことあった?」

彼女が俺の顔をのぞき込んでいる。どうやら思い出し笑いをしていたらしい。頬が緩んでいる気がする。

「いやね、まさか長崎さんから一緒に行こうと言ってもらえるとは思っていなくて」
「あっ」

彼女は変な声をあげて絶句した。慌てているように見える。俺はすました顔をしながら、密かに心の中で微笑む。ずいぶん距離が近づいたものだ。昔の長崎さんは妙な遠慮をしていて、こういう油断したような声を出すことなんてなかった。そしてきっと、前までの彼女なら「ごめん、迷惑だったかな」と引いてしまっただろう。今はもう彼女に、多少なりとも俺の気持ちが伝わっているのだ。嬉しいという気持ちが。
俺の発言にどきっとした顔をする彼女を見るのはなかなか面白いのだけれど、からかうのはこのあたりで止めよう。

「宿題終わった?」
「うん、そろそろ夏休みの最後に慌てるのは卒業しようと思って」
「意外だな、長崎さんはもともと計画的にこなしそうなのに」
「うーんそうでもないかな。お姉ちゃんはしっかりしてるんだけど」

出会ってからまださほど時間が経ってないとはいえ、そしてテニス部の問題で頭を痛めていたとはいえ今までの俺は一体何をしていたのか。どれだけ彼女自身のことに無知だったのかと考える。未だにこうして話をすればするほど知らなかった彼女の側面が見えてくる。

「幸村くんは?大会終わったのついこの前だし、大変だったんじゃないの」
「今年はテニス部の何人かで集まって一緒に宿題をしたこともあったな。全国大会に集中していると宿題をさぼりがちになるからさ」
「ふうん、みんなで頑張ろうってきっちりしてるんだね」
「真田が特にうるさいからな」

彼女はぶっと吹き出した。真田くんらしいね、と可笑しそうに言う。俺は彼女の笑顔を見て目を細める。
何よりも、こうやってリラックスした笑顔を見せてくれるようになった。

「切原くんはどうだった?」
「想像通りだと思うよ。……長崎さん、赤也の書いた『果たし状』見たんだろ?」
「うん」

彼女はまた吹き出しそうになった。今度は笑ったら赤也に申し訳ないとでも思っているのか、笑いを我慢している。でも目が明らかに笑っていて全く隠せていない。
もう少しで学校に着く。

「赤也にはもうちょっと勉強頑張ってほしい」
「漢字が苦手なんだっけ」
「それもあるけど英語の方がひどいんだ」
「地道に勉強していけば大丈夫だよ」
「頑張らせるしかないかなあ。彼は次期の男子テニス部を引っ張っていくルーキーなんだから、悪い成績で足をひっぱられるなんてことはないようにして欲しいのだが」
「テニスのせいで勉強しなかった、なんて言われたくないもんね」

そうだねえ、と彼女は頷いた。真田は「我が部としても不名誉なことは避けねばならん」としか言わないが、まさにそれが彼の懸念事項だ。いくら運動ができても成績が壊滅的だったら保護者や先生からの視線は厳しくなる。中学生の身としてはいまいちピンとこないが、この先留年してしまうことだってあるかもしれない。
突然、彼女は足を止めて息をのんだ。何かあったかと長崎さんの顔をのぞき込むと、彼女ははっとして慌てて歩き出す。

「どうしたの?」
「う、えーと……早いなあと」
「早い?」
「駅から学校までってそこそこ距離あるのに、幸村くんと話ながら歩いたらあっという間だったなと思って」

ここからはもう学校が見えている。もう終わりか。確かに早く感じる。いつもはテニス部の連中にでも会わない限り黙って歩いているだけだから長く感じていたのに。

「ほんとだね」
「幸村くん」
「うん?」
「また、一緒に登校してもいい?」

彼女は俺と目を合わせようとしないけれど、以前と比べるとずいぶん積極的になったその申し出に俺は笑顔で頷いた。


***


「おはよ、幸村くん」
「おはよう、長崎さん」

今日は彼女の方が早かった。俺は彼女の隣に並んで、歩き出す。二学期が始まってから二週間、お互いもうすっかり慣れたもので何てことのない会話をしながら学校を目指す。彼女は意外に歩くのが速いとか、学生鞄はいつも右肩に掛けそれ以外は左手に持っているとか、一緒に歩くとたまに小さな彼女の習慣を発見する。データを取るために観察しているわけでもあるまいに、我ながらまるで蓮二のようだ。そうやって一つ一つ小さな発見を重ねて相手を理解していくんだと、そうでありたいと思う。
――と、そこまで考えて俺はふと気になった。

「長崎さん。もしかして俺と一緒に登校しようとしてくれたのは蓮二に勧められたから?」

彼女が無理に俺のために一緒にいてくれているとは思わない。彼女が楽しそうにしてくれているのは本心だと思う。たぶん。でも、気の置けない仲になりつつあったとはいえあれほど遠慮がちだった彼女が、自分から一緒に行きたいと言い出すだろうか?

「えっ。ううん、違うよ。意外だった?」
「ちょっとだけね」
「でも柳くんに相談に乗ってもらったの。迷惑だったら、嫌だし」
「そんなこと全くないのにね」
「分からないじゃん、一人でさっさと登校したいタイプかもしれないし朝は自由にしていたいとか」
「何だそれ」
「ありえなくもないじゃない」

妙な発想というか考えすぎな発想に俺が声を立てて笑うと、彼女は少々ムキになって言いつのる。
俺の背中を押した蓮二のことだ、もしかして今回も彼女の行動の影には彼がいるんじゃないか、今度は彼女の背中を押して俺に誘いをかけさせたのかと思ったが違ったらしい。

「そしたら、柳くんが……」
「うん」
「データはないが間違いなく喜ぶから誘え、って」
「うん。ふふ、確かに当たってるね」
「良かった」
「今更だけどね」
「そうだね」

校舎が見えてくる。さあ、朝の楽しい時間は終わり。テニスの練習も楽しいけれど、彼女と話しているときのような安心感に基づいた楽しさとは違う、緊張感と苦しさの伴う喜びだ。今日も気合いを入れていこう。しばらくしたら秋の大会、新人戦もある。

「今日も朝練頑張ってね」
「ありがとう、行ってくるよ。じゃあまた部活の後に」

彼女はにっこりと頷いて、校舎の方へ足早に消えていった。俺はラケットバッグを肩にかけ直して、きびすを返す。
ふと視線を感じて振り向くと、見てはいけないものを見たかのようなすまなそうな困り顔でジャッカルが立っていた。


(20120312,続く)

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