七色の雲 | ナノ

誰かに肩をとんとんと叩かれて振り返ると、幸村くんがいた。彼はいたずらっぽい顔で不意打ち成功、とでも言いたそうに笑っている。彼は白いビニール袋を片手に提げていた。

「やあ、こんにちは。おつかい?」
「こんにちは。うん、そうなの」

笑い返して、左手に持った荷物をちょっと上げて見せた。私は笑いながら内心がっくりした。しまった、右手も買い物かごでふさがっている。前髪が汗で額にはりついているというのに整えることもできない。変な形になってないかな。なってるだろうなあ。夏の外気は脅威だ。どのみちもう遅い。幸村くんは私の前髪など気にもしないだろうけれど私は気になるのだ。

「幸村くんも買い物?」
「うん、醤油が切れそうだから買ってきてってさ。……長崎さんは大荷物だね」
「トレペはかさばるからね、でも軽いから楽だよ」
「それ、持つよ」

彼は私の左手に腕を伸ばす。半袖から出た腕と自分の腕が接触してドキリとする。彼に荷物を引っ張られた感覚で、明後日の方向に飛んでいった思考がようやく戻ってきた。焦る。

「ううん気にしないで」
「重そうだし、俺が持つよ」
「えっとお醤油持って帰らないでいいの?急ぎでしょう」
「大丈夫、まだ切れてないから。万一のためにってくらいだし、今時間あるんだ」

左手の荷物を見下ろす。荷物越しに幸村くんと繋がっている。トイレットペーパーと洗剤類の入ったビニールと……鮮やかなオレンジ色の紙袋。その色が目に留まった瞬間、自分の顔が一気に赤くなったのが分かった。心臓が別の意味で早鐘を打ち始める。

「ゆ、幸村くん!あの」
「荷物は男が持つものだよ」
「いやその、その紙袋はちょっと」
「うん?」

言おうか、言うまいか。しかしこのままだと彼は間違いなく紙袋を持ってくれる。それはまずい。ダメじゃないかもしれないけれど、いややっぱりダメだ。見る人が見たら分かる。中学生の男の子で、しかも恋人でもないのにそんなこと!

「遠慮しないで良」
「その!そのう、その紙袋……したぎだから」

彼は沈黙した。恥ずかしい。恥ずかしい。あっさり流してくれればまだ救いがあるものを、彼だって予想外だったに違いない。下着って言うだけで何でこんなに恥ずかしいのか。ちらりと彼の様子を伺うと、彼は慌てて手を引っ込めた。

「ごめん、……じゃあそっちの買い物かごを持つよ」
「あ、ありがと」

彼は奪い取るように買い物かごを持って歩き出した。微妙な空気を打破しようとしたのか、結局持ってくれる彼にちょっと申し訳なく思う。でもせっかくの好意だ。無碍にするのもよくないだろう。

「幸村くん、ちょっと時間掛かっちゃうかもしれないんだけど大丈夫?あと、野菜と魚を買わなきゃいけないの」
「問題ないよ。へえ、食材を買いに来ることはあまりないから新鮮だな」
「新鮮?」
「うん。野菜の値段の相場なんて知らないからな」
「そっか、男の子だもんね」

男の子ならお母さんと一緒に買い物に行くこともあまりないのかもしれない。自分の家に男の子がいないせいか想像したこともなかった。こっちこそ新鮮な気分だ。

「今まで何回か長崎さんと出かけたけど、こんなに日常的なことをするのは初めてだね」
「そうだね、なんか不思議な気分。日常なのに日常じゃないっていうか」

トマトが安い。買い物リストには入っていないけれど買っておこうかな。でもあんまり買い込むと重くなってしまうかな。普段なら気にしないけれど、今は幸村くんに買い物かごを持たせてしまっている。

「長崎さん」
「ん?」
「こうしてるとカップルに見られるかもね」
「えっ」

ぎょっとして隣の幸村くんを見る。すました顔でピーマンを見つめていた彼は、ちらっと横目でこちらを見た。真顔のつもりだろうが口元が笑っている。からかわれた。

「……幸村くんチャラい」
「何で」
「チャラい」
「誰にでも言うわけじゃないよ」

そりゃ幸村くんのことだ、勘違いされちゃいそうなときなんかは言わないだろう。でもそれにしたって慣れてる。からかい慣れている。

「そういうこと言ってからかってる」
「うん、からかってるけど」
「自分の格好良さを盾に取って」
「褒めてくれてありがとう」
「問題はそこじゃないよ」

なんか腹立つ。私は幸村くんに遠慮することなくトマトを買うことに決めた。遠慮していたさっきとは違い、彼の持つかごの中にどさどさを野菜を入れていく。全く、これだからモテる男は困る。心の中でぶつぶつ言うけれど何も変わらない。彼は私の感情にばっちり気がついているようで、くくっと笑った。

「ごめん。つい」
「ついじゃないよー!」
「ごめんってば。お詫びに家まで荷物運ぶから」
「えっ、さすがにそこまでは大丈夫だよ、ありがとう」
「まあまあ、俺暇だからさ。今日は予定入ってないし」

残り少なくなった貴重な夏休みだというのに、なんだか申し訳ない。暑い中を歩かせることになるけれどいいのかな。彼はやる気が満々で、また優しい彼に押し切られてしまいそうだ。


***


「重くない?」

私はあいた手で額の汗をぬぐった。駅から家まで距離がある。木陰を歩いているとは言えどまだ真夏、湿気と熱気で汗が絶え間なく出てくる。幸村くんは結局私から紙袋以外の全てを奪って、今私の隣を歩いている。

「全然」
「すごい、さすが鍛えてるだけあるね」
「俺はテニス部の中で一番力が強いんだよ」
「えっ!真田くんよりも!?」
「うん」

彼は私を見て、そんなに意外かなあと言う。意外というか、意外じゃないというか。幸村くんはさすが実力者だけあって、かなり鍛えられた体をしている。でも真田くんは幸村くんより身長が高くてがっちりしている。真田くんはかなり見た目も中身も力強い人で、だからこそ驚きだ。
幸村くんと知り合ってもう2シーズンが終わろうとしているのに、まだまだ知らないことがたくさんある。こうやって話すだけでも全く飽きないのは不思議だ。

「あ、うち、ここなんだ。今日は本当にありがとう」
「いや、こちらこそ話ができて楽しかっ――」
「由紀、おかえり!重かったでしょ……あら」

私の声が聞こえたのか、玄関のドアががちゃりと開いてお母さんが出てきた。お母さんは途中で言葉を切って目を丸くした。

「こんにちは、立海2年の幸村精市です」
「あら、もしかして荷物持ってきてくれたの?暑い中どうもありがとう。由紀の母です」

あっと固まる暇もなく、幸村くんはお母さんと話を始めた。紹介する間もない。知っていたけれど、幸村くんって本当にそつない。こうやって他人の保護者に丁寧に対応できる中学生男子なんてそんなに多くないに違いない。

「幸村くん、良かったら家で飲み物とアイスでも食べていかない?ね、由紀」
「いえ、お気遣いなく。母に醤油を届けなければならないので」
「長々とごめんね、幸村くん。本当にありがとう」
「いや、楽しかったよ。じゃあまた今度ね」

幸村くんはにっこり笑って、おまけにお母さんにしっかりお辞儀をして颯爽と帰っていった。どこまでカッコいいんだろう、彼は。本当に中学生かとときどき疑いたくなる。彼の後ろ姿に見とれていると、お母さんがとんでもないことを言った。

「かっこいいわねえ、幸村くん。彼氏?」
「違うよ、そんなわけないでしょ」
「冗談よ、冗談。そんな感じじゃなかったしね」

お母さんはケラケラと明るく笑った。全く、お母さんも幸村くんみたいなからかい方をする。

「それにしてもしっかりした子ねえ。由紀、付き合うなら彼みたいな男の子にしなさいよ」

そりゃ、彼みたいな人が彼氏なら楽しいに違いない。事実、私は彼が好きだ。彼の言葉が、彼の行動が、彼と過ごす時間が、一つ一つが。安心するし、でもそれだけでもない、いつまでたってもわくわくできる気がする。でも『そういう意味』はないけれど、たぶんそういう意味ではない、けれど。
――こうしてるとカップルに見られるかもね。
彼の言葉がよみがえる。ああ、夏の太陽は暑い。私は頭を一つふって、涼しい家の中へ足を踏み入れた。


(20120302)

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森川さんリクエストありがとうございました!

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