七色の雲 | ナノ

地面に転がった蝉のように不安だった私は、サンダルの音に揺れる心を忍ばせて歩みを進めていた。道路に落ちた街灯の光をぎゅうっと踏む。右隣には藤川さん、左隣には高橋さん。はつらつと元気な二人に挟まれた自分はまるでとらわれた宇宙人みたいだった。

ジージー
リンリンリンリン

暗闇の中に絶え間ない虫の声が響き渡る。夏の風物詩に割り込むように、私たちは足音を鳴らす。湿気を過多に含んだ夜はむし暑いけれど、こうして歩くと風が素肌を撫でて気持ちがいい。髪が流れて空気が皮膚を撫でる。長い8月が、もうすぐ終わる。

道を曲がると目的地の公園が小さく見えた。心臓が早鐘を打つ。ホントに大丈夫だろうか。邪魔じゃないのかな。男子テニス部のレギュラーたちと私の関係はしごく微妙だ。赤の他人ですと言うほどお互いを知らないわけではなく、しかし知り合いだ友達だと言えるほどの関係ではなく。学校の廊下ですれ違うと、どうリアクションしたらいいのか分からなくてたじろいでしまう。気軽に挨拶をしていいものなのか、それとも黙ってやり過ごした方がいいのか。友達なら声を掛けられるし赤の他人なら気兼ねなく無視できるのに。……そして今回はすれ違うどころか一緒に花火をすることになってしまった。藤川さんと高橋さんと、彼らと。

公園が近づくにつれ、誰かが騒いでいるのかがやがやと男の子の声が聞こえてくる。もう少しで入り口に到着する。というところで誰かが公園から飛び出してきた。


「おっ丁度いいところに」

「先輩、かくまってくださいっ!」


藤川さんと高橋さんはやっほー、とかなんとか気楽な様子だ。でも私は心の準備を完了する前に彼らに遭遇してしまったせいか冷や汗が出た。丸井くんは笑いながら藤川さんの後ろへ隠れ、切原くんは私の後ろに回り込むと肩をぐいっと前に押した。


「えっえっ」

「おい、待てブン太!赤也!」


数秒遅れて桑原くんが走り出してこちらへ来た。彼は入り口のすぐ横にいた私にぶつかりそうになったがぎりぎりのところでブレーキを掛けた。沈黙。近距離でお互いを凝視する。どうしよう、何を言おうと慌てる間もなく彼はにっと笑った。


「長崎だろ。俺はジャッカル桑原だ、よろしく」

「名前知っててくれたんだ。よろしくね、桑原くん」


私は彼の人の良さそうな様子にほっと安心した。昔は運動部の男の子が苦手だった。派手でうるさくて乱暴だと思っていたのだけれど、今になってはそれが偏見だったと分かる。丸井くんがひょっこり顔を出してピースした。


「そりゃお前、話題になってるもん。俺丸井ブン太、シクヨロ」

「えっ話題!?」

「幸村くんの彼女だとか、女子たちから逃げ回ってるって話」

「し、しくヨロ……」


藤川さんと高橋さんは「そうそう」と気楽に同意している。半分分かっていたことだけど目の前に現実を突きつけられてショックで固まっていると、ぐいぐいと切原くんに背中を押された。


「あっ赤也お前――」

「まーまーいいじゃないっすかジャッカル先輩!ほら早く由紀先輩を部長のとこへ連れて行きましょうよ」

「うわっ切原くんちょっと待って」


腕を引っ張られる感覚。視界がぐらぐら回って気がつけば公園の中にいた。ちょっとした広場には空のバケツと花火のパックがいくつか置いてある。念のためなのか真田くんの左手には消化器があった。私の側にいたはずの女の子二人は近くにいる三強と花火の準備をし、切原くんは「女性を乱暴に扱ってはいけません」と柳生くんに怒られ、桑原くんは切原くんの後ろで微妙な表情をし、仁王くんはポケットに両手をつっこんでニヤニヤと私の顔を見ていた。
何かやってしまっただろうか。私が来ることは女の子たちからか幸村くんあたりから聞いているだろうけれども。びくびくしながら恐る恐る声を掛ける。


「はじめまして。長崎です」

「仁王雅治じゃ。お前さん、幸村の女なんじゃろ」

「違います」

「ほんとかのう」


絶句して何にも言えない。半眼になって彼を眺めていると、側にいた幸村くんが振り向いた。目が合うと彼はいつもの優しい笑顔を浮かべる。私は幸村くんに近寄った。いつもの幸村くんだ。レギュラー達の中にいるとどうこらえても自分の場違い感がぬぐえないけれど、彼のそばだと安心する。幸村くんはぽん、と仁王くんの肩を叩いた。幸村くんに気がついた彼は妙に焦ってぎこちない笑みを浮かべた。


「あまり妙なからかい方をしてくれるなよ、仁王」

「プ、プリッ」

「まあいいや。さあ、全員そろったし花火始めようか」


仁王くんのため息を背に、幸村くんはパンパンと手を叩いて皆を呼び寄せた。話したことがなかった丸井くんと仁王くんも普通に接してくれて、私は安堵した。テニス部ゆかりのメンバーに勝手に混じってお前何様なの、だとか、邪魔、だとか言われるんじゃないかと不安だったのだけれど。ただ、丸井くんにも仁王くんにも盛大な勘違いはされているような気がする。


***


最初は静かに花火をしていたみんなだが、時間が経つにつれ場はカオスと化していった。はしゃいで花火を振り回し始める切原くん。一応周りのことは見えているらしく人に火花が飛ばないようにはしているようだがデンジャラスだ。丸井くんはそんな切原くんを締めようとして、結果的に花火を持ったまま二人で追いかけっこをしている。藤川さんは彼らを見て大笑いし、ねずみ花火に火をつけた。切原くんと丸井くんから黙って目を反らした桑原くんはくるくる回るねずみ花火をじっと見て何やら考えている。柳くんは花火を見ながらこの色はどういう化学反応だとか確率だとかややこしい話を始め、話を振られた真田くんは理解しているのかしていないのか、真面目にそれを聞いている。柳生くんと高橋さんは笑顔で談笑しながらお行儀よく花火をし、仁王くんは二人の様子をこっそり写真に収めていた。

赤、オレンジ、緑。鮮やかに変化する花火の炎に照らされて、みんな笑っていた。ときどき誰かが叫んだり、ヒューッという花火の音、かすかに聞こえる虫の声。私は場の雰囲気にのまれて、燃え尽きた花火を握り締めたまま彼らの姿を眺めていた。
なんて幸せなんだろう。
彼らは普段、いつも一緒に行動しているわけではない。なのにこうして集まると気の置けない関係なのだと分かる。藤川さんや高橋さんも含めて。そこには確かな信頼関係がある。一緒に困難を越え、喧嘩や衝突を乗り越えて来た者同士の安心感。まるでひとつの家族のような。


「長崎さん」

「はいっ!」

「ふふ、どうしたんだ」


彼は私の手から燃え尽きた花火をとって、変わりに新品の花火をくれた。火をつけると、長細い棒の先からシューッと勢いよく火花が噴き出した。幸村くんは私の隣に並んで、彼もまた花火を持っている。私はちょっと笑った。私はこの人たちの中では唯一テニス部に深く関係していない。明らかに異質なわけだけど、そんな中に快く受け入れてもらえているのだ。それだってどれだけ喜ばしいことか。


「いや、幸せだなあって思って」


思わずふにゃっと笑い返すと、幸村くんは瞠目した。彼は目線を上げた。視線の先にはみんながいて、いつの間にか彼らは少し離れたところにいた。真田くんは丸井くんと切原くんと桑原くんに小言を言い、仁王くんは藤川さんにカメラを見せ、高橋さんと柳生くんは変わらず仲良く二人で花火をし、……柳くんは二人を見ながら猛烈な勢いでノートにメモしていた。


「そうだね、俺もだよ」


彼も満足そうに笑った。
この花火は、全国大会お疲れ様という意味もかねていたのだろう。打ち上げは別にやったようだけれども、彼らの夏はテニスの練習と大会と宿題で満ちていて一緒に遊ぶ時間まではなかったという。テニスに並々ならぬ熱意をもつ中学生でもなければできない生活だ。
目を閉じれば全国大会の決勝戦を思い浮かべることができる。汗と水が空に散って、緑のコートはいっそう濃さを増した。地を轟かせる大歓声。空にまっすぐ突き刺さるラリーの音。ほんの小さな油断が命取りになりうる緊張感。観衆が振るタオルが辛子色の線を描く。肌を焼くきつい日差しは水分と混ざって体中に張り付く。一瞬全ての音が消えて、立海は優勝した。


「幸村くん」

「何だい」


手元の花火が燃え尽きて、彼は私に線香花火をくれた。ろうそくの側でしゃがんだ幸村くんにつられて私も隣でしゃがみこむ。温かいオレンジ色の光に照らされて、彼の顔ははっきりと見える。


「二連覇できてよかったね」

「うん、応援してくれてありがとう。最高の形で夏が終わってよかった」

「うん」


幸村くんの隣で、腕を宙に伸ばして線香花火を下に向ける。ジジジジジ、と小さな音がして線香花火の火の玉が大きくなっていく。夏を彩る炎の花。じりじりと大きくなった線香花火の玉は沈む前の太陽のように輝く。それはもうすぐぽとんと地面に落ちて、夏は終わる。


「線香花火ってちょっと寂しいよね。終わりを感じさせるから」

「そうだね。でも情緒があるし、長崎さんとこうしているのはいい気分だよ」


顔に血が上る。こんな台詞をさらっと言ってしまうあたり、さすができるモテ男は違う。天然タラシなんじゃないかとさえ思えてくる。もう、と不満げに返事をすると彼は声を上げて笑った。



私たちの姿が仁王くんによって写真に収められ、さらに夏休み明けにクラスメイトに見せられてしまうことを、この時はまだ知らなかった。

(20110212)

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雪歌さんリクエストありがとうございました!

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