七色の雲 | ナノ

私は空気。私は空気。息を殺して物のように。そろーりそろーり、泥棒気分で教室に忍び込む。私に気がついたクラスメイトの男子数名から哀れっぽい視線を投げかけられたような気がするが気にしない。ようやく自分の席にたどり着く。私ははあっと大きく息を吐いて一体化するように椅子にもたれかかった。疲れた。あちこちで立ち話する女の子たちの目にとまらぬように昇降口から移動するだけでも何カロリー使っただろう。これってダイエットになるかしら。
親友のあの子が笑いながら近づいてきた。


「おはよ、お疲れさん。有名人は大変だね」

「おはよー……有名なのは私じゃないけどね」


私はもう一回大きく息を吐いて今度は机につっぷした。幸村くんと付き合ってるの幸村くんのこと好きなの攻撃を受けるようになってから早一ヶ月。もう慣れたもので質問をいかにかわすかは身についた。だがそれでも地味に精神にダメージがくる。私は昔も今も目立つ女の子じゃない。慣れていないんだ。こんなの。人の噂も七十五日と言うけれど、七十五日とはなんて長いのか。
彼女があっ、と小さく叫んだ。


「その髪留め、ずっと由紀が欲しいって言ってたやつじゃん?買ったの?似合ってるよ」

「ありがとう。いや、その実は」


おもむろに身を起こして彼女に手招きをする。小声で耳打ちしたとたん、彼女はくわっと目を見開いた。


「えっ!ゆきー」

「しー!しー!!内緒にして!」

「あっごめん、……良かったじゃない。付き合うことになったんでしょ?」

「え?ううん」


彼女は口をあけてぽかんとした。まじまじと私の方を見つめられても困る。私と彼はそういう関係じゃないのだ。仲の良い友人というのが一番近いだろうか。好きだけども。彼と話す時は何も気負わず、何か話さなきゃと思う必要もない。話題はどちらかから勝手に出てくるし沈黙だって心地よい。でもこの感情が恋かと聞かれるとどうにも答えようがない。というよりも違う気がしてならない。恋とはもっと激しいものじゃないのだろうか。
そういう結論に至ってから何日も経っているのに、結局思考はそこから進まない。


「あー、うん、そうか。ね、由紀さあ、もうちょっと目立つことに慣れても良いんじゃない。氷帝の跡部くんとか見習ってさ」

「いやなんで跡部くん。『わたくしが立海のクイーンよ!』って全校集会で言えばいいの」

「ごめん前言撤回するわ」


男子テニス部の関東大会に来たことある人なら跡部くんのことは誰だって知っている。目立つ中学生の極にいるのが彼だ。大勢の氷帝部員を引き連れて、王様のように振る舞い、ポーズを決めて指パッチン。他校の生徒でも一度見たら忘れられない光景だった。ただ格好付けてるだけじゃなくて実力もある。
突っ伏したまま私はぼうっと考える。跡部くん、かあ。まるで太陽の照らす道をまっすぐ歩いていくような男だ。あの状況は生まれながらの運命みたいなものなのかな。それともああなりたいと彼自身が願ったからなっただけなんだろうか。どっちにせよ、私にはない。


「彼が黄金に輝く百獣の王なら私はせいぜいミミズだよ」

「……何でミミズ?」

「こう、光を避けて暗い土中でひっそりとね」


女の子なんだからもうちょっと可愛らしいものにたとえてもいいんじゃない、と彼女が呆れたように言った。でも私にはミミズが似合う気がする。マイナス思考すぎることは分かっているけれど、輝かんばかりのテニス部を間近で見てしまうとどうも卑屈になる。きっと私は日に当たりすぎたんだ。
目立つことは苦手だ。慣れてないだけかもしれないけれど、大勢の人に好奇の目を向けられると汗が噴き出してくる。授業の発表では決まったことを言うだけだから問題ないけれど、今の状況はそれとは違う。幸村くんとは一緒にいたい、実際一緒にいるときはいいのだけれど後が怖い。悪口を言われるわけでもないのにこんなにおびえているなんて我ながら滑稽なものだ。


***


昼が長い季節だというのにあたりは真っ暗になっていた。この時間になると蒸し暑さは和らいで、ただぬるい水蒸気をかき分けて進んでいるような気分になる。汗の気持ち悪さはあるが、それよりも運動後の疲労と達成感が勝っていた。
隣を歩く蓮二が口を開く。今日は、真田は先に帰ってしまった。


「思ったのだがな、精市。絵画好きや植物好きのやつはそれなりにいるだろう」

「うん」

「だが、今までお前にはそういった話を頻繁にするような相手はいなかったはずだ。なぜだ?」


言われてみればそうかもしれない。絵画やガーデニングは好きだけれどもそれよりもテニスに重点があったからか、ここまでテニス以外の趣味の話をすることはなかったかもしれない。


「そうだな。単に親しくなるきっかけがなかったというのと、花が好きだという子はいてもガーデニングが好きだという子はあまりいなかったからな」

「花や葉は好きでも土いじりはしない、ということか」

「うん。ガーデニングには虫がつきものだからね。ミミズとか」


種類にもよるがミミズは土壌を改良する。ガーデニングにおいては益虫なのだが、いかんせんその見た目が嫌われる。花を綺麗と言うことはできても虫が平気な子は男女問わずあまりいない。植物の美しさを知る人ならばガーデニングは楽しい作業だと思うのだが、いかんせん地味な作業でもある。だからそういう点から考えても、長崎さんという人に会えて良かった。彼はノートを開くとパラパラと捲りつつ、付け加えた。


「そういえば長崎は自分のことをミミズと称していたようだぞ」

「何」

「本人にも確認したが、明るいところが苦手なのだと。お前は日の下で葉を広げる大木だとも言っていたな。言い得ているようにも思えるな、様々な生き物のよりどころとなる懐の深さを持ち、同時に息吹くためにはコンクリートを破ることも辞さない強さがある」


自分の眉間に皺がよるのが分かる。ミミズ。思わずため息をついた。……益虫と言えど、なぜわざわざミミズ。どういうつもりなのだろう。


「お前が彼女の意図を測りかねている確率、72%。女子テニス部の例の子に聞いたところ、要するに長崎は『暗がりを好むミミズと光を好む大木はどうあがいても相容れないのではないか』と若干不安に思っているのではないか、ということだ」


彼女は学校ではもう俺たちに近づいてこない。こちらから会いに行けば話でも何でもできるが、学校で用事があっても直接言いに来ることはない。メールで済ませる。俺たちに対する過剰な遠慮も一因だろうが、おそらくあまり目立ちたくないからという感情もあるのだろう。優香や夏美は噂されることにも目立つことにも慣れていたから質問攻めにされたところでうまくかわしていたが、長崎さんはそうではない。数日前には丸井が「幸村くん、あの美術部のやつ何やってんだ?女子どもの追跡を振り切って進路指導室に逃げ込んでたぜ」と首をかしげながら聞いてきた。


「どうするんだ?精市」


どうしようか。彼女には何と言おう。言葉に詰まる。すっかり日の暮れた町並みを照らす街灯を見上げると、光に魅せられた虫が集まっていた。


***


空気を振るわせる音がして、サイドテーブルの上の携帯がチカチカと光った。メールが来た。ベッドに転がってミステリに夢中になっていた私は、本から目を反らさず手を伸ばして携帯を操作する。ちらりと画面を見てまた本に目を戻す。今いいところなのだ。徐々に登場人物達の興奮が膨れあがって今にもはじける――。

携帯に写った送り主の名前を認識した瞬間、本の世界にのめり込んでぼうっとしてた頭が一気に覚醒した。何。誰だって。しかも、内容。

『from: 幸村精市
 Sub : なし
 本文: 俺のせいで今騒がれていることは申し訳なく思う。もう少ししたら落ち着くとは思うけど、君が理不尽な目にあうことは俺が許さない。信じてほしい。』


具体的には何も書かれていないのに幸村くんの言いたいことはすぐに分かった。幸村くんとの関係を噂され好奇の的になっている状況に私が辟易していることについて、だ。
今騒がれている。申し訳ない。信じて、ほしい。
心の準備なくメールを読んだせいでいまいち頭が動かないくせに、彼の言葉は温かいお茶のようにじんわりと胸に染み込んでいく。私はごろりと仰向けになって両手で携帯を握りしめた。手を離した本がぱたんと閉じてしまったけれど気にならなかった。携帯の放つ熱がまるで幸村くんのそれのように感じた。
いつも、こうだ。彼は。いつだって人のことを考える。彼に自分の状況を訴えたことはなかったけれど、でも結局心配を掛けてしまった。申し訳なく思うくせに嬉しさもある。どうしようもない。私は確かに少し怖かったのだ。噂されるのが。仁王くんと藤川さんのことを見ていたから、尚更。彼らが付き合っていたときはともかく分かれた後の状況は悲惨だった。ひどく悪口を言われたって気にせず前向きに過ごしている子はたくさんいるけれど、でも、じゃあもし私が幸村くんとのことで悪く言われたらと思うと顔を上げられる自信がなくて。でも自信がないのは仕方ないと開き直っている場合じゃないのだ。また幸村くんに心配を掛けてしまった。いい加減、もうちょっと前向きにならないと。

両手でゆっくりメールを打つ。

『To: 幸村精市
 Sub : Re:
 本文: ありがとう。心配かけてごめんね。私も、もっと上手く対処できるようになるよ。だからあまり気にしないで。』

目を閉じる。もう今は、私はここにいちゃいけないのだとは思わない。この世界は、優しい。幸村くんは、大丈夫だ。携帯が震える。彼の返信は早かった。

『from: 幸村精市
 Sub : Re:Re:
 本文: 長崎さん、柳から聞いたんだけどね。現実では俺は大木じゃないし君はミミズじゃない。ミミズだとしても彼らが益虫だってことは君も知っているだろう。だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ。』

予想外の返答に目を丸くする。ミミズがどうの大木がどうのなんて柳くんにも言ってないのになんで知っているのか。……あの子が柳くんに話したに決まっているか。変な話をしていたことがばれて恥ずかしい。

頭を抱えたい気分のままメールをスクロールして続きを読んだ私は、ぽかんとした。

『全国大会が終わったら夜遅くまで練習することもなくなるし、一緒に帰らないかい?趣味のことでもそれ以外のことでも、もっとたくさん話がしたい。メールじゃなくて直接ね。下校ならそこまで目立たないだろう?隠してもそのうちばれるだろうけれど。まあいいよね。』

幸村くんの男らしさが、私に対してある意味初めて発揮された瞬間だった。


(20120202,fin)

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しゃしゃんさん他1名の方、ありがとうございました!

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