七色の雲 | ナノ
「うー、冷たい」
「全身を清めるなんてとてもできないね」
温度が低く刺すような手水に手のひらがこわばる。さきほどまで繋いでいて暖かかった分、冷たさが骨にしみた。私が情けない声を上げると、幸村くんは笑う。彼によると、全国大会で見た四天宝寺中にいたお坊さんみたいな選手は冬にもかかわらず滝で修行をしているとか。手だけでも文句を言いたくなるのに全身だなんて。考えるだけで辛い。
「ここの神社は初めて。元旦だけどそこまで混んでるわけじゃないんだね」
いつも行く有名な神社だったら前に進めないほどの人山だ。ここの神社は人の列こそできてはいるがそこまで混んではいない。でも閑散としているわけではなく出店もあって丁度良いくらいだ。学校の側にこんな穴場があるとは知らなかった。じわじわと、参拝に並ぶ人の列が進んでいく。
「赤也が見つけてね、去年はテニス部みんなでここに来たんだ」
「大きい神社だと学校の人もいっぱいいそうだし、丁度よかったね」
「うん。ふふ、俺は見られてもいいけどね」
また、こんなことを言う。私は軽く幸村くんの腕をはたいた。彼は笑ってこつんと頭を頭にぶつける。
「ほら、もうそろそろだ。お賽銭ある?」
「大丈夫だよ、精市くん」
拝殿に着くといつだって心は澄む。私たちは、私は、ここまで来た。
小銭を投げる。隣の彼と合わせて二礼、二拍手、一礼。昨年はいろいろなことがあった。幸村くんの入院、関東大会や全国大会でのこと。結局立海が優勝できなかったことは悔しいけれど、でもあれほど誰かに願い続けた幸村くんの回復は実現したのだ。リハビリは彼の努力の成果だけれども手術の成功にはお医者さまだけじゃなくて神様だって味方したに違いない。ちゃんとお礼、言っておかなくちゃ。
指輪のはまった手を下ろすと、そっと幸村くんの手に包み込まれた。彼の手は今はもうこんなにも力強い。私はされるがままでその場を後にした。
「ね、おみくじ引いてきてもいい?」
「もちろん。俺も久しぶりにやろうかな」
「えい。う、小吉」
「あはは、悔しがることないじゃないか。おや、俺は大吉だ」
私は彼の手元をのぞき込んだ。白く長い紙にはっきりと『大吉』の字。私はうなった。ある意味なんの変哲もない大吉のおみくじなのに、逞しく自らの運命を切り開いてきた「神の子」幸村精市が持っているとそれ以上のものに見える。ご神託というか、神のご加護というか。
「どれどれ……うわ、ここ見て」
「何?」
幸村くんが指さした場所を見て私は沈黙した。「待ち人:来ない」。学問や探し物のところは大吉だけあっていい言葉が並んでいるのに、なぜか待ち人だけは「来ない」。とりつく島もない否定に言葉が出ない。
「あはは、これはひどいな。ところで、寒くない?お汁粉とか甘酒とか売ってるけど飲まないか」
「あっうん、飲みたい」
堂々と境内の中に出来ている出店からはもうもうと湯気が上がっていて、暖かい甘さを求めた人がむらがっている。ちょっとした縁日のようでりんご飴や今川焼き、綿飴も売っている。どれも美味しそうだけどここはやっぱり、温かいものが欲しい。幸村くんの手だけでも暖かいけれどと思いかけて、そんなことを考える乙女な自分に赤面する。
「精市くん、お汁粉と甘酒どっちにする?」
「どっちも美味しそうだね。そうだ半分こしない?」
「うん」
笑顔で提案されて素直に頷いたけれど、なんだか恥ずかしくなってちょっと俯いた。カップルみたいじゃない。いや、そうなんだけど、付き合ってるんだからいいんだけど。正式に付き合い始めてからもう何ヶ月か経つ上にペアリングまでもらって、それでもまだこのていたらく。いい加減に慣れなきゃな、などと考えている間に幸村くんが甘酒とお汁粉を買ってきてくれる。
「冷めないうちにどうぞ」
「ありがとう、精市くん」
ふうふうと吹いてから紙コップに口をつけて甘酒をすする。とろりとした液体が体に染みていく。これ美味しいね、精市くんもどうぞ、とコップから顔をあげると、彼はプラスチックのスプーンを片手に、もう片手にお汁粉を持ってじっと真顔でこちらを伺っていた。目が合う。幸村くんはにっこりと笑う。なんとなく嫌な予感がした。彼が伺うようにこちらを見ているときにはろくなことがない。
「な、なっ、何」
「何が?何で焦っているんだ」
「いやその、えっと」
幸村くんがじりじり近づいてきた。一歩下がると一歩詰められる。笑顔の裏に企みが見える。怖い。自分の笑みが引きつっているのが分かるがどうしようもない。
「口開けて。あーん」
「ちょっと待ってー!それは恥ずかしいよ人前で」
「人前じゃなかったらいいんだね」
「いやその、えっと最近精市くんテンション上がりすぎだと思うの!お家では普通なのになん」
「あーん」
聞いちゃいなかった。顔が熱い。助けなど求められるはずもないが、どうにかならないかときょろきょろ見回す。その間にも幸村くんはじわじわと距離を詰めてきて、私は恥ずかしさで爆発しそうになった。
と、そのときだった。視界の端に何かとても見覚えのあるものが写った。目が釘付けになる。そこには出店の仮面をかぶったもじゃもじゃ頭、そしてその頭の後ろからぴょこっと白いしっぽが見えている。あれって、間違いなく。
幸村くんがあーあ、と言った。
「見せつけて追い払おうと思ったのに、気がついちゃったか。……そこの二人、いいかげんついてくるの止めろ」
二人はぴくっと動いて硬直した。幸村くんは二人に近づいて仮面をむしった。予想通り、出てきたのは引きつった顔の切原くん、そしてその後ろには仁王くん。今度こそ、顔が爆発しそうなほど恥ずかしい。見られていた、確実に、しっかりと。
「お前たち、そんなに邪魔したいのか」
「い、いえ……センパイ怖いっす」
「そりゃあデートを邪魔されたんだからね」
幸村くんの笑顔に切原くんは硬直する。私は密かに心の中で手を合わせた。ありがとう、切原くんと仁王くん。おかげで助かりました。ごめん、代わりに犠牲になってください安らかに。
慌てて後ろにいた仁王くんが声を上げた。
「違うんじゃ。ここに柳生が高橋が来るって聞いての、新年の挨拶をしようかと」
「柳生くんと夏美ちゃん、ようやく付き合い始めたんだよね。……まさかデートの様子をのぞき見ようと思って来たら私たちがいたからついでに観察してやろう、みたいな?」
「プ、プリッ」
幸村くんがじろりと仁王くんを見ると彼は目をあからさまに反らした。図星か。全く、困った好奇心だ。
「ピヨ……あれ柳生と高橋じゃないか」
目をそらした仁王くんがあごで横を指す。そちらを見ると数メートル先に柳生くんと夏美ちゃんがいる。彼らはまるでさっきの私たちのようにお汁粉と甘酒をそれぞれが持っていた。しかも、こちらは高橋さんが柳生くんにお汁粉を食べさせようとスプーンを構え、それをほほを赤くした柳生くんがあわてて首を振っていた。
「うわあ」
切原くんが思わず声を上げた。声を聞きつけて柳生くんと高橋さんがこちらを見る。私たちとばっちり目のあった彼らは真っ赤になって硬直した。
「な、なっ……に、仁王くんたち!いっ、いつからそこにいたんですか」
「由紀ちゃん……見た?」
「夏見ちゃんごめん、見た。でも気にしないでいいよ恋人同士なんだし、うん!」
「由紀、俺があーんしても恥ずかしがってたのに言ってることが違うじゃないか」
真っ赤になっていた高橋さんからは好奇の目が、柳生くんからは若干の哀れみを含んだ視線が飛んでくる。後ろから仁王くんと切原くんにも凝視されているのが分かって私は穴に埋まりたくなった。
「ちょっと、精市くん!」
「いいじゃないか。……ああ、そういえば俺の大吉おみくじがなんで『待ち人:来ない』だったのか、意味が分かったよ」
みんなの視線を受けても涼しい顔をしているあたりさすが全国プレイヤーだななどと、恥ずかしさでショートした私の思考はあさっての方向に飛んでいく。彼はまたにっこり笑った。彼の口から出た言葉を聞いて、私はしゃがみこんだ。
「俺の待ち人は由紀なんだろう。だったら来るはずないよね、もうここにいるし」
私はきっと耳まで真っ赤に違いない。
(20120101)
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幸村と夢主のデート@お正月。凪さん、リクエストありがとうございました!
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