七色の雲 | ナノ

俺が彼女の存在を知ったのは今年の春。1年生の時だって俺は彼女と同じ学校で生活していたはずなのに出会うまでの彼女は全く記憶にない。春、散りそびれた淡い桜と濃い影にまぎれるようにして、長崎さんはひっそりとそこにいた。静かで、大人びていて、そして何か隠し事がありそうな神秘。話をしてみれば驚くほど趣味も似ていて、近づけば近づくほどもっと近くに居たくなった。彼女はいつもどこか寄る辺のなさそうな、自らを傍観しているようなところがあった。それでも俺には心を開いてくれたと、そう思ったのに。

彼女とつながっているのは俺だけじゃなかった。

当たり前のことだ、俺には俺の仲間や友達がいるのと同じく彼女には彼女の生活がある。それなのに茫漠とした不安がわいてくる。不安を決定づけたのは柳と長崎さんが付き合っているという噂。彼女を好ましく思うのだって、俺だけじゃないのだ。


「精市、どれがいいと思う?この色は似合うだろうか」


この男は俺のアドバイス通り彼女の好きな店へ来た。そして今、熱心に品物を見ている。彼女へ、プレゼントをするために。柳は『礼もかねて』と言っていた。お礼は『ついで』なのだ。では何のために贈るのか。そんなことは、もうとっくに分かっていた。


「困ったものだ。女心のデータまでは取れない、何が彼女を喜ばせるのかが分からないな」


口ではそう言いつつも、顔は楽しげにほころんでいる。楽しいに違いない、この男は。あの柳がここまでするのだ、長崎さんに好かれるように全力を尽くすに違いない。いや、もしかしたらすでに好かれているのかもしれない。……恋愛対象、という意味で。
こんなのは俺の望んだことじゃない。だがいまさら逃げ出したところで意味はない。じゃあどうする。卑怯な真似などできない。人の気持ちは変えられない。俺は何か間違えたのだろうか。彼女との関係を大切にしているつもりで、実は手をこまねいていただけだったのか。

俺は一体、何をやっているんだ。


「おい、……おい、どうした?気分でも悪いのか」

「あ、いや大丈夫だ。すまない」


それならよかった、と柳は笑顔になる。ただ嬉しくて笑っているのだろうに、その笑顔さえ嫌なものに見えてくる。彼に非はないのに。心の端がじわじわと黒い感情で染まっていく。それは紙に染み込む墨のように深く深く確実に俺を飲み込んでいく。


「ふむ。困ったな。幸村、お前が選んでくれないか?上手く決めることができない」

「何を言っているんだ、自分で選べ」

「どうにも浮かれて、このままでは約束の3時に間に合いそうにもない」


ふと花と蔦の模様が入った髪留めが目に入って、俺はそれをつまみあげた。落ち着いた色味と華やかな色のコントラストが綺麗な、小さい品物。彼女の髪色や服装にもよく似合うだろう。プレゼントされた彼女はそれをじっと見つめ、素直な喜びと謝意を示して、きっとその場で髪に付けようとする。そしてきっと宝物のように大切にするだろう。……だがそれは、柳からの贈り物なのだ。
心の芯まで染まっていく。黒く黒く。今の俺は剣呑な目つきをしているかもしれない、だが取り繕う気にもなれない。彼女のことを大事にしているつもりで、側に居てほしいと言い、そのくせ俺は彼女に恋慕する友人を黙って手伝っているのだ。自分の情けなさに吐き気がする。


「ふむ、色合いも形も綺麗だな。お前が薦めるものなら間違いないだろう。すみません、これを下さい」


店員はにこやかに、俺の気も知らずにそれを梱包していく。柳から彼女への、贈り物。
せめて言わなければ。柳に、本当のことを、俺が彼女をどう思っているかを、言ったとしても何も変わらないだろうが、それでも。早く、早く。


「あ……しまった。財布を家に忘れてきた。浮かれすぎたようだ。幸村、大変申し訳ないのだが代金を立て替えておいてくれないか?」


柳は本気で焦ったような声を出した。俺は言われたとおりに、代金を払う。このくらいの手助けは、俺たちにとっては日常茶飯事だった。迷惑をかけられていると思うことさえない。それなのに、それなのに、今は、今はどうだ。
彼女に恋する友人を助けることが、こんなにも重い。

店を出たところで、俺は深呼吸をした。黒く染まった気分を吐き出すように。言わなければ、せめて、醜い真似はしないように自戒を持って。


「蓮二、長崎さんのことだが、俺は」

「待て。その話は後だ」


長崎の話はしばらくお預けだ、もう練習試合の時間だ。すまないが、今長崎の話を聞くとまともに練習に集中できないかもしれないからな。これ以上浮かれるのは避けたい。

いつもの冷静な声で、しかし冷静でない内容を彼は語る。出かけた言葉が口の中で急速に溶けて消えた。柳は口をつぐんだ。出鼻をくじかれた俺はもう何も言わなかった。言えなかった。何も。
テニスコートに、着く。


***


長崎は静かで、だが大人しすぎることもなく、芯のある女子だ。服装や態度からはきちんとした生活を送っていることが伝わってきて、俺は長崎を見るたびに心の中で深く頷いたものだった。うむ。中学生女子の模範だ。
幸村と知り合ったのは今年の4月だそうだが、もっと以前からの友人であるかのように幸村と長崎は仲が良かった。聞けば趣味がかなり近いのだとか。テニスに関してはてんで駄目なのが残念だが、幸村と長崎が一緒にいる様子はまさにおしどりのようだ。よくお似合いの二人だと思う。二人でいるとき、彼らはいつも相手の方を見ていた。どちらかが何かを言おうとすると既にもう片方は言わんとすることを察しているような、そんな関係に見えた。恋にうつつを抜かすと破廉恥でけしからん方向にいく輩が多い中、幸村と長崎は模範的なカップルだとも思う。

大切な恋人もでき、テニス部の問題も解決へと向かい、重圧のかかる大会前といえど幸村はさぞかしスッキリしたいい顔をしているだろう。そう思っていたのに、テニスコートに来た幸村はたいそう暗く、その目は怨念でもこもっているかのようにぎらりと嫌な光を放っていて、俺は一瞬言葉を失った。対象に、隣の蓮二は顔つきこそ普段通りだがずいぶんと嬉しそうな雰囲気だ。


「幸村。何かあったのか?」

「何が?さあ、早速試合をしようか。俺の相手になるのは、どっちからだ?」

「蓮二、俺が先でいいか?」


蓮二は近くのベンチに荷物と薄桃色のビニールを置いた。買い物にでも行ってきたのだろうか、彼は幸村とは違いジャージではなく洒落た格好をしていた。幸村は蓮二の方を見ずにコートに入ってきた。


「ああ、そちらの方がありがたい」

「先に真田か。……手は抜かないよ」

「むろんだ」


幸村のぎらつく目にぎくりとする。なんでもないふりをしたが、いつも試合前はこんな目付きをしていただろうか。気合いが入っているというよりも嫌な恨みでもこもっているような雰囲気だ。いつも通りに見える穏やかな幸村は、いつもどおりではなかった。どうなっているんだ。思えば、三強での練習とは言えど練習試合の日にジャージを着てこない蓮二も珍しい。
俺は頭をひねりつつ、気を取り直してラケットを握った。



***


何も考えたくない。自己嫌悪を振り切るように試合に集中する。気がつくと、真田と柳が対面のコートに転がっていた。先に俺との試合を終えた真田の息はまだあがっていた。


「さすがだ、幸村。まさか俺も蓮二も1ポイントも取れないとは」


ヘアバンドを取ると熱くなった額が外気にふれた。左手でラケットを持つ。ラケットを握りしめていた右手はがちがちになっていた。


「大会を前にまた強くなったな」

「……いや」


俺はひとつ息を吐いた。まだまだ自分も子供だ。いいかげんにしなければ。情けない。こんな理由で試合に集中する自分も情けない、大人げないというよりも俺らしくもない。
柳は膝をついて、何も言わない。


「蓮二、すまない」

「何の話だ」

「何かあったのか?今日は少々おかしいぞ二人とも」


真田のセリフに苦笑する。ばれていたか。全く、どうしようもない。俺は笑いを治めて、柳に向き直った。彼は立ち上がってまっすぐこちらを見た。


「俺はお前に協力できない」

「……何」

「すまない」

「精市」

「できないんだ」


何を言わんとしているか感じ取ったのか、柳が黙り込んだ。真田はわけが分からないというように俺たちを交互に見ている。今さらこんなことを言うなんて卑怯だと柳は俺を責めるだろうか。だが、もう黙っているつもりはない。

石段から軽い足音がする。誰かがコートを使いに来たのだろうか。俺は石段の方を振り向いて……そして、やってきた人物を見て目をむいた。


(20120103,続く)

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