七色の雲 | ナノ

今年もホワイトクリスマスは望めなさそうだ。昨晩の雨は雪に変わる前に降り止んだ。空には未だに厚い雲がかかっているがそれも切れ切れで、眠りから覚めたばかりの世界は光に満ちていた。
私は水たまりに足を踏み入れないように注意しながらアスファルトの階段をのぼる。朝早いせいか薄いもやが出ている。はあっと息を吐くと、白く濁った空気が天へと昇っていった。このあたりは街全体に起伏があってあまり平らな道がない。階段をのぼり切ってからしばらく歩くと小さな公園に着いた。その入り口で私は立ち止まった。

幸村くんは既に、そこで私を待っていた。軽く足を開いてベンチに腰掛けている。太ももにひじを立てた前屈みの姿勢になって、地面をついばむ白い鳩を眺めていた。
ベンチは常緑樹の下にあるためか、濡れていない。冬だというのにつやつやとした緑色をしている葉から、ぽたり、ぽたりと幸村くんの周りに雫が落ちる。葉の隙間から光が太く筋になって、スポットライトを当てるように、まるで絵画に出てくる神様のように幸村くんを包み込んでいた。

そう、まるで地上に神が降り立ったかのように。思わず見とれてしまう。絵、みたい。

鳩が一斉に飛び立って、白は空に舞う。幸村くんが顔を上げた。私に気がついた彼は立ち上がって、水たまりを避けながらこちらにやってきた。おはよう、と声を掛けると彼は微笑んで、おはようと返す。隣に並ぶと彼はさりげなく私の右手を取った。お互いの手袋越しに、確かな感触。


「さあ行こうか」


彼の指は私のそれよりも太い。彼の手だけを見ていても決して太くは見えないのに、指と指を絡めると女の子の手とは違うたくましさがあって、間違いなく男の子の手なのだなと毎回思う。初めて手を繋いだのは去年の夏、植物園に行ったときだったっけ。あれからもう何度もこうして手を繋いだけれど、きっとこの行為に飽きることはないのだろう。

幸村くんが、突然ぴたりと足を止めた。


「どうしたの?」

「うん。手袋、外してくれる?」


何だろう、わざわざ外で。手袋をひっぱって取ると彼も自分の手袋を外した。そして素手で私の手を取ると指を絡めて――私の手ごと、自分のコートのポケットに手を入れた。


「恋人らしいだろ?一回やってみたかったんだ」


彼はにっこり笑って、慌てている私の返事を聞かずに歩き出す。顔に血がのぼる。繋いだ手とコート越しの彼の体から伝わる熱。手を繋ぐことにはなれているのに、こんなことには未だに慣れない。
彼はもともと思い切ったところがあるけれど、最近ますます大胆になった。それは入院をきっかけに思うところがあったのか、それとも単に成長したからなのか、はたまた私と彼が正式に付き合うことになったためか。

彼が私に対してする行動に、こちらの意志は関係なかった。いや、そういう言い方は正しくない。私が望むこと・望まないことを正確に察知した上で「嬉しいけれど私にとってはちょっと恥ずかしい行動」を遠慮なくするようになった。



たとえば、両手で顔を挟む、という行為。初めてそれをされたのは今年の秋。彼とつきあい始めてからも未だに私には自信がなくて、すぐにネガティブに考えてしまう。彼と付き合っていて良いのかな。最近じゃ彼は神の子だなんてもてはやされているのに私はこんな平々凡々な人間だ。私じゃ釣り合わないのに。そんな私を心配したのか彼は突然、私の顔を両手で挟んで無理矢理彼の方に向けたのだ。……学校の教室で。
私は恥ずかしさのあまり不自然なほど目を明後日の方向にそらして、彼の両手を自分の手でつかんで剥がそうとした。でも、彼は力が強くて全く剥がれない。


「なっ、やっ」


軽くパニックになって目に涙が溜まる。顔を左右に振ろうにも動かせない。無理矢理固定された私の顔を、彼は真顔でのぞき込んだ。


「もっと自信を持って。それに、別に嫌じゃないだろ?」


確かに、確かに嫌じゃないけれども!顔が熱い。仕方なく半分混乱したまま、ぎこちなくハイと言うと彼は満足そうに笑うのだ。……周りの視線が痛い。誰かがヒュゥと口笛を吹いて、いたたまれなくなった私はその場から逃げ出した。



あれから何度も何度もそういうことがあった。全く、彼に悪気があるのかないのか分からない。彼は相変わらず穏やかな人なのだけれど、私といるときは以前よりも『中学生男子らしく』なっている気がする。私もそれにつられるようにして、ますます『中学生女子』らしくなっているのかもしれない。
考え事をしながら歩く幸村くんの横顔を見つめていると、彼は横目で私を見た。


「彼氏といるときに他の男のことを考えているとはね」

「……考えてないよ、幸村くんのことだよ」

「俺に夢中とは嬉しいね」


確かにその通りなんだけど。絶句した私を見て彼は声を立ててと笑った。冗談冗談、言ってみたかったんだよとクスクス笑いながら言う。ずいぶん上機嫌だな、と思うけれど私だって同じようなものだ。今日はずっと夕方まで二人っきり。そんなにゆっくりできることもあまりない。
一緒に歩いている街の高台は見晴らしがよくて、二人で散歩にはぴったりだった。吹き抜ける風が寒いが、肌で感じる光の熱は温かい。

突然ほほに柔らかい感触がして、私は飛び退こうとした。が、幸村くんのコートの中でがっちり手を捕まれているせいでそれもかなわない。顔がまた真っ赤になるのが分かる。人目のあるところで、この人は、また!


「なぜ逃げるんだい。恋人同士なんだからいいだろう」

「そういう問題じゃないよ」

「でも、嫌じゃないだろう?」

「……ハイ」


嫌じゃないどころか嬉しいです、でもまだ恥ずかしいんです。だがそんな言い訳は彼には通用しない。がっくりと肩を落として認めると、彼は大笑いした。全く、なんて意地悪なんだ。こんなキャラだったかな。どうしてこんなことに。いや嬉しいんだけどさ、でもね、でも。


「ごめんごめん、俺が悪かったよ。機嫌直して」


腹が立って繋いだ手をぎゅうっと全力で握る。でも、彼には痛くもかゆくもないのだろう、クスクス笑いは余計にひどくなった。


「いたた、ごめんってば」

「痛くないくせに」

「うん、まあ痛くないけど」


私が無言でむくれていると、彼は頭をこつんとぶつけてきた。


「ごめん、つい可愛くてさ。……あ。ほら、あれを見て」


あいている手で指差す方を見ると、そこからは景色が一望できた。目下には街が広がっている。クリスマスイブの始まりらしく、車や人が往来しているのが小さなミニチュア模型のように見えた。その奥には地平線の先まで海が広がる。その水面に、ちぎれた灰色の雲の隙間から光の柱が数本降りていた。真冬の黒い海は、斜めにさす光の明るさを際立たせる。明と暗、光と闇のコントラスト。


「レンブラント光線だね」


光の画家、レンブラントが好んで描いた光柱。あるときは人の生活の一部に、ある時は神の降臨を演出するのに用いた。この自然の神々しさ。天使のはしごとも言うんだよ、と教えてくれたのは幸村くんだった。天界から地上に天使が来る、その道筋になったとかそういう話で。天使や神が地上にやってきたときの光景は、レンブラントが描いたような、そしてさっき私が公園で見た幸村くんのような一枚の絵だったに違いない。
幸村くんはほうっと息を吐いた。


「クリスマスイブにこの光景を見るとは、ロマンチックでいいね」


そういえば幸村くんは、この光景にふさわしい二つ名を持っているじゃないか。私は真面目な顔で言う。


「まさか神様が、地上で遊んでいる『神の子』を連れ戻しに来たんじゃないよね」

「そうかもしれない。でも天界に戻るなら君も一緒に連れて行くよ」


彼も真面目な顔をして返事をする。私たちは顔を見合わせる。そして、プッと吹き出した。


「ふふふ」

「ふふ、言うようになったね君も」


なんて馬鹿馬鹿しい茶番なんだろう。でも、それが楽しくて仕方がない。嬉しくて、恥ずかしくて、やっぱり嬉しい。彼が繋いでいる私の手をやさしく握り返した。


「もうそろそろお店も開き始めただろう。俺たちも行こうか、買い出しに」

「うん。楽しみだね」


さあ、光の降り注ぐ街に降りようか。レンブラントの絵のように綺麗な景色の中へ。坂を降りればすぐそこだ。彼が、私の顔を見た。


「ねえ、由紀。好きだよ」

「私も、好き」

「そろそろ俺のことも名前で呼んでくれると嬉しいな」

「……精市くん」

「よくできました」

メリークリスマス、これ、プレゼント、と彼は言う。いつの間にか、彼のコートの中で繋がれていた私の右手、薬指に堅いリングのような感触がある。
私の顔を見て、彼はいたずらっぽく笑った。


(20111224)

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