20万打企画 | ナノ
裏の顔を知ったなら

「あんた、手塚くんとつきあい始めてから表情筋が働いてないみたいね。顔ゆるみすぎ。伸びたラーメンみたい」

「せめて人に例えてよ」

「いろんなものにたとえられるのが比喩のいいところなのよ」

「そりゃそうだけど」


私は自分の頬をひっぱった。確かに今は告白される前よりも気持ちがふわついていて、勉強をしていようとも部活をしていようとも明らかに浮き足立っている。手をつないだこととか抱きついたこととかそんなことばかりを思い出している。完全にお花畑状態。今恋愛の話をしたら何時間でもノロケられる自信がある。それをしない理由はただ一つで、「あんな状態の手塚くん」を友人に打ち明けていいものかというためらいがあるから、だった。

……大石くんには見られたけど。彼は真っ青になって、こちらが何かを言う前に「だだだだだだ誰にも言わないから!」と叫ぶように宣言してくれた。







裏の顔を知ったなら




「夏目。俺は、どうだ?」


ある日、いつものように一緒に帰るときに手塚くんは唐突に言った。いつもよりも手に力が入っている。私は軽く彼の手を握り返した。


「え?どうって」

「俺はこれで大丈夫なのか」


人生相談だろうか。手塚くんもこんな風に悩むのか、と私は心配する一方で意外に感じた。彼はあまり人に悩みを相談しそうには見えなかったんだけど、実はいろいろ抱えていたのかもしれない。もう3年の夏大会が終わって部活は引退したけれど、でも将来を期待されている彼のテニス人生はこれからなのだ。
それしてもどうしたんだろう。自信がなくなったのか、それとも別の何かがあったのか。


「テニスで何かあったの?」

「いや、何もないが」

「じゃあ、他になにかあったの?」


特に何があったわけでもないけど不安になったとか、そういうやつか。手塚くんはいろいろ考えていそうだしね。彼の様子をうかがうと、彼は微妙な顔でこちらを見ていた。……あれ、もしかして私、空気読めてない?たぶん私も微妙な表情をしたのだろう、沈黙が訪れた。しばらく黙って歩く。
ふいに空気が揺れて、手塚くんが今度はもっとはっきりと言った。


「夏目。お前は俺と付き合って後悔していないのか?」

「ええ、してるわけないよ!ずっとこうなったらいいなあって思ってたから。……まさか、手塚くんは後悔」

「いや、俺も嬉しいが」


嬉しい、『が』?私はひやりとした。彼とつきあい初めてからまだ1週間ほどなのに、もう、何かやってしまったのだろうか。私は息をのんだ。


「俺は夏目に何かしてしまったか」


ずいぶん深刻な顔をしている手塚くんを見て、私は混乱した。何もされた覚えはない。告白されて、いつものように一緒に返って、オフの日にはデートをして、意外と恋人っぽいことをしたりして。嬉しいことはされたけれど、そんな深刻な顔をされてしまうような致命的な何かをされた覚えは全くない。……重い荷物は持ってくれるし、扉だってあけてくれるし、道を歩くときはいつだって道路側を歩いてくれた。完璧だったのに。


「思い当たることは何もないけど」

「だが、付き合い始めた日の夜のことだが、コーヒーをこぼして携帯を壊したから電話が通じなかった、というのは嘘だろう?」

「えっ」








思い当たること、あったーーっ!!








「お前はコーヒーを飲まないだろう。聞かれたくないことならばすまない。だがお前が俺に対して何か我慢しているのではないかと不安だ」

「えっあっいや、その、確かにコーヒーこぼしたっていうのは嘘だけど携帯を壊しちゃったっていうのは本当で」

「ではなぜ」

「あっあのね!その、思わず自分でその、逆パカしちゃって」


焦って頭が働かなくなった私は、そのときのことを思い出してそのまま語った。


「何かあったのか」

「いやそんな特に大きな何かがあったってわけじゃないんだけど手塚くんのメールにちょっとびっくり――」

「何だと?」


あ、言ってしまった。慌てて口をつぐんだけれどもう遅い。彼は驚いたような色を顔に浮かべた。わずかだけど。コーヒーっていう一言の嘘のせいでここまで引きずり出されてしまった。手塚くんって尋問の才能があるんじゃないか。


「あ……いやその……」

「良くないところがあるなら教えてくれ。言ってもらわないと今の俺には分からない」

「いや、良くないとかまずいとかそういうのじゃなくて、ただちょっと驚いただけで」

「何に対してだ?」


必死で反らしていた顔を両手でつかまれた。そしてそのままくいっと手塚くんの方を向かされる。強制的に彼に真面目な顔で見つめられることになった私はあっさり観念した。


「えーと、ね……その、手塚くんってベタベタしたりするの嫌いなんじゃないかと思ってたから、『会いたい』って言ってもらえたのがすごく意外で」

「携帯を破壊するほど意外だったのか」


本当はそれが理由の半分で、もう半分は例のハートマークなんだけど、そこまで言うとなんかマズイというかイケナイところに踏み込んでしまう気がして口をつぐんだ。
彼は複雑そうな顔をした。顔から手を離すと、私の手を取ってすたすたと早足で歩き出す。彼は何も言わない。機嫌を損ねたのだろうか。ショックを受けたのだろうか。自分が周りからどう見えているかくらいは理解してそうだと思ったんだけど。……でも、確かに自分の意外な一言のせいで携帯が破壊されたとなってはショックで嫌だったかもしれない。なんかゴメン、手塚くん。
しばらく黙って歩き続け、あと少しで駅につく、その曲がり角で彼は唐突に立ち止まった。


「実は俺も、意外に思った」


彼はぽつり、とつぶやく。


「自分がこういうメールを送りたくなるということが意外だった。それから夏目、お前の俺に対する行動も意外だった」

「え?私、なんかしたっけ」

「……ほおずりだ」


目を反らして、彼は珍しくもいいにくそうに言葉を出す。


「えっ、どういうこと?もしかして嫌だった?」

「違う。お前は普段、誰にもあまり甘えないだろう。重い荷物も自分で運ぼうとするし、汚い仕事もきちんとやろうとする。自分で全てやろうとする」


突然何を言い出すかと思えば、私自身の話だった。言われてみればそうかもしれない。でもそれは、「しっかりした人になろう」とか「男子には負けない」とかそんな主張があるからというよりも、ただ単にそういうもんだと思って生きてきたからだ。独立心が強いせいか、子供のころからいろんなことを自分でやりたがる性格だったし。


「だから、甘えるのが嫌いなのだと思っていた。手をつないだり、抱き寄せたりしようとしても、『そういうの嫌だから』と拒否されるのではないかと思っていた」


それを聞いて、私はあごが外れそうになった。


「むしろ好きなんだけど、そういうの」

「そのようだな」


しらっとした顔で手塚くんは言う。
なんだ。私だけじゃない。手塚くんも同じように私に驚いていたんだ。付き合う前の様子と付き合ったときの姿が違ったのは手塚くんだけじゃない。私もそうだったのか。自分では分からなかった。私の中では、ドライな自分と甘えたがりな自分が自然と同居していたから。たとえその二つが対立し矛盾するものであったとしても、私はその両方を兼ね備えていたから。


「そっか。お互いに、相手の裏の顔に気が付いてびっくりしてたんだね」

「ああ。……これからもよろしく頼む」

「こちらこそ」


付き合って初めて知った彼の裏の顔。それは想像していたものとは違ったけれど、それはそれで素敵だ。だってそれは、私と同じように、手塚くんの中で自然と生きている感覚なんだろうから。私が知らなかっただけ。今まで気が付かなかっただけ。
先ほどの動揺はどこへやら、優しい手塚くんの目元にきゅっとときめいて、嬉しくなって私は笑った。ぎゅっと彼の手を握り返す。そんな浮かれた私の手を引いて、彼は「油断せずに行こう」なんて言う。
どうであっても、彼はやっぱり手塚くん。


(20110524, Fin)

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