20万打企画 | ナノ
壁を越えたら上手くいく

手塚は無愛想で無表情だけど、分かりやすいだろう?

そう主張すると、乾は「それは大石が人の心の機微に敏感だからだ」と言う。曰く、一般的には手塚は分かりにくい、と。表情をあまり変えないため分かりにくいのだ、と。手塚は確かに表情や言葉では語らないが、体全体で語っている気がする。淡々としていても越前や他の部員達には相手を思った行動を取るし、決してないがしろにしない。喜んでいるときは雰囲気がちょっとだけ柔らかくなる。
だから、「手塚が夏目さんを好いている」と気づくのはわけないことだった。彼女と一緒にいる手塚は、いつになく優しい目をしている。積極的に女の子と関わろうとする性格でもないのに、彼女には会おうとしているように見えた。ある日手塚に問うてみると、当の本人が自分の恋心に気がついていないみたいだったけれど、それ以降、はっきりと自分の気持ちを認識したようだった。

俺から見た夏目さんはクールでドライな人だった。越前のようなタイプとはちょっと違う。よく笑っているのは見るし、つっぱっているわけでも冷たい態度をとるわけでもない。でもいつも友達と一緒にいるようなタイプの女の子ではなくて、人見知りもしないし排他的でもないけれど、でもべったりした関係を嫌いそうな、そんな風な人だ。独立しているというか。
もし学校中の生徒を2つのタイプに分けたら、手塚と夏目さんは同じグループに入るだろうけれど、手塚は無表情で彼女は感情が豊かで。手塚は模範生で、彼女は真面目だけど自由な雰囲気があって。一見同じタイプには見えない。

それなのに俺はなぜか、彼らがとてもよく似ているような気がした。







壁を越えたら上手くいく




数日経っても、俺は熱病に浮かされたような気分だった。断じて手塚のように恋をしているわけではない。あのメールが頭から離れないだけだ。

だって。だって、愛してるにハートマークだぞ。あの、あの手塚が。

そのおかげで、今日は夢にまであのメールが出てきた。しかもその内容が、青学の手塚、立海の真田、不動峰の橘、四天宝寺の石田というこゆい堅物メンバーが畳の上で正座をし、『あのメール』を中心にして円になり、顔をつきあわせて「うむ、やはり恋人に送るならこれだな」などとくそ真面目な顔でおもむろに語り合っているというものだった。そのメールがいかにすぐれているか、一字一句ハートマークの絵文字に至るまで真剣に議論している。俺はなぜかそのメンバーの中に入っていて、その居心地の悪すぎる空間で大量の汗をかきながら「早く終わってくれー!」と心の中で叫ぶという悪夢のような……悪夢だった。


「大石が手塚に恋愛相談をされた確率73%」


昼休みにひょっこり乾がやってきたと思ったら唐突にいうものだから、俺は飲んでいた緑茶を吹き出しかけた。それに耐えたはいいが今度は気管支に水分が入って、勢いよく咳き込むはめになった。乾に背を優しく叩かれてようやく落ち着いたころ、彼は改めて言った。


「俺も夏目に手塚のことを相談された。おおむね手塚と同じことで悩んでいるのだろう」

「え。そもそも乾は夏目さんと知り合いだったのか?」

「実は幼なじみだ、家も近い」


ということは、乾は手塚と夏目さんの話をだいぶ知っているに違いない。俺は暗闇の中で一閃の光を見付けたような気分になった。それなら大丈夫だ。乾に打ち明けよう、この気持ちを!俺はもう一人で抱えるのは耐えられない。どこかで誰かにぼろっと吐き出してしまいそうだ。でも夏目さんから相談されたという、乾なら。


「乾、どういうことなんだあれは。いったい二人ともどうしたっていうんだ」

「おおかた戸惑っているんだろう。恋をして、恋人同士になって初めて見付けた相手の変化に」


乾はいつもの通り、ゆっくりと低い声で話す。その言葉を聞いて、段々俺は落ち着いてきた。確かに手塚は変わった。彼女に対する部分だけだけど。そもそも理詰めで考える手塚が、女子の心情がどうのという全く根拠のない仮定に対して悩んでいること自体が摩訶不思議だ。


「壁を越えてしまえば上手くいくとは思うんだがな」

「確かに、あの二人の相性は良さそうだと思うけど……、お互いに戸惑っているというよりも、どっちかというと手塚の変化に彼女がついて行けてないんじゃないか」

「それはどうかな」


乾は意味深な台詞を吐いて、小さく笑みを浮かべた。その顔に微かにやどる暖かさに、俺は目をしばたかせた。


「大石、夏目はどう見える」

「そりゃあ、さっぱりとクールで……表情は豊かだけどちょっと手塚に似てるというか」

「ああ、そうだな。おそらく、あいつは大石が思っている以上に手塚に似ているぞ」

「ええ?」


思っている以上に似ている?……どこがだろう。俺にはよく分からない。一方で乾は自信に満ちた表情をしており、幼なじみの彼ならではの理解があるのだろう。彼女にも手塚のように、学校では見せない素顔があるということなのだろうか。


「手塚に似てる、ねえ。乾、手塚がこの前夏目さんに送ったメール、見せてもらったか?」

「見てはいないが聞いた。『会いたい』だろう」

「ああ、まあそうなんだけど……じゃあ、そ、その言葉の最後にハートマークが付いていたことも知っているのか?よくそれ知って平静でいられるな」


乾は一切の動きを止めると、ノートを手から取り落とした。
全ての情報を把握し、手塚と夏目さんの恋物語を高みから見物しているかのようだった彼の顔が、俺と同じ顔に変わった瞬間だった。


***


その日の帰り、俺は駅へ向かって使い慣れた登下校路とは別の道――住宅街に面したやや薄暗い道を歩いていた。理由はただ一つで、単にこっちの道沿いにアクアリウムショップがあって、そこに寄ったからだ。女の子が一人で歩くのは少し怖い道かもしれないが、めったに通らないから新鮮だ。下校はだいたい英二と一緒だったから、一人で帰ることもあまりなかったし。たまにはこういうのもいいかもしれない。俺はアクアグッズの入った袋を握り直した。

しばらく歩くと、誰かが電柱の影にいるのが見えた。近所の人かなんかだろうと思い込んでいた俺は、特に気にせず、その人のすぐ横を通り過ぎようとした。
なんとなく、通り過ぎる瞬間、横目でちらっと見る。

もっとちゃんと袋を握りしめておけば良かったと後悔した。




そこにいたのは手塚、と、手塚にほおずりをしている夏目さんだった。俺は、漫画のように、そして今日見た乾のように、情けなくも袋を取り落とした。









目を反らすべきだと分かっているのに、目が彼らから離れない。買い物袋が地面に衝突した瞬間、彼らは俺に気が付いて、はっとした様子でこちらを見た。
俺はかぱっと口を開けた。何か言うべきはずなのに言葉が出てこない。
さっきまで表情がかすかにゆるんでいた手塚は無表情になり、夏目さんは硬直した。


「あっ、いや、違うんだ、待ってくれ!いや、ホントに俺何も見てないから!見てない!だからうん、その、ちょっとこっちの道に用があってたまたま……うおっ」


じりじり後じさった俺は自分が落とした袋にけつまずいて、派手にしりもちをついた。


「お・お・い・し・く・ん?」


自然と俺を見下ろすような状態になった夏目さんは、にっこりと微笑んだ。


怖い。


俺は何も言えなくて、可哀想な人魚姫のようにぱくぱくと声なき声を発した。彼女は何も言わない。ただ俺の焦りだけが募っていく。たっぷり時間をおいてから、彼女は低い声で言った。


「見たよね?」


俺は助けを求めるように手塚の顔を見た。いつも部内のもめ事にケリをつけるのが手塚だったから、反射的にそうした。薄暗がりの中で、かすかで無機質な街灯に照らされ、下から見上げた手塚の無表情は迫力満点だった。眼鏡が冷たく光った。手塚は何も言わない。

……そりゃそうだ。手塚だって見られた側なのだ。俺の希望は消えた。ほおずりをされていたクールな手塚と、ほおずりをしていたクールな夏目さん。


「もしかして、思っている以上に似てるってこういうことか?」


手塚だけじゃない。彼女もまた、別の素顔を持っていた。


「ん?なんかいったのかなー大石くん?」

「あ……いや……」


夏目さんがこちらへ向かって歩いてきた。いつもは有益な乾の言葉が分かったところで、今の俺には全く意味がない。俺のピンチはこれからだった。


(20110522)

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