ガンコナーの声(30万打企画) | ナノ
覗いたのは底なき淵か

言葉を不自然に途切れさせたまま、私は呆然として携帯を握りしめた。


週番。日誌。柳蓮二。会話。神話。趣味。既視感。コヤマ。……高原、美波。


美波、そうだ、美波。私が既視感を覚えた理由、こんな会話をどこかで聞いたと思った理由。あの日を境にどんどん柳くんにのめり込んでいった彼女はなんと言っていた?――『大した話はしてないよ。趣味のこととか、友達のこととか』。そう言っていたはずだ。私は今、柳くんと何を話していた?趣味の話と友達の話を、した。その時の彼女と今の私。同じじゃないか?
その後、美波は続け言っていた、『柳くん本当に優しくて』。さっきまでの私は彼のことを何て思っていた?冷たいけれど上辺だけの微笑みを浮かべる人よりもずっと優しいと、そう、思っていなかったか。



溢れ出した記憶に合わせて頭が勝手に事実を繋げていく。



背筋に冷たい汗が垂れた。震えそうな手にぎゅっと力を込める。猛烈な恐怖に襲われた。命を狙われているような差し迫った恐怖じゃなくて、静かに忍び寄ってくる狂気のような恐ろしさ。全く同じ日常、全く同じ人間関係の間で過ごしているのに何かが違う、考えても分からないほど小さな何かが少しずつずれた異世界に一人だけ放り込まれたような、そんな不安。

急に、隣にいる男の存在が黒く迫ってくるように思えた。冷静さの伴った彼の正直な言葉は優しさなんかじゃない、優しいんじゃない、違う。違う。この人は、『違う』。何が違うのかは分からない、でも。








この人は、優しくなんてない。








携帯を見たままの私の顔は、きっと凍り付いていたのだろうと思う。「どうした。何かあったのか」と柳くんのいぶかしげな問いが飛んできて、慌てて携帯を閉じる。おそるおそる彼の顔を見るが、いつもと変わらぬように見えた。
それなのに今ではもう、携帯の中まで見透かされているような気がした。


「ううん、ごめん、何でもない」

「そうか。さっきの続きだが」


話題は変わらない。いや、彼が変えようとしない。さっきから流れる嫌な汗が、体にいやにまとわりつく。口がカラカラに渇いていく。


「小山は真面目な性格ではあるな。苗字にとってはいい友人なのだろう?」


このどうしようもない焦燥と怖れ、大きな壁の前で立ちすくむ子供のような、いやそんなものじゃない、日常も平和も喜びも何もかもを翻弄するような巨大な力の前で、無力でなかったはずの大人がたった今無力になったような、窮地に立たされたような、いやもうとっくに決着はついているのかもしれない、そんな恐怖感。
口を開けたのに何も音が出てこない。彼は黙って私の様子をじっと見ていた。小山と友達?そう、その通り、その通りだけれど。でもこれ以上何も言ってはいけない。そんな気がした。

彼は細い眼をこちらに向けた。そんなこと分からないはずなのに、確かに『柳くんと目があった』。










脳裏でけたたましく警鐘が鳴る。



危険、危険、危険、危険、危険。









あの日廊下の端で見た、話をする美波と柳くん。

(ほう、それは面白いな)
(でしょでしょ?わー、やっぱり柳くんって話が分かるー!)

普通の、学校中のどこにでも溢れているような会話。親友と親友が恋する男の会話を盗み聞いてしまった罪悪感にすぐその場を離れようとした。でも私は動けなくなった。男から出た黒くてねっとりとした糸が、私の足にも絡みついたみたいだった。

(それで、夏目のことだが)
(ああ、うん。ちょっと変わってるんでしょ、趣味は合わないんだけど不思議とウマが合うんだよね)
(ほう、変わっている、か。それは――)

ショックを受けた。あの美波が、口が軽いわけでもなく八方美人でもない、特に愛想の良いわけでもない信用のおける彼女が、あっさりと私のことを柳蓮二に話している。口外されたくないことを話されているわけじゃない、でも、よりにもよって親友の彼女が彼のいいなりのようになっていることが、それがショックだった。中学生の話題としては普通の範囲だ、でも、それでも。
私は目を見開いて、物陰から食い入るように二人を見た。冷静に、物静かに、全てを客観的に観察するかのように美波を見る柳くん。熱っぽい調子でうっとりと夢中で語る美波。

どれくらい時間がたったのだろうか、ふいに柳くんが顔をあげてこちらを見た。間違いなくこちらを見、そして、私は『柳くんと目があった』のだ。
私はとっさにきびすを返して、足音を立てないように、逃げるようにその場を離れた。







そのときの彼は――――冷たい笑みを浮かべてはいなかった?








「夏目?」


自分が青くなるのが分かった。何かは分からないけど確かな恐怖、この人と関わってはいけない。体が微かに震えだした。
この人は何。何なの。美波のことをあんな風に変えて。恋だから?美波は恋したからああなったっていうの。人のことをぺらぺらしゃべる子じゃなかったのに。それに、柳くんと美波の間に横たわるどうしようもない温度差、普通ならお互いに気づくはずのそれに全く気づかない美波、違う、美波が気づかないんじゃない、柳くんが気づかせないんじゃない、の。何で。何のために。

さっきの自分はどうだ。固く閉じられていたはずの口先は融解して、歓喜に怯えた体からするすると言葉が流れ出した。私の好きなものを他の人にも認めて欲しい、心の奥底でずっと燻っていた強い思いが舌を動かして、彼は言葉に耳を傾け話が途切れないような上手い相づちを打った。警戒する心なんてとっくに消されてしまっていた。ぼんやりとしたまま、彼の臨むままに、言葉を差し出そうとはしていなかった?


「小山くん…………の、ことは、柳くんから見た通りなんじゃないかな」


わななきそうになる体を必死で押しとどめて、短く返す。小山のことなんて何も知らない、話すとしてもどうせ大した話はできないし小山の秘密だって知らない、でも、今ここで何かを言ってしまえば全てが柳蓮二に操られてしまうかのような気になった。


「俺が見ている小山とお前が見ている小山は違うはずだ」

「……そんなことない、よ、柳くんだったら分かると思うよ。日誌書き終わった?」


ああ、と柳くんが言った瞬間、私は奪い取るように日誌を手に取った。


「じゃあ、先生に持って行くね」

「夏目」

「気にしないで、部活あるでしょ。ここまで書いてくれてありがとう、じゃあね!」


重い湿気をため込みどろりとした甘い腐臭の漂う、絡みつくような底の見えない闇をのぞき込んだ。柳蓮二という名の闇を。そして、のぞいたつもりが逆に闇の中から手招きされていた。自らの意志で近づいたのだと、これくらいなら大丈夫だと近寄ったつもりで、でも本当は私の息一つ瞬き一つまで全て計算された上で誘い込まれていたのかもしれない、だって、柳蓮二が私にしたのは、彼が美波にしたのと全く同じこと、別の人間に対してなのに何の感情もこもらず全く同じ事をしてのけた。
美波が気が付かなかったように、私もまた気が付かなかっただけなのだろうか、柳蓮二はこうして私と話しているときにもまた、全てをあざけるような薄い笑みを浮かべていたのだろうか。

彼の言葉にかぶせるように言い放って、乱暴に鞄を掴むと私は教室から飛び出た。息苦しい。怖い、どうなるのかが分からない、分かっていても怖い、私はああいう風にはなりたくない、あんな、あんな。

どろどろと絡みつく闇を振り払うように、ひたすら職員室に向かって駆ける。背中に痛いほどの視線を感じながら。



***



公園のベンチで一休憩入れたところで、隣に座っていた美波がはあ、と大きなため息をついた。疲れたのかと聞くと、彼女は力なく首を横にふった。


「最近あんまり話せなくなっちゃったんだよね、柳くんと」


昨日の今日で気にしていた男の名前を出されて、優はびくりと身をすくませた。今日が土曜日で良かった、まだ次に彼に会うまでは時間があると思っていたのだけれど、別のところで話が出てきた。


「そういえば最近話してるとこ見なかった」

「うん。……優はどうなのよ」

「わ、私?全然だよ、週番だったり隣だったりで少し話すくらい」


昨日のことは何も言わなかった。言いたくない。言う必要もなかった。


「ええ、そうなの。てっきり優は柳くんに気に入られてると思って、焼き餅やいてたのに」

「えっ……え?そんなわけないじゃん、なんで?」


だって、と美波は口をとがらせて、ベンチに乱暴に置いていたアクセサリーの袋を引き寄せた。指先でそれをゆっくりなぞりながら、彼女はまたため息を吐いた。それでも、嫉妬していると言ったりため息を吐いてたりしている割には暗い調子はなくて、ただ、物憂げな甘い恋煩いに切なくなっているだけ、のように見えた。


「だって、柳くん、私の趣味とか何とかの他には優のことを詳しく聞いてきたから、何回か、ね」


私は息を呑んだ。私が見たあの時だけじゃなかったんだ。私のことを詳しく美波に聞いていた。それで、柳くんは私の好みを知っていた。……それで、私の好む話を私にしてきた後に、彼は小山のことを問うてきた。

何、何。一体、何なの。

目的は何。
ただの好奇心?
でも、それでここまでする?


まあ大丈夫なんじゃない、と適当な慰めを美波にかけて、私はぶるりと身を震わせた。


(20110704)

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