ガンコナーの声(30万打企画) | ナノ
うわごとは泡と浮かぶ

今日も男は誰かに声をかける。いつものように淡々と、薄い唇から言葉を紡ぐ。落ち着いた低い響きは、その音の届く範囲にある机を、椅子を、教卓を、人の肌をなで、ひたひたと浸透していく。人の体に入り込んだそれは馥郁と香る。毒を帯びた甘い蜜となってねっとりと内部にからみつき、操り、支配する。

たまたまその声に触れてしまった私は震えて、体中がぎしぎしと悲鳴を上げる。壊れる。壊される。犯される。私の領域が。このままいったらどうなるのだろう、深淵なる未知に怯える。恐怖におののいていると、いつの間にか、ふっとその支配から解放される。そしてほっと安堵のため息をつく。ああ助かった、と。

それでもまだ、恐怖はぬぐえない。

怖かった。彼の声が、怖かった。




ガンコナーの声







初めて柳蓮二を意識したのはあのときだ。クラスメイトで親友の高原美波が彼に『落ちた』とき。美波は割と冷めた性格で、恋愛だとか憧れだとか、そういった感情を今まであまり持っていなかった。それなのにある日突然、彼女は熱っぽい顔でうわごとのように言った。「柳くんのことが好きになっちゃったかも」と。彼女はとろけそうな目をして、ほほを上気させて言った。
それから私は、美波と同じような状態の女の子を何人も見た。さまざまに異なるタイプの女の子が、一様に熱病に犯されたかのように言う。彼は魅力的だ、と。素敵だ、と。好きになった、と。

素敵な男の子について女の子が騒ぎ立てるのは当たり前のことだけど、柳蓮二に魅了された子はみな同じ様子に見えた。まるで、宗教のような異様な熱っぽさがあった。


「本気で恋をしたら変わるもんよ。優は恋をしたことがないから分からないんじゃない?」


私が「変わったね」と言うと、美波は当然のようにそう答えた。そう、彼女は変わった。どの男の子にも興味を示さなかった彼女が、柳くんを追うようになった。同じく柳くんが好きな女の子たちときゃあきゃあ騒いで、それが恋なのか、ただの熱烈なファンなのかは分からないけれど。

柳蓮二は本当に奇妙な男だ。あらゆる物事を確率予測する習慣がある。明日の天気から同級生の癖まで膨大な情報を求めて、ノートと鉛筆を手に、さまざまなものや人を観察する。質問をし、噂を聞く。本人の興味の赴くままに。
普通、変わり者は女の子受けが悪い。だが彼女たちはそんなことを一向に気にせず、柳蓮二を褒め称える。口々に魅力の理由を並べ立てる。発達した運動神経、普通の同級生にはない落ち着き、長身、聡明さ。彼は、密かに女の子の間でもてはやされていた。

でも彼女たちを本当に魅了しているのはたぶん、そこじゃない。


「最初に好きになったのは、柳くんに週番手伝ってもらったときだって言ってたっけ」

「そうそう。柳くんは週番じゃなかったのに、私が一人でやってた仕事手伝ってくれて。部活がなかったみたいなんだけど、でも普通の男子はそんなことしてくれないじゃん」


目の前で美波は嬉しそうに話す。
美波の影響で、柳くん好きな子と話す機会が自然と増えた私は、彼女たちの共通点に気が付いた。みんな彼と何かしら共同作業をして、話をしたことがきっかけで『落ちて』いた。彼と話をする前はせいぜい、柳くんはテニスもできるし賢いからちょっといいかも、くらいだったのに。
もちろん、柳くんと話した女の子全員が夢中になっているわけじゃない。熱狂的な仁王くんファンとか、彼氏と上手くいっている女の子は、あまり柳くんになびかない。それでも一定数の女の子が彼の話で『落ちて』いる。


「美波はそのとき初めて柳くんと話したんでしょ。どんな感じだった?」

「別に、大した話はしてないよ。趣味のこととか、友達のこととかそれくらい。でも柳くん、本当に優しくてね、それで」


違うんだよ、そういうことじゃなくて。そう言おうとして、言葉を飲みこんだ。聞きたいのはそういうことじゃないけど、何が聞きたいのか、自分でもはっきりとしない。

声。女の子を本当に魅了しているのは声なんじゃないか、とふと、思う。柳蓮二の声には魔力がある。そんな気がする。彼の口からこぼれた静かな声は、蜘蛛の糸のように何本も何本も、目の前で話をする女の子につうっと巻き付き、いつの間にか身動きが出来なくなった彼女たちは繰り人形になって『落ちる』。それを見た彼は仮面の奥で、獲物を捕らえた蜘蛛のように嘲笑うのだ。



――ただの想像にすぎない。確証もない。私はぶるりと震えた。美波だって悪い方に変わったわけじゃない。それでも、嬉々として柳くんについて語る親友の姿に私は漠然とした不安を覚えた。



***



昇降口にたどりつく。鼓動が早い。気が動転していたせいで、前もろくに確認せず後ろから誰かにぶつかった。ぶつかられた男の子は運動靴を手にしたまま前につんのめって、スノコの上から地面に落ちそうになり、危ういところで踏みとどまった。


「うわっごめんなさい!……あれ、コヤマくん」

「なんだ夏目か、コヤマじゃなくてオヤマだっつうの」


男の子は、隣の席の小山くんだった。これから部活に行こうとしているのか、ラケットバッグを背負っている。よく知っている彼といつもの掛け合いをしたおかげで、気分はだいぶ落ち着いてきた。胸に手を当てると、まだどくどくと脈打っている。


たまたま通りがかった廊下の端で見たもの。
美波と柳くんが話をしていた。それを、盗み聞いてしまった。話の内容にショックを受け、同時に、彼らの姿にうすら寒いものを感じた。気味が悪いというのか、居心地が悪いといえばいいのか。たとえば、自分の手柄ではないことを誤解されてみんなから無言で尊敬されているとき、友達の彼氏と自分が恋人同士だと暗黙のうちに勘違いされているとき、そんな風にぼんやりと何かが噛み合っていないようなずれ。


私は大きく深呼吸をしてから、自分の靴を手に取った。小山くんと並んで昇降口から出る。


「これから部活?テニス部、今日はオフじゃなかったっけ」

「オフでもだいたいみんな自主練すんだよ。俺も柳みたいになりてえし」


柳くんは、1年生のときからレギュラーだった。中学テニスの強豪であるうちの学校で1年生からレギュラーになるというのは、とんでもない偉業だ。そしてレギュラーの称号に恥じぬほど、彼は実際に強いらしい。三強と呼ばれる3人組の中では目立たない方ではあるのだけれども。なんせ、幸村くんがいる。整った甘い容姿、「神の子」と仇名されるほどのテニスの強さ、柔らかい物腰。立海の中でも1、2位を争うほど女の子に人気がある幸村くんに比べれば、柳くんは見劣りこそしないが地味ではある。


「そっか。柳くん、強いもんね。……女の子にもモテる」

「うーん言われてみればそうだな、そうらしいな。女子にモテるテニス部員っつうと、どうしても幸村、仁王、丸井あたりが最初に思い浮かぶけど」

「ねえ、なんで柳くん、モテるんだと思う?幸村くんとか仁王くんとか丸井くんはさ、華やかだし愛想もいいから納得だけど柳くんは違うじゃん」

「いやお前、なんで俺に聞くんだよ。女のお前の方がよく分かってるんじゃねえの?ま、レギュラーはみんなモテるだろ。全国レベルだし」


レギュラーだからモテる。それには違いないけれど、でも柳くんのモテ方は何かが違う気がする。レギュラーだからモテている?違う、そうじゃない。直感的にそうじゃないんだと思うけれど、やっぱり何と表現すれば良いのかが分からなくて、私は結局また黙りこんだ。


「じゃあな。そういや明日は席替えか、次はさすがに違う席だろ」

「3連続で隣同士だもんね。じゃあ、また明日」


グラウンドの前で小山くんと別れた後、大きく息をすった。忘れてしまおう。



***



「おはよう、夏目。今日は一限目が自習になる確率79%だ」

「おはよう、柳くん。そうなの?」

「昨日、先生は風邪を引いていた」


遅刻ぎりぎりで席に滑り込んだ私に、柳蓮二は言う。まるで過去の出来事かのように、確定した事実であるかのごとく、何の感情もこもらぬ声で彼は言う。いつもの、あの声で。私はそうなんだ、ラッキー、と軽く返事をして、一つ笑みを浮かべてみせた。ポケットから出した携帯に熱中するふりをして、会話を打ち切る。偶然携帯がブルブルと震えた。私は受信したメールの内容に苦笑する。今三つ後ろの席にいる美波からだった。そのままメールを閉じて、何も見なかったふりをする。

『蓮二くんと積極的に話さないなら席変わってよ〜、もったいない!』

この前の席替えで案の定小山くんと別の席になった私は、何の因果か柳くんの隣になった。今日からは彼と一緒に週番をやらなければならない。
怖い。話をするのが、怖い。私もどうにかなってしまうのかと思うと怖い。深い未開の穴をのぞき込んでいるようだ。ふらりと一歩踏み込んでしまえば、相手の手の内に落ちて帰れなくなる、そんな気になる。
それでも私は必死で、何事もないかのように振る舞った。彼は拾った情報を分析するのが得意だ。だから、もし何かに気が付かれてしまったら、あっという間にいろいろなことがばれてしまいそうだった。


「じゃあ、そっちは頼むね。私、掲示板で連絡見てくる」

「ああ、よろしく」


放課後になって、逃げるように教室から出た。私は彼女たちのようにはなりたくない。彼の声が、怖い。


(20110615)

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