ガンコナーの声(30万打企画) | ナノ
深く沈みゆく、声の中

酷いじゃないか、そんなの。酷いじゃないか。そうやって、私が見てきた女の子たちは、美波は。私は本をそのままに図書室から飛び出した。逃げて、逃げて、どこへ向かっているかも分からぬまま逃げて、気が付けば目の前に柳くんに両腕を捕まれていた。日の当たらぬ廊下の端で、向き合うように囚われていた。


「夏目、どうしたんだ突然」


そう、今でもそうだ。こんなことを白々しく言って見せたりして。心配してるんじゃない、また私から話を聞き出したいだけなんじゃないの。
ひくりと喉の奥が震えた。目尻が熱くなる、もう少しで涙がにじむ。そっとしておいてよ。お願いだから。別に私から聞き出せることなんて何もないよ。私はどういう顔をしていたのだろう。ただ怖いだけじゃない、つらくて、悲しくて、そして腹立たしかった。何でそんなことができるの。平気な顔で。


「前もそうだったな、俺と目を合わせるなり走り出して」


弱った心につけ込むんだ、この男は。ただの情報だけじゃない、奥底に隠しておいた本音が漏れてしまいそうだった。こんなことまで引きずり出してどうするつもりなのか、大した情報なんて持っていないのに、それを引きずり出すために柳蓮二は私の心を踏みつけていくのだ。
彼は珍しくも、生暖かく撫でるような声を出した。


「どうした。話せ」


ねっとりと耳元で囁くような声に体が震える。まるで自分の女を気に掛けるような声。でも違う。彼は違う。その声はするりと私の喉に入り込んで、真綿で締めるように、効きの遅い猛毒のようにじわりじわりと私を締め付ける。優しい声の下に隠されているのは何なの。他の子にしたように、抜けることも叶うこともない固い杭を打ち込んでいくつもりなんじゃないの。馬鹿な女だとでも言うかのように笑って消えていくんじゃないの。
じわり、涙が出て目の前の景色が揺らぐ。手をぎゅっと握って、私は叫ぶように言った。


「ひどいじゃないか、そうやって、人を利用するような真似をして」


柳くんの手の力がふっと弱まった。私は彼の手を振り払った。彼は珍しくノートを出すこともせずに、ただ立っていた。


「どうせ情報が欲しいんでしょ、データが欲しいんでしょ!口を割らせて、それで」

「夏目がそう感じたならすまなかった。無理矢理聞いているつもりはなかったのだが」

「そうじゃない、無理矢理だなんて思ってない、でも柳くんは卑怯だ、卑怯じゃないか」


ああ駄目だ、涙がこぼれてしまいそうだ。私は上手く言えないんだ、こんなときでも。理論で武装する彼の前においても、だだっ子のような言い方しか出てこない。
ふっと彼の雰囲気が変わった。さっきから表情も挙動も変わらぬはずなのに、そう思えた。


「柳くんは人のことをよく知っている、それで、人の隙に付け入るじゃないか」

「何をもってそう思うんだ」

「相手の喜ぶことを言って、女の子に慕われて、その子のことを知りたがるようなそぶりを見せて。でもその女の子からもらった情報は都合のいいように利用するんでしょ。それで用済みになった女の子のことはもうどうでもいいんだ。それまでずっと仲良くしてたくせに、柳くんはためらいもしないんだ」


彼は細い眼をうっすらと開いた。何を考えているかなんて分からない。怒っているのかもしれないけれど、もう私の口は止まらなかった。
男は表情を変えない。どんなときでも。こうやって私が訴えかけている今だって。馬鹿みたいだ、私一人がこんなに熱くなって。目の淵に溜まっていた涙がこぼれた。私は乱暴に腕でそれをぬぐって、彼を正面から睨み付けた。


「美波とだって、もう前みたいに話すつもりはないんでしょ」


彼は口を開こうともしない。無言の肯定だった。
また涙が出てきて、カッと胃が熱くなる。どこまでも他人を足蹴にしていくつもりなのだ、この男は。


「私も美波もモノじゃない、傷つくことだってあるのに、そうやってだまして」

「ずいぶん辛辣な物言いだな。俺は誰もだましてなどいない。たとえ夏目の言う通りだったとしても何も問題はないはずだ。嘘をついたわけではない、好意を見せた覚えもない」

「だましているわけではない?ふざけないでよ、相手がどんな気持ちになるか分かってやってたんでしょ」


彼は再び私に手を伸ばそうとして、その手を下ろした。沈黙が落ちる。柳蓮二は私を見おろしたまま、私は柳蓮二を睨み付けたまま、無言の時間が流れた。しばらくして、おもむろに男が口を開いた。


「お前のことを聞いたのはデータが欲しいからじゃない」

「嘘つき。私だけじゃなくて、みんなにも同じことをしたくせに、何もかも分かってたくせに」


確かに嘘はつかなかっただろう、美波の趣味に合わせた話をしたのも、私が好きなアーティストの曲を聞いたというのも、彼が投げかけてきた言葉も。
でも隠してたじゃない。本当は違うのに、本心を隠して、都合のいいところだけ見せて、それで相手に取り入って傷つけて。それが嘘じゃないというのならばなんと言えばいいのだろう。嘘でもない、でも真実でもなくて、彼の言葉はペテン師の嘘よりも信用できない、それは禍々しいガンコナーの口説き文句でしかなかった。


「本当のことだ。といってもお前は信じないだろうな」

「そう、よく分かってるじゃない。嘘はついてないからいいだろうって、そうやってそうやって逃げ道を作って人を実験対象みたいに観察して」


突然、柳蓮二は口を歪めた。
私はぎょっとして彼を凝視した。笑っている。下らない喜劇でも見てしまったかのような顔をして、薄い唇から小さく声を漏らしている。男は笑いを含んだ嫌な声で言った。


「お前も俺と同じだろう。夏目はここのところずっと、俺を観察していただろう?」


汗がつうっと背筋を伝う。今度は私が無言になる番だった。彼はうっすらと笑みを浮かべて、私を見下ろした。


「それで、どうだった。俺を観察した感想は。何かいいことでも分かったか」

「っバカにして、私はそんな悪趣味なことしない!」

「褒めているんだがな。何も考えない女よりも俺好みでもある。現にお前は気が付いたんだろう、俺のやり方に」


私は唇を噛んだ。彼を見てたのは本当のことだ、でも一緒にされたくはない。
彼の声はいつもの淡々とした調子ではなくて、骨の髄まで染みいるような甘さを含んでいた。砂糖菓子のような甘さじゃない、人を快楽の頂点に導く代わりに命を奪う、そんな猛毒の蜜が持つ甘さだった。とろりとした甘さはどろどろとあたりを侵食し、色を奪い自由を奪い、音となって舌で舐めるように私の脳髄を犯していく。

何が俺好みなんだ。それは本当かもしれない、でも彼は私に気があるわけじゃない。そんなことはもう分かってるのだ。そうやって私のことももてあそんで、それで私が貴方に夢中になったら捨てていくんでしょう。
私は目をこすった。酷いじゃないか。酷いじゃないか。悲しいのか悔しいのか自分が分からない、でも侵食された心に渦巻く感情があまりにも大きすぎて涙が出てくる。


「俺は嘘はつかない、だがお前の言葉を否定する気もない。俺が怖いか」


私はうつむいて首を横に振った。もう怖くはない、彼がそういう人なんだと分かったから。得体の知れないものに迫られているような怖さはない、でも胸が詰まって心が痛かった。





「そうか。それならば、好きになることが怖いのか」





冷たい手を心臓に差し込まれたような気がした。全身が硬直する。無遠慮に進入してきたそれは、ぎちぎちと体をかき回す。毒に犯された心が甘く震えるのを感じた。私は呆然とした。ゆっくりと消化されていく、自分が。分かっていたはずなのに、逃げていたはずなのに。私は彼の栄養分になって、そして、死んでいく。相手にされただけいいだなんて思えない。相手にされずに恋い焦がれて死んでいくのと、逃げたいのに逃げられずに喰われて死んでいくこと、どちらがいいのだろうか。
変わってしまった女の子たち。柳くんに熱中した彼女たちはみんなすごく綺麗になった、熱をはらみ彼を見つめる瞳は潤んで美しかった、吐かれたため息はとても甘美なもので。でも彼女たちも美波も変わってしまったんだ、何にも気が付かないで、心をとられて、明るく笑い合っていた前の日常に戻ることはもうできない。


「何も怖れることはない」


囁くような声が降りてきて、私の自由を奪っていく。麻痺させ、内部をどろどろに溶かして、そして。彼は弱った私を見て、嘲笑っているんだろうか。彼が前にしたように。


「最、低。あんたみたいな男、そのうち女の子に刺されて死ぬよ」


柳蓮二はくつくつと笑う。私の体に打ち込まれた声の猛毒は、既に全身に回りつつある。


「そこまで思われるとは、男冥利に尽きるな」


ぼやけた視界に彼の手が入った。伸ばされた手は頬に触れて、上を向かされる。視線の先で、彼は唇を歪めて笑っていた。禍々しい言葉を吐く唇。冷淡に表情を隠す目元。柔らかく熱を帯びた指先は滑らかに動いて、そっと私の目元をぬぐった。目元を撫で、頬についた涙の跡をなぞり、皮膚から染みいるように私に触れる。








溶かされていく。この男の声の中で。そのまま今の私は死んでいくのだ。柳蓮二という甘い毒に犯されて。








指が唇に触れる。私の顔を見た男は満足したように笑い、すっと横を抜けて去っていった。


(20110725, fin)

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