ガンコナーの声(30万打企画) | ナノ
眼前には毒を帯びた舌

月曜日になって、あれから二日ぶりに会った柳くんは何も態度が変わらなかった。その様子にほっとする一方で、不信感、というよりも不安感が募った。私の変な態度に気が付かなかったんだろうか。彼なら気づきそうなものだ。わざとしらんぷりしているのだろうか。それともどうてもいいことなのだろうか。

目の前の美波がまた、ため息をついた。まだ前のようには話せていないらしい。煮え切らない甘い吐息を吐く彼女に、問いかける。


「ねえ、柳くんのどこが好きなの?」

「見れば分かるでしょ。あんなに格好いいのに好きにならない優の方がおかしい」


前と同じ問いをして、同じ言葉が返ってくる。違う、そういうことじゃない。今度こそは、と必死に言葉をつなぐ。


「そりゃ格好いいけど、それは分かるけど。格好いい人だったら他にもたくさんいるじゃない、幸村くんとか仁王くんとか」

「幸村くんも仁王くんも格好いいけど柳くんが私の好みなの」

「でも、クラスが一緒になったばっかのころは柳くんのこと格好いいなんて全然言ってなかったじゃん、興味なかったじゃん」


え、そうだっけ、と気の抜けた返事を返してくる彼女にもどかしさが募る。もう一歩、どう言えば答えてもらえるんだろう。美波が特別に彼に引きつけられる理由は何なのか。恋に理由なんてないって言われたらそりゃそうだ、そうなんだけど、でも、なんか不思議なのだ、何かがおかしいように見えるのだ。


「好きになっちゃったかもって言ったの、美波が柳くんに週番手伝ってもらってからだよ。何があったの、何で好きになったの?」

「え、そうだっけ……うーん、そうだったかな。そうだね、だって優しいから」

「優しい?週番を手伝ってもらったこと?」

「それもあるけど、好意的だったし」


好意的だった?柳蓮二が?あの、冷静で感情を見せない彼が好意的だった?


「だって、すっごく熱心に私の話聞いてくれて、話題もあうし、話しててすごく楽しいし。私と柳くんって相性いいって思って」


何かが胸を強く叩いた。
痛い、痛い痛い。
『熱心に私の話を聞いてくれて』。『話題もあうし、話してて楽しい』。『相性がいい』。……全部、私がこの前の放課後で私が感じていたのと同じことだ。彼は熱心に私の話を聞いた。私に興味を持った。私の趣味にも興味を持った。そして、あの瞬間は確かに話していて楽しかった、はずだった、の、だ。


「あーあ、話したい。柳くんと話したいよー、もう。でもさっきもね、話しかけてもなんか、ね」

「柳くんが冷たくなったってこと」

「ちょっと、へんなこと言わないでよ!柳くんはそんな酷いことしないから!でも、なんか忙しいみたいで会話も続かないから自重した方がいいのかなって」


そっか、と混乱する頭で私はただ同意した。違う。彼にそんな隙はない。忙しいんじゃない、きっとわざと、だ。彼は優しくなんてない。

その思いは、会話の後で懲りずに柳くんに話しかけた美波とそれをそつなく流した柳くんの様子を見て確信に変わった。
もう柳くんは、美波と、話す気がないんだ。
それでも彼は気がないことを気づかせない。美波は鈍い子じゃない、冷静になれば気づかないはずないのに気づかない。
それは、恋をしているから?恋は盲目だから、気が付かない?夢中だから必死だから?それとも、美波の恋の相手が柳くんだから?

柳くんから目が離せない。怖い。見たくない、でも見なければもっと怖いことになりそうな。怖いもの見たさなんて軽いものじゃない、ただ、怖かった。




****




放課後、私は図書館に向かった。何かしていないと柳くんのことを考えてしまう。そしてまたむやみに怯えることになる。気を紛らわそう、好きな本でも読んで。

立海の中等部図書館は私語禁止ではない。正確に言うと私語は禁止だけれども、あまり気にされていない。もちろん大声で騒いだり走り回ったりするのは論外だけど、図書室で勉強の教え合いをしたり小声で話し合ったりするのは認められている。だから、他の場所よりは静かだけれども高等部の図書館ほどは静かでもなく、小さな囁きで埋め尽くされていた。慣れればそれもまた葉擦れの音のようで心地良い。読書を妨害するような音を立てる人もめったにいない。

私は、古い挿絵のついたケルト神話の本を借りてきた。豪華な装丁であったであろう表紙はぼろぼろと剥がれ、紙は黄ばんでいる。本を開くとぱり、と小さな音がして、歳を経た紙独特の乾いた香りが漂ってきた。
中ではケルトの妖精のことが、黒いペン一色で描かれた古い絵とともに紹介されていた。ケルトの「妖精」と訳されてはいるけれど、日本語で思い浮かべる「妖精」というのとはだいぶ違うらしい。てっきり、ファンタジーものに出てくる、美しい羽を持って空を飛び綺麗なドレスを着ているちっちゃな美人のことだと思っていた。
でも、全然違った。妖精というより妖怪だとか、ただの小人に近い。いらずらっぽかったり、嘘つきだったり、好戦的だったり。人とは全く別のルールに従って生きていて、アイルランドのレプラコーンなんかはヒゲをたくわえた小さなおじさんだ。
想像以上に俗っぽくて、予想外だったけれどこれはこれで面白い。日本の妖怪とか幽霊とかよりもずっと、人間から独立しているみたいに見える。不思議、不思議。


ドキドキしながら一枚一枚ページをめくる。


あるページを開いたところで、私は挿絵に目を奪われた。描かれているのは、薄暗い場所に立っている若い男と若い女。男は熱心に女性に言い寄っていて、女性は少し男から顔をそらして、でもまんざらでもなさそうな表情をしている。
これは、妖精なの?ただの二人の人間じゃない。
そう思って、その絵に添えられた文章を読む。



段々と、私の読み進めるスピードが落ちるのが分かった。



これ、は。







「ここにいたのか」


文章に釘付けになっていると、頭上からあの男の声が降ってきた。来る、ような、気がしていた。私はぎこちなく顔を上げた。机を挟んで私の真正面に彼は立っていた。まっすぐこちらを見下ろしてくる。
私はよっぽどひどい顔でもしていたのだろうか、彼は首を傾けた。


「どうした」


私は口を開かずに放心したまま柳くんを見上げ続けた。彼は私の手元にあった本をひょいと手に取ると、それに目を通し始めた。


優しいんじゃない。そう、この男は優しくなんてない。
話を聞いてもらっている。間接的にせよ私に興味を持ってもらっている。私と共通のものを好いてくれている。私が認めてもらっている。そう美波は思っている、そして、あのときの私も確かにそう思った。でも、違う。この、人は。


「ほう……『ガンコナー』の章か。アイルランドに伝わる妖精だな。次々と女に言い寄るその性質から『言い寄り魔』などという訳語もあるな。その姿は老人であるという説もあるが、若い男性の姿をしていると一般には言われる。寂しげな場所に粋なパイプをくわえて表れ、そこへ来た若い女を次々に口説く」


私はまだ何も言えなかった。ふと彼がこちらを見た。また、目があう。


「口説かれた女はみなガンコナーに激しい恋をする。だがガンコナーはそれに答えることはなく女の前からすぐに姿を消してしまう。そのため恋に落ちた女たちは、みなガンコナーに焦がれながら死んでいく。…………これが、どうかしたのか」


柳くんから目が離せない。怖い、でも、もう無理なのだ。私は彼から目を反らさなかった。






ガンコナー。ガンコナー。






自分では分からないの。あなたのこと。気が付いていないの。気が付いてないふりをしているだけなの。

いい人なんかじゃない、優しくもない、美波にも私にも好意のカケラだって抱いてなんかいない。彼は嘘はつかなかったかもしれない、でもそれは本心を切って貼って相手に会わせただけで、それは彼の真実じゃない。


彼に夢中になった女の子は言う。
話を聞いてくれる、話が合う、楽しい、趣味が同じ、私に興味を持ってくれた。



違う。違う違う、違う!柳蓮二は相手に好意があるから話を聞くわけじゃない。暇だから聞いているわけでもない。女の子はみんな言っていた、柳蓮二に引き込まれそうだって。でも本当は違う、引き込まれているんじゃなくて引きずり出されているんだ。情報を。彼が欲するのは女の子たちそのものなんかじゃない、人間関係なんかじゃない、そんなものじゃないのだ。彼は持ち得る全てを、見た目、能力、知識、情報、全てを生かしてさらなる利益を求めていたんだ。
彼はきっと誰かから美波のことを聞いた。それを使って美波に取り入って私のことを聞き、そしてまた、私に取り入って小山のことを聞こうとした。そんな回りくどいやり方をして何が手に入るのかなんて私には分からない、でも彼は何かの目的のためにそれをやり、確実に美波からは何か欲しい情報を得たのだ。そうじゃなかったらあんな風に冷たく笑ったりなんてしない。美波との会話をあんな風に、ばれないように冷たさを隠した流し方をしたりなんかしない。あんな、あんな冷たい顔で。

美波は言っていた。最近は柳くんと話せていない、と。言い寄って取り入った女から欲しい情報を引きずり出して、からっぽになったら彼は消えるのだ。ガンコナーのように。叶わぬ恋心を抱いた女を後に残して、ためらいもなく振り向くこともなく消えてしまうのだ。

ガンコナーは詐欺師じゃない。若い女を口説くのがこの妖精の性質なのだから。じゃあ柳蓮二は。彼もまたそうなのだろうか。彼はいつだって本気だっただろう。嘘もつかなかっただろう。ただ本能のおもむくまま求めたのだ。女の子を、じゃない。情報を。ただ手段を選ばないだけで。女の子は気が付かない。分かるわけがない。どうして分かるだろう、そんなこと。男が欲するのは自分じゃない、情報なのに、とんだ勘違い。


そして彼は墜ちた女を冷たくあざわらうのだろうか。振り向きもせず捨て去って。





無意識のうちに私はふらりと立ち上がった。いぶかしげに柳くんに名前を呼ばれた気がする。もう聞きたくない。お願い、もう嫌、こんなの耐えられない。

私は走って逃げた。初めて目があった時のように。


(20110716)

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