10万Hit&バレンタイン企画 | ナノ
真田くんの場合
その日、真田くんはとてもイライラしていた。普段通りのいかめしい顔はひきつり、こめかみには青筋が浮いてぴくぴくしている。彼が今日この日に腹を立てるというのは1年生のころからの慣例になっているそうだが、それにしても頭から湯気が出そうな様子だ。毎年のことだから、一日だけだからと諦めたらいいのに。そうこぼしたら、「年々女の子の隠し方が巧妙になっているから余計に腹立たしいんだって」と返事がかえってきた。気色ばんだただならぬ空気に、誰もが、アレを誰かに渡そうともくろんでいる女の子は特に、彼を避けていた。
「たるんどる」
歯ぎしりをするように唸った真田くんに、「バレンタインのチョコ?」と聞いてみる。彼は勢い良く首肯すると、相当うっぷんが溜まっていたのか、ぶつぶつと語り始めた。
「なんだこの浮き足だった空気は!風紀委員で没収しても没収してもチョコが沸く。心身を鍛えあげるべきこの学舎で、なんたることだ。たるんどる!」
優は彼の様子にちょっと苦笑した。彼の気持ちが全く分からないではない。風紀委員の活躍のために表立ってチョコのやりとりがなされることはないのに、空気がピンク色というか、チョコレート色なのだ。そこかしこからハートマークとチョコの甘ったるい香りがぷんぷんする。甘味が嫌いな人なら気持ち悪くなってしまいそうだ。
「今日ばっかりは、どんな女の子も風紀委員を恐れないもんね。まあ、彼女たちの気持ちもよく分かるんだけど」
真田くんは無言で、なんだ貴様もか、とでもいいたげな不満そうな顔でこちらを見てくる。真田くん。女の子の世界は、時として男子よりもシビアなんだよ。さあ、私も戦闘開始といきますか。
「真田くん。私は単純な人間だし、どっちかというと校則も守る方だし、真面目だと思う。でもその性格を背負った上で策士になりたい時もある」
いぶかしげな顔をしている彼の前で、自分の鞄を引き寄せてチャックを開ける。
「実は、私も持っているんだよ、バレンタインのチョコレート」
隠しておいたソレを手に乗せて、彼の目の前に突き出す。奇麗にラッピングされたチョコの向こうで彼は目を見張って固まっていた。見つけたら情け容赦なくチョコを没収してしまう、風紀委員の彼に堂々とチョコを見せたのは自分が初めてなのではなかろうか。想定外の出来事だったに違いない。
「な、な…………夏目!」
「ごめんね、真田くん。没収してくれていいよ」
声を上げた彼に、優は冷静に返事をした。それなのに真田くんは固まったまま、微妙な表情をしている。さっきよりもますます訳が分からないという顔のまま、動かない。
「どうしたの?」
「どういうことだ、夏目。なぜだ」
言いたいことは的確に伝わってきた。要するに、誰かに渡したくてチョコを持ってきているはずなのに、何故わざわざ風紀委員に没収されるような真似をするのか、と聞きたいのだろう。
「私としては没収された方が都合がいいんだよ」
「どういうことだ」
彼は眉間にしわを寄せて、じろりとこちらを見た。ああ、真田くんらしい。優は思わず笑ってしまった。余計に彼をいらだたせた気もするが、笑いは止まらない。ここで微笑めたら格好良かったのかもしれないけど、どうもそれは無理らしい。
「だって、ねえ。没収されたら、最終的には君の手元に行き着くじゃないか」
「だから、どうだというんだ?」
きっと本当に分からないんだろう。全く、にぶちんめ。優は今度こそにっこり微笑んでみせた。
「さて、問一。このチョコレートは誰宛でしょう。チョコについてるカードを見てくれるかな」
彼は手を伸ばしてやや乱暴にチョコをつかむと、くるりとカードを裏返した。そして目を見張って動きを止めた。本当に予想外だったらしい。
「真田くん相手なら、真っ向勝負がいいかと思ってね。誰もやってなさそうだから、その方がインパクトあるだろうし」
「……ああ」
彼はチョコを持ったまま、呆然としている。
言ったじゃないか、策士になりたいって。彼が喜ぶかどうかは分からないけど、まあいいか。真田くんはこちらから告白したところで、何も考えずに反射的に「テニスが一番だから」と言ってのけそうだし。まずはインパクトを残すところから。
とりあえず、第一段階、クリア。
(20110203)
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