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バッドトリップ! #7

相当酷い顔をしていたらしい。顔をあげた彼は私を見るや否や眉をひそめた。
私はベッドの脇に置いてあるスツールに腰かけて、手をぐっと握った。
何から話せばいいのかわからない。わけがわからない。まさか、こんなことが。ずっと私が勘違いしてたってこと?そんな、ばかな。

「何かあったのか」

顔をあげると間近の「跡部景吾」と目が合う。
私は泣きそうになった。
彼こそが証明だ。私が「彼」の名前を知っていることこそが、私が間違いなく跡部景吾というキャラクターを知っていたことの証明ではないか。

「……テニスの王子様、っていうの。テニプリって略されてるんだ」
「その漫画の題名か?」
「うん。あのね……、氷帝ってさ、関東大会初戦で青学と戦ったよね?」
「そこまで知ってるのか」
「そのシーンも描いてあるからね。……描いてあった、からね」
「アーン?『描いてあった』?」

私は袋からテニプリを取り出した。彼はその表紙を見て目を見開いた。

「越前!手塚!……どういうことだ」
「私が跡部景吾や氷帝を知ってるのは、この漫画のおかげ。でも、今は『載ってないみたい』」

白い顔でパラパラと漫画をめくっていた彼は、あるページを目にするや否や硬直した。

「炎帝、だと……」
「うん」
「忍足!樺地!おい、どういうことだ!?」
「わかんない」
「はあ!?」
「わかんないんだよ、私にも!」

思わず怒鳴り合いになる。叫んでしまってからハッとして黙りこむ。外は明るいというのに病室は冷え冷えとして重苦しかった。

「ごめん。一番不安なのは……跡部、だよね」
「お前……、俺が跡部景吾だと信じてくれるのか。刑事さえ信じなかったんだぞ」
「信じられなかったよ、さっきまで。跡部は漫画のキャラクターじゃん、現実にいるわけないじゃんって。でも」

喉が震えて熱くなる。どうしたらいいのかわからない。私は泣くまいと必死で息を吸い込んだ。

「でも、氷帝も跡部景吾もいなくなってて。私の友達は氷帝ファンだったのに氷帝も跡部も知らないって。ネットで調べてもやっぱりないって」

跡部はぐっと口を引き結んだ。そうだ、辛いのは私じゃない。しっかりしなくては。

「記憶違いなんかじゃない。なんかおかしいんだよ、なにかが絶対におかしい。だから跡部を信じるしかないし、それに、もうわかるんだ。君が跡部景吾本人だって」

跡部は黙って俯いた。肩が小さく震えている。
私は思わず跡部の隣に座って彼を抱き締めた。プライドが高い男なのに、顔を覆って泣いている。
当然だろう。突然気を失って入院して、それなのに家族や友人は誰も見舞いに来ない。跡部景吾のことはおろか、有数の財閥だったはずの跡部家のことも誰も知らない。自力で家に帰ろうにもお金もなく、そもそも跡部の世界と現実の世界では都内の地名も異なるに違いない。
存在さえ否定されて、今までいた世界と限りなく似ているのにどこまでも異なる世界に一人ぼっちでいるのだ。
跡部は震える声で小さく呟いた。

「……ありがとう」
「こちらこそ」

この世界で私と跡部の、たった二人。
私たちたった二人だけが、誰も知らない世界の狭間にいる。

2014/08/13 00:40
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