ケホ、

アリババは自身の喉から発せられた咳に思わず唸った。




(かんぺきにかぜ、だなぁ)



ギシギシと痛む身体を寝台に横たえたまま、音を鳴らした体温計を目の前まで持ち上げる。


「さんじゅうはちどさんぶ」


あーあ。やってしまった。
高校に入学してからは病気知らずの怪我知らずだったというのに。これは休まざるをえないだろう。

はぁ、と重い溜め息が零れるのも仕方がない。別に学校を休んだり、体調が悪いのは良いのだ。良くはないかもしれないが、アリババにとっては特筆すべき程の重大事項ではない。…ただ、それに付随するものが問題なだけで。


(きょうはじゃーふぁるせんせいにあえない、のか)


ぼんやりとする思考の中でアリババは眉を下げる。担任であるため他の教師より会える頻度は高いが、それでも土日祝日は学校が休みであり、学校があっても四六時中顔を合わせていられる訳ではない。だからこそ貴重な平日、アリババはどれだけ嫌な授業や小テストがあろうとも今まで休むことはなかった。

しかしこんな体調で登校してもきっと直ぐに帰される。帰されるだけならまだしも、ジャーファルに迷惑を掛けてしまう畏れがある。ただでさえ日々愛ゆえに暴走しがちなアリババだ…余計なことでこれ以上鬱陶しがられたくはなかった。


(うう…じゃーふぁるせんせい)


ここは涙をのんで大人しく休むことにする。そうと決まれば学校に休む旨を連絡しなければならない。

アリババは両親の仕事の都合上、現在一人暮らしをしている。そのため代わりに連絡をしてくれる人物などおらず、熱に喘ぎつつ枕元に置いていた携帯を手に取った。念のためにと登録しておいた学校の電話番号…アリババは力の入らない指でゆっくりとその番号を発信した。


プルルル、
しばらくスタンダードな着信音が流れ、数秒後に電話が取られた。アリババはとりあえずクラスと名前を告げるために唇を開いたが、耳元で聞こえた声にしばし固まることとなる。


『はい』

「、っ」

『?…どちら様でしょうか』

「ぁ、…じゃ、じゃーふぁる、せんせい?」

『…アリババ・サルージャ?』


紡がれた自身の名前に、アリババの脳内は一気に沸騰した。


(なん、え、せんせい?え、なんで)


アリババが驚くのも無理はない。ジャーファルは基本、職員の電話をとらないと有名なのだ。勿論自身への電話であれば受け取るのだが、最初の電話…特に外部からの電話は殆どとらない。これも彼の性格であるとしか言えない。予めその情報を聞いていたアリババは、まさかジャーファルが電話に出るだなんて夢にも思わなかった。混乱する頭でどうしようとアリババがぐるぐる悩んでいると、ジャーファルの静かな声が再び鼓膜を揺らした。


『どうしたんですか』

「ぅ、え…っと、あの、」

『速やかに用件を言いなさい。でなければ切ります』

「はい!かぜをひいたのでやすみます!」

『…風邪?』


ぴしゃりと放たれた冷たい声音に姿勢を正したアリババ。そのままの勢いで風邪で休むと告げると、ジャーファルがぽつりと言葉をもらした。


『そういえば声がおかしいですね。…ですが風邪人がなぜ連絡をしてくるんですか』

「あ、おれひとりぐらしなので…」

『一人暮らし?』

「はい」


親の都合でちょっとと告げるアリババに、ジャーファルはしばらく無言のままだった。ややして『分かりました。大人しく寝ていなさい』と返され、そのまま電話は切られた。アリババはそれが残念なような、ホッとしたような何とも言えない気持ちを味わう。もっと話していたい気持ちもあったが、耳元で囁かれているような声の近さは正直心臓に悪かった。なんといっても好きな人の声だ。平静でいられる訳がない。


(なんか…ねつ、あがったようなきがする)


熱い息を口から零し、アリババはぼうっと天井を眺める。今日一日ジャーファルには会えないが、それでも間近で声を聴くことができた。それもあまりに幸運過ぎる確率で。


(じゃーふぁる…せんせい)


ぎゅうっと胸が締め付けられるような感覚。彼を想うだけで一度も二度も上がる熱。きっと下がることのない熱。こんな幸せな病気なら、処方箋も特効薬もいりません。


(なんて、)


恋してるなぁ俺…。
ふへっと顔を緩ませ、アリババはゆっくりと意識を沈ませていった。








あなたを近くで感じられる
それ以上の幸福なんて