―その透かしの世界で唯一求めた彩こそ、私の生涯の宝であった。其処に詰められたものはそのどれもが決して幸福なだけではなかったが、だからこそ私は彼女という何よりの宝を一心に一身に…また一新に愛せた。そう、私たちは幸せだったのだ。これでわかっただろう?この話は片田舎の朝より眩しい訳でも無ければ、語り継がれる程の冒険でも無い。当然だ。だってこれは私と彼女の物語なのだから。普通の幸せを願い追い、普通に幸せになった者等の日記帳のようなものだ。…さあ、そろそろ彼女が起きてくる時間だ。もう次は無いけれど、私と彼女はいつだって此処で笑っている。続きは無くともまた会える。ひとつ君に願うなら、次にこれを開く時、君の隣で笑う最愛が在ればこの上ないね。

それじゃあ、またいつか。









「……これでお終いです」

パタリと彼の膝上に置かれた紙に、アリババは知らずほうっ、と息を吐いた。頭上で揺れる葉の隙間から射す陽光が暖かい。

「何だか…素敵ですね」

吐息に乗せられた言葉は空気に淡く溶ける。そんなアリババの感想に対し、ジャーファルは微笑を零した。

サワリサワリと静かに揺れる大きな木。その下でジャーファルがアリババに物語を読んで聞かせるのはこれが初めてではなく。いつから始めたのかもう覚えていないが、お互いに時間が取れた時に暗黙の了解とでも言うのか…とにかくこの木の下に二人は集まるようになった。それはいっそ驚くほど自然に。ジャーファルがひとつ物語を携えて、先に待っているアリババの隣に腰を下ろせばその場は二人だけの世界になる。流れるように言の葉を紡ぐジャーファルの唇。身体に浸透していく彼の声はまるで魔法のようだ…と、アリババは隔絶された美しい世界でただただジャーファルに見惚れ聞き惚れた。


「実はこれ、私物なんです」
「え?」

穏やかなひと時にぼんやりと思考を飛ばしていると、不意にジャーファルが口を開いた。どこか恥ずかし気に、そして懐かしむようにそっとジャーファルは膝上の紙に触れた。

「昔、王宮の図書館でこれを読んでいる時にシンに見つかってね…」

何を思ったのか彼の王は次の日、急にこれを自分への贈り物にした。幾ら要らないと突っぱねようと、受け取るまで頑として動かなかったのを覚えている。自身より齢を重ねた主ではあるが、その時ばかりは子どもかと呆れたものだ。…だがこうして自らが齢を重ねた時に初めて分かることもある。じんわりと上らせた笑みはやっぱりどこか恥ずかしそうで。アリババはそんなジャーファルの表情を視界いっぱいに広げ、そうしてアリババ自身もまた顔を綻ばせた。


「ああ、贈り物といえば」

そういえば忘れていたとジャーファルが何かを取り出した。布に包まれているそれは然程大きい物では無い。

「?これ…」
「私からアリババくんに、ですよ」

ジャーファルに優しく微笑まれ、サッと頬に朱を散らしたアリババは誤魔化すように下を向いた。