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 「ごめんなさい」という震えた声に思わずたじろぐ。「アニ?」どうしたの、とは聞けなかった。振り向き際、今までに見たことのない顔をした、そんな彼女を見てしまった。近くにいたライナーが声をかけても、アニはその場から動こうとはしなかった。チラリ、横目でみていたベルトルトと目が合って逸らされる。

「顔色、悪いよ?」
「……ごめん、なさい」
「アニ」

 心ここに非ず、というのはこういう事なんだろうか。死体を回収する作業は、わたしも慣れはしないけれど。見つけて、吐いて、泣いて、回収して。繰り返せば、そのうち涙が引いた。いつかわたしもこうなるのだろうか。そんな考えが過った後に、何も考えられなくなった。その間、アニは何も言わずに黙々と作業を続けていたはずなのに。どうして、急に、謝り始めたのだろう。訓練兵として一緒にいた3年間は決して短くはないけれど、彼女を知るには足りない。距離を詰めようとすれば、ふいと背を向けて去ってしまう姿に、「ああ、この子はあまり干渉されたくないんだ」と勝手に割り切ってしまった。

 時折アニを見ては、表情1つ変えずに何でもそつなくこなしてしまうすごい子だなあ。と感嘆する。けれどあえてそれを伝える必要性もなかったし、彼女のことを知りたいと思ったことはなかった。

「アニ、休む? 大丈夫?」
「――そんな暇はないだろ」
「ライナー、だって」
「だから早く弔ってやれ。謝っても仕方ない」

 正論だ。癪に障る、正論だった。無意識のうちに下から彼を睨み上げたが、特に気にする様子もなく作業へ移ってしまう。ベルトルトもライナーのその姿を見て、また手足を動かし始めた。動いていないのはアニと、わたしだけになった。

「……何に、謝るの」

 助けられなくて、ごめんなさい。死なせて、ごめんなさい。わたしは生きていて、ごめんなさい。色々と考えては見たけれど、どれも当てはまりそうにない。うわ言のように今だ、懺悔を繰り返すアニが急に、怖くなった。「アニ、悪い事してないよ」そうだ、何もしていない。そう言えば、見開いた目を更に見開いてわたしを見つめる。

「ナマエ」
「……な、何?」

 雰囲気に圧倒されて、上手く声が出なかった。「私のことを1つも知らないで、よくそんなこと言えたもんだね」怒っているようには見えなかった。寧ろ逆だった。何故だろう、どうして、今にも泣きそうなんだろう……。

「アニの事を知ってたら言ってもいいの?」
「さあ。知ってたら悪くない、なんて安易に言えないかもしれない」
「悪い事、したの?」

 アニの身体がピクリ、その言葉に反応して、それから大きく息を吐く。「別に」何にも。そう付け足して、足元の死体に手を差し出した。くいっと顎を上げて、わたしに足を持てと言っている。アニが腕を回して上半身を支え、私が足を持った。宙に浮いたソレからガチャリ音を立てて、立体機動装置が外れる。

「……してない」
「なに?」
「私は……何も」

 抱え込んだ死体がずるりと落ちかけるので慌てて「アニ!」と名を呼ぶ。どうしたの。何があったの。聞きたいことは山ほどあったのだけれど、彼女ははっとして腕に力を込めて、無言で歩き始めた。その歩幅に合わせてわたしも足を出す。

「……わたしにとっては」

 一歩、また、一歩。「アニは優しい子にしか、見えないよ」ぴたり、止まる。「優しい?」「うん、優しい」「……どうして?」俯いたままだから、顔がその綺麗な色の金髪に隠れて影がかかっていた。表情は伺えないけれど、きっとまた目を見開いているんだと思う。

「間違ってたらごめん。アニはきっと……失うのが怖いんだと思う。だから最初から失うくらいなら築き上げないんでしょ。逆も同じ。アニが死んで悲しむ人が増えるくらいなら、ってこと」

 ばっと勢いよく上がったアニの顔は歪んでいた。「違う」その言葉は、わたしたちの靴が地面を鳴らす音に掻き消されそうな程、小さい。「違う?」「ああ」「……そう、ごめんね」台車いっぱいに積まれた死体のその上に、彼女が上がった。ドサリ、案外大きな音を立てたので思わず動いたんじゃないかと思ってしまった。――アニも同じようだった。

「死んでる」
「……そうだね、死んでるね」
「ナマエも、死ぬの?」
「そのうち、きっと。明日かもしれないし、30年後かも知れないけど。――止めてよ、急に。どうしたの、アニ。今日、本当に変」
「……そう、かい?」

 わたし達は時間をかけすぎたらしい。地面に転がっていた大量の死体も、既に片されていた。虫さえ寄ってこなければ、きっととても静かな道だ。「死んで欲しくないの?」「誰が」「アニがわたしに」上げた肩をすとん、と落とした。

「さあ。どうでもいいよ、そんなこと」
「酷いなあ」

 死んだあの子には謝るくせに、生きて目の前でアナタを心配するわたしにはちっとも、なんて。「1年後も、10年後も、アニとお話してたいなあ、わたしは」「……馬鹿だね、アンタ」うん、と頷いてみせた。笑ってみたら、見るに堪えられないといったように顔を背ける。

「アニ、誕生日は?」
「……3月22日」
「じゃあ、わたしが生きてたらお祝いしてあげる。うーん、バレッタとかどう?」
「いらない。あるから。それに先にプレゼントって言うもんなの?」

 くすり、笑ったアニがとても綺麗で思わず見とれてしまう。「……何?」少し、機嫌を損ねたアニに睨まれて、わたしも肩を落とした。「3年も一緒にいて、一度もお祝いできなくてごめん」本音だった。

「ねえ、アニ。そのバレッタ頂戴」
「何で?」
「わたしのと交換しよう」
「……何で?」
「いつ死ぬかわからないから。先に、プレゼント交換しておこうと思って」
「――図々しいヤツ」
「知らなかった? アニ、わたしのこと何にも知らないんだね」

 そう意地悪に言ってみる。アニが呆れた、と髪を解いた。ぴょこんとゴムで縛られた髪の毛が可愛らしい。「はい。アンタの誕生日なんて知らないけど。おめでとう」「……アニ、本当に優しいよね」ついつい漏れた本心。わたしもバレッタを外す。

「はい。――もしも次、お祝いできたら何にしようかな」

 アニが空を仰いだ。「気が早いよ」そう言って、チラリ横目でわたしを見て、歩き始める。パチン、とバレッタが止まった。わたしの、バレッタだ。ついつい嬉しくなって、解いた髪をくるり、巻いて止め上げる。「次はおそろいでバレッタにしようか!」「そんなに要らない」ピシャリ、声を上げる。彼女はもう、謝っていなかった。泣きそうでもなかった。それだけで、いいのだ。理由なんて聞かない。アニが悪い事をしていても、していなくても。生きているという証がここにはあって、アニと話し合えた事をバレッタは証明してくれる。

 つるりとした表面を撫で上げ「ありがとう」告げてみる。振り返ったアニが「どういたしまして」と無表情で言ったのだけれど、言葉を返してくれたというだけで、もうそれだけで満たされたのだから。



ポケットに小さな幻


 本当に馬鹿だと思う。懐に忍ばせた新品のバレッタは、内地を歩いている際に露店で売られていたものだった。ナマエの髪色にすごく映えると思って、思わず買ってから渡す機会がないと気付いた。せめてこれだけでも渡してあげればよかった。何も知らずにへらりと笑って「アニは悪くない」と言うアンタは好きでも嫌いでもないけれど。救われた、とは思う。……誰かに渡せば、届けてくれたかな。いや、仲間だと思われてしまう、か。

 私も大概馬鹿だ。こうして届くはずのないプレゼントを見て呆けている、なんて。
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