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 ――夢だとはわかっていた。

抱き締めようにも、愛したその体がなかった。優しくオレを撫でる手のひらがなかった。暇さえあれば握っていたその手は小さくて柔らかくて。でも指先に向かうと少しだけ硬くなった皮膚に、自分と同じだと不安も募っていたけれど。ありふれた日常が終わりを迎えることに、唖然とした。アイツと同じように葬られて、跡形もなくなって、ついつい呆けた。「カスしか残らないのかよ……」その言葉を漏らすと同時に、勢いよく飛び起きた。




「……夢、だもんな」

 上がりきった心拍数を下げるために何度か大きく息を吐くと、随分気分は落ち着いた。チラリ横目で見れば、掛けておいたはずの布団からはみ出して大の字をかいた、お世辞にも可愛いとはいえない姿。もう慣れてしまったといえばそうだし、男ってのはどうやら女に対しての寝姿に妄想を抱く癖があると気付けただけ、現実味がある。

「ジャン……?」

 寝ぼけ眼を擦って、隠しもせずに大きな欠伸を1つ。まるでネコだな、と思えば可愛くて愛らしくて仕方ないのは惚れた弱味でしかない。

「寝れないの?」
「いや、寝てた」
「……また、夢?」

 ああ、と小さく返事をすれば、むくりと体を起こすナマエ。「おいで」と、半ば強引に腕をとって引き寄せる。柔らかなその肌に顔を埋めるようにして、小さな手のひらが頭を撫で、背中を擦り、ぎゅっと強く抱きしめられる。情けないし、恥ずかしい。それなのに「やめてくれ」の一言すら言えない。口を開いたら真っ先に漏れるのは嗚咽だということを、自分自身がよく知っている。

「ジャン、わたしね、とっても幸せなんだよ」

 幼子に語りかけるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。その度に上下する胸元に安堵感を覚えたのはいつからだろうか。「こうやって愛した人と結婚してね、一緒に暮らしてね、ケンカもするけど、でも毎日幸せなの」ああ、オレもだ。と何度も何度も心中呟く。

「何よりもね、ジャンの弱さをわたしに曝け出してくれることがとっても嬉しいよ」

 顔を上げて「何だ、それ」と思わず口にすると、熱くなった目頭と、ツンとする鼻の奥。慌てて、その口を塞げば、「わかってるよ」とでもいいたげに、ほんの少しだけ笑って目を閉じた。我慢できずに溢れた涙がポタリ、ポタリとシーツに落ちて染みとなる。時折、口元まで流れた涙が、口内に侵入してきて塩辛い。

 幸せだと思う度に、忘れるなよ、とでもいいたげに夢を見る。お前は手放した。見殺しにした。わかっているんだろう。そう、呪われているかのように。息苦しくて潤んだナマエの瞳に映った自分があまりにも格好悪いのに、その光景を映し出している張本人は嬉しそうに笑う。「幸せ」そう、笑う。

「あとはさ、子どもが出来て、家族が増えて、そしたらもっともっと幸せだと思うんだ」
「……家族、か」

 夢見て泣いているようなオレが父親になんてなれるのか。「情けねえなあ」息を吐けば、「そんなことないよ」と、やっぱり笑った。

「わたしは、何も覚えてないから。夢も、見ないし。それが本当かどうかすら怪しいところだけど、でもその時もジャンのことは好きだったんだろうね」

 今はもっと好きだよ、ジャン。だから、寝よう。怖くないよ、わたしが側にいるよ。ずっと手を握っていてあげる。



「は? 子ども欲しいんだろ?」
「……あれ、何か方向が……」
「手、握ってくれんだろ?」
「うん、その、寝る時ね?」

 さっきまでの大人びた表情が打って変わって、顔を赤くする。あんなセリフ吐いておいて、待ったはねーよ、なあ? そう組み敷けば、結局抵抗1つ見せずに言う事を聞いている。こんな時くらいしか主導権を握れないオレを、それでも好きだという。悪夢に魘されて泣く情けない男でもいいと、笑う。――そりゃあ、好きになんだろ。何度も、何度でも。

 



 あの時は望んでも叶わなかった。一緒にいれること、朝起きてナマエの手料理が食えること、隣で寝ること、「好きだ」と伝えること、永遠を誓うこと、何一つ叶うことなく、呆気なく散った夢だった。

 それが全て叶った代償が悪夢なら、それで構わない。情けないのはあの時のオレで、どうしようも出来なかったもどかしさと、あの時の自分の不憫さに嘆いているだけだ。それだけだ。



「オレも、幸せなんだ」


 そう呟けば、ナマエは汗ばんだ腕を首に回して、隙間がないくらいにくっついた。「もう、離さない、で?」半ば意識も薄れかけている状態で、途切れ途切れに発した言葉に思わずたじろいだ。何か、思い出したのか。それとも……。考える暇もなく、快楽の波が襲うので、結局はわからず終いだった。



君が生きてるみたいに笑うから

「……ナマエ?」なあ、お前、なんで笑ってんだよ。痛く、なかったのかよ。苦しくなかったのかよ。なんで、そんな……いつもみたいに笑ってんだよ。右腕はどこだ。左足は? 中途半端に喰われて、簡単に死ねるわけねえよ。見ればわかる。だって、血の海じゃねえか。無意識に伸ばした手。左手の、その薬指。「バカじゃねえの……」悪戯に書かれた、血の赤黒いリング。死ぬ間際まで、バカなヤツ。本当に、バカな、ヤツ。
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テーマ「人外ファンタジー」
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