堕落した生活 | ナノ



 昨日のことが途中からフィルターがかかっている。少し動かすとズキズキと痛む頭を手のひらで押さえながら、ベッドから起き上がった。倦怠感が全身を襲っているけど、そんなことはいってらんない。「ああ、起きた」目線の先に、グラスに水をいれたマチがいた。

「ありがとう」

 なんて出来た妹なんだろう。いつもより早めに起こしにきてくれたのは、わたしがシャワーを浴びると見越してだ。大して飲んだわけじゃないのに悪酔いしてしまったのは、昨日のわたしがおかしかったからかもしれない。そんな姉をわざわざベッドまで運んで、朝に強くもない妹が起こしに……! どうしよう、お姉ちゃん辞めたい!

「ちょっと、何で泣きそうなんだい」
「うう、マチがいい子すぎて」
「気持ち悪いね。ほら、さっさと準備しな」

 わたしは大きく頷いて、差し出されたグラスの水を一気に飲み干した。ふう、美味しい。それからぐっと全身を伸ばして、シャワールームに向かった。今日もお仕事がんばるんだ!





 基本的に、わたしの仕事は打ち込み作業だ。資料の作成が主で、あとは雑務要員だったりする。仕事は割と上手くやってるけれど、そんな中、厄介なことがある。上司と、後輩だ。

「……なんですよー。ありえなくないですか?」
「えっと、うん? わたしよくわからないけど、うん」
「えー!」

 偶然にもお手洗いで出くわした彼女は、鏡越しに一生懸命にマスカラを塗りたくりながら、わたしに声を掛けて来た。最近、まつげにパーマかけたとか言ってなかったっけ? そんなにまつげって大事なの? と、わたしには程遠い美容のことは置いておこう。

「えっと、フェルマンさんが浮気してるっぽい、っていうのは信じがたいけど、証拠ないんでしょ?」

 この後輩ちゃんは入社してすぐに、上司のフェルマンさんとお付き合いを始めたらしい。ただ、ものすごく迷惑なのは、2人の私情がわたしに相談されることだ。いつも両方からの話を聞かされていて、正直なんとも言えない現状がある。

「でも、最近見たんですよ。着歴が登録されてない人ので埋め尽くされてて」
「仕事関係じゃないの?」
「もー。これだからナマエさんは!」

 わかるよ、その後の言葉は「付き合ったこともないのに意見言わないで」でしょうが。ならわたしに話すなボケ。とは言えないので、黙って頷くことにする。愛想笑いもモチロン忘れてはいけない。これが社会に出て学んだ世渡り上手になる1つだ。

 要するに、聞いてもらいたい。肯定されたい。彼女はそれだけなんだと思う。それはフェルマンさんも然り。2人のことを2人の間で解決できないはずがないのに、こうやって他人に同意を求めて来る。「わたしは悪くないですよね」って。

「大丈夫だよ。フェルマンさんはちゃんと好きだと思うよ」
「ほんとうですか?」
「だって、こんな可愛い子放って他に好きな子作れる男なんている?」

 またまたー。と後輩は言いつつ、口の端は緩んでいたりするわけで。こうして、綺麗な発光色のリップを見ていると、わたしもこうやって飾ってみようかな。とも思う。いつもはスッピンメイクで、ヌーディーな色味のものしか使わないけれど。

「その色、かわいいね」
「え、あ、リップですか? 最近出た新色ですよ。あ、そうだ」

 彼女はがさごそとポーチを漁って、リップを取り出した。「使ってないんで、あげます」「え?」手のひらに置かれたリップの蓋をきゅぽん、と外すと確かに使われた形跡のないピンク色だった。

「ネットで注文したんですけど、イメージと違って。どうせ持ってても使わないし、ナマエさん似合いそうだから」
「……いいの?」

 お話いつも聞いてくれているお礼に。それじゃあ。しっかりとメイクを施して颯爽とこの場を去っていく。わたしはそのリップをじっと見つめた。

「今日、コレで行こうかな」

 シャルくんは、気付いてくれるのだろうか。そんな思いで、わたしはそのピンクを唇に当てた。どうせいつもと変わらない恰好なんだから、顔くらい派手にしても罰はあたらないと思うんだ。でも、どうしてかな。ちょっと、気負いしてる。まだ、シャルくんには会いたくないって、心の底では……やめたやめた! わたしはリップを引いた。薄く色づいたピンクは、贔屓目なしでもよく映えた。

 こうして気持ちを切り替える。何か聞かれたら笑顔で言うんだ。「昨日は、ごめんね。大丈夫だよ」本当は大丈夫なんかじゃないよ。マチに話しても、慰められても、根本的には解決していないから。でも、シャルくんが辛いなら、シャルくんに迷惑をかけるなら、わたしはいつでも笑顔でいたい。その気持ちは嘘じゃないんだ。


(富の価値は人それぞれで。わたしはきっと嘆いている。不幸の数を数えて泣いている。アナタの笑顔を富とするなら、やっぱりまだまだ足りないと嘆くしかないんだ)



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