堕落した生活 | ナノ




 その日、ぐずりながらナマエは部屋から出てきた。それは大して珍しいことではなかったが、周りを慌しい気分にさせるには充分なことだった。案の定、ダイニングと呼べる程、綺麗にはしていないが、乱雑にテーブルの置かれた1室で適当に食事を摂っていたシャルナークが、慌てふためいてナマエの傍に寄る。

「また、いないの?」

また、というのは彼が常習犯だからであって。
いない、というのはフィンクスのことを指す。

喉が乾いたのか冷蔵庫にミネラルウォーターを取りに来たフェイタンも、ナマエが鼻をすするのを聞いて「またか」と発した。その後ろからの声にナマエは一瞬肩を震わせて、ゆっくり振り向いた。

「いっ、しょじゃ、ないの?」
「仕事はなかたよ。遊びね」

フェイタンはそれだけをさらっと言って姿を消した。シャルナークは仕事だと言って宥めようとした自分の計画が崩れて、さらに気落ちする。

正直、原因はフィンクスの女癖の悪さにある。そして、それでも好きなの。と言い張るナマエ本人にも、だ。要するに2人の恋路の話だというのに、巻き込まれ、迷惑を被るのは周りだった。

それが特にシャルナークだ。

「もう止めようよ。どうしてフィンなのさ」

願わくば、オレの元へ来て欲しい。そうしたら泣かせたりしないよ?いつも幸せなんだよ。

そう心の中では思う。ただ、口にはしない。ナマエがフィンクスをどれだけ大切に思っているか、またどんなに泣かされても離れられないことをシャルナークは知っている。知っているからこそ、何も出来やしない。フィンクスもまたそのことを知っている。それを残酷だと人は言うのだろうか。

「どうして、だろう。なんでシャルじゃないんだろう、っていつも思う」
「それは光栄だね」

茶化して見ても内心は驚くほど苦しい。酷な女だ。シャルナークは、ナマエが辛いと自分の元に来る度に、少しの幸せを感じて全身の傷を見て見ぬふりする。痛くない、苦しくなんかない、幸せだよ。と。

「ノブナガは、今いないよね?」
「マチと昨日からいない。3日空ける予定」

ようやく落ち着いてきたのか、ノブナガの話は案外すらりと話せるようだった。シャルナークは安堵する。

ノブナガがナマエを連れてきた時、それは何年前だったろうか。まだ蜘蛛が発足して間もないことだとは思う。「拾ったんだ」彼はそう言った。「俺が育てるから許してくれないか」批判なら幾らでも言えたはずだ。なのに、誰も言わなかった。否、言えなかった。彼女が「殺さないで、殺さないでパパ」としきりに泣きじゃくるから。

――チン、と古びたレンジが鳴った。シャルナークはマグカップ片手に「おいで」とこの場を後にした。




「はい。ホットミルク」

シャルナークの部屋は、というよりは、全員、仕事をするときの仮宿は物が少ない。部屋が脆く崩れやすいことを除いては、それでも居心地の良い空間だった。
部屋の隅にひっそりと置かれた簡易ベッドにナマエを座らせ、彼はパソコンの前にある椅子を引きずり、ベッドの近くにひとまず腰掛ける。

「落ち着いた?」

はあ、と温かい息がナマエの口から漏れた。それにですらシャルナークは目の前の少女に女を感じてしまう。視線を窓の外に移してひと呼吸する。

「いつもありがとう。こんなんじゃ、ダメなのに」
「いいんだよ。ナマエは自分が思うよりもよくやってるよ」
「ほんとう?」
「ああ」

両手でしっかりと持ったマグカップが口元で傾いた。「おいしい」と笑顔を見せるナマエに、今は届く距離なのだと手を伸ばしそうになる。ぐっとそれを堪えてシャルナークもまた笑みを浮かべた。

「――苦しいの、かも」

ナマエはふと思ったことを口にした。視線はマグカップの縁をぼうっと捉えている。

「苦しい?」
「嫌いになる理由は見つかるのに、好きな理由はわからない。なのに、愛しいと思っちゃうことが」

(それは、オレも同じだよ)

「……シャル?」

どことなく焦点の合わないシャルナークを心配して除き込むと、彼の体が大きく後ろへ反れた。背もたれに体重が移動して、ギシギシと椅子が鳴る。

「あ、ごめんっ!」
「だいじょうぶ?――ご馳走様。部屋戻るね。そろそろ帰ってくると思うから」

空になったカップを片手で揺すり、立ち上がる彼女に「じゃあ」とだけを告げる。

ドアの方から「ありがとう、シャル」と聞いただけで体の熱くなる言葉に身を委ねるだけでも幸せなのだ。

When there is you with her, are you happy?

ほら、答えはもう出ているじゃないか。




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