堕落した生活 | ナノ



その日は朝から雨が降っていた。窓越しに空を見上げると、筋肉のような隆々とした雲が、辺り一面を敷き詰めていく。今日も雨は止みそうにない。ナマエはそう嬉々として、階段を軽やかに降りた。

AM10:00

OPENの看板をぶら下げると、数分後にその人はやって来る。全身に黒を身にまとった、小さな男。雨の日にしかやって来ない彼を、店長は「死神」と呼ぶ。

彼は、マニアックな専門書を求めてやって来る。古びた書物を、時間の許す限り読み漁り、帰って行く。そして、また雨の日に同じように本を読みにくる。

一階の隅にポツンと置かれた小さな丸いテーブルと椅子。
それが「死神」の定位置。

ナマエは、彼の横顔が堪らなく好きだった。惚れたとかそういう感情とはまた別の、一種のフェティシズムである。異常性欲というよりは、ただの自己満足の一部として認識してもらいたい。

ナマエは、本を整理する傍らにチラリと彼を盗み見るのが、鬱陶しい雨に幸せを感じる瞬間だった。

カランカラン

扉に備え付けられたベルが鳴り響いた。「死神」だった。店長が本屋特有の静けさを一掃する声で出迎えた。慌ててナマエも続く。

彼は辺りを軽く見回してから、ナマエの方へと迷わずに向かってきた。その顔が近づくと思わずたじろいでしまう。男は一枚の紙を突き出した。

「これ、あるか?」

初めて「死神」の声を聞いた。訛りがぬけ切れていない。ナマエは、その紙を受け取り一瞥した。

「はい。ございます」

彼の読む本の傾向がわかってきたため、店長と相談して出来る限りの本を集めていた。「死神」が尋ねたものも、先日入荷したばかりの専門書であった。ナマエは急いで本の元へと向かった。

死神」はこれを購入する。そして無料で提供されるコーヒーを片手に、本を読んでいくのだろう。

「こちらです」

無言でそれを受け取り店長がレジ打ちをする。流れるような動作につい、魅入ってしまう。そのままテーブルにつくのをみて、ナマエは淹れ立てのコーヒーを「どうぞ、ごゆっくり」と、丁寧に置いた。「死神」の視線は、既に本に向けられていた。

「こんなに品揃えいい店、他無いよ」

背中越しに彼の声がする。ナマエは慌てて振り向いた。両眼は文章を追っている。空耳かと首を傾げると、「団長も気に入てる」と、声がした。

「ダンチョー……?ああ、たまに一緒に来て下さる方ですか?」

返事はないが、コクリと小さく頷くのが見えた。ナマエは高鳴る気持ちを無理やり押さえつけて、「ありがとうございます!」と笑った。

ああ、ドキドキする。
冷艶な男が私と話している。緊張が解けない。夢のよう。

彼はまるで会話をしていたことを思わせないくらいに、読書に没頭していた。そんな姿も愛おしいと感じるのは、フェティシズムだろうか。

ナマエが二階で本の整理をしている間に、男の姿は無く、飲み干されたコーヒーカップが置かれているだけだった。

ナマエは片付けながら、「店長」と声を上げた。客は1人もいなかった。

「なに?」
「どうして、死神なんですか。彼」
「ああ、ナマエは知らないんだね」


その日、死神はまず本屋を訪れる。それからコーヒーを飲む。その後仕事をし、浴びた血飛沫を雨で落とす。

「昔流行った小説だ。鎮魂歌を口ずさむ死神
「へー」
「死神が仕事をする日は、雨や天気がすこぶる悪い日。雨宿りに本屋や、喫茶店を使う。そんなことを思い出してね」
「本当にいるんですか?」

店長は笑った。

「さあね。ああ、好きな章があってね。死神に恋する少女がいるんだけど」

──アナタに恋をしてしまったみたい。
──どうして、そう、思う?
──だって、こんなにもドキドキしてるんですもの。


「その後、少女は殺されるんだ」
「え?」
「そのドキドキは恋ではなく、恐怖だったんだよ。無意識のうちに体は危険信号を送り続けた。しかし本人はそれを恋だと信じた。言葉を交わした者は、みんな死んでいく」

雨が強くなった。窓を叩きつける雫が伝っていくのが見えた。

「明日も、雨だそうだ」
「そうなんですか」
「ナマエは生きているのかな」

にやり、口の端をあげて去っていく店長をぼんやりと見つめながら、ナマエは先ほどの激しい鼓動を思い返した。


もちろん、この話は(ノン)フィクション。




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