ピンポーン、ピンポーン

 どうしてわたしは人様の家の前で、彼らといるんだろう。ピンポーン、ピンポーン。瞬きをしても、頬を抓っても、目の前の豪邸には「巻島」という表札。なんだ、これ。なんだこの門。そう思っているのはわたしだけではないらしい。鳴子くんも小野田くんもはしゃいでいる。

「よォ……何で、お前までいんだ?」

 うっわ、センス、センス悪ッ! 何処で買ったの、その服。緑と黄色の縞々模様に右袖だけ青ってどういうこと?「コンビニでバッタリ会って……その流れ?」巻島くんは目を細め、息を吐く。それから後輩3人にガン付けて、家に上げてくれた。――というか、だ。この部活のメンバー、私服酷過ぎる!!! 

「田所、どこのヤクザよ。サングラスって。今泉くん、どうしてそんなに恰好良くてスタイルも良いのに、ウサギなの? あざといの? 狙ってるの? 可愛いな、もう。鳴子くんと小野田くんは想像を裏切らなかった! 今度お洋服買いに行こうね? みんな!」

 ……ハッ、つい! 捲し立てるように言ってしまったので、男5人がポカーンとしてる。

 いや、勿体なくて、本当に勿体なくて。「そ、そういえば苗字先輩は、と、と、とてもお洒落さんなんですね!」小野田くんがぎゅっと目を瞑り、一生懸命に褒めてくれる。ショーパンに、薄手のチュニックなんてありきたりなんだけれど、とっても嬉しかった。「ありがとう。洋服買いに行くときはキメて行くね」そう言うと、キラキラと目を輝かせながら、洋服を選んで頂けるなんて、と笑った。とってもとっても可愛い笑顔。わたしも思わず笑ってしまう。

 そんな中、田所は冷蔵庫を漁っていたし、それを怒るので巻島くんも忙しそうだった。「田所―、みんなでビデオ見るんでしょ? わたしも?」ハムに食らいつく熊……じゃなかった、田所はペロリと唇を舐め「ああ」と頷いた。それから、巻島くんの部屋へ案内され、言われた通りに何もせず、大人しく座り込む。

 綺麗すぎて……生活感がないというか、ただ上からぶら下がるタイヤには驚かされたし、本当に自転車ありきでの生活なんだなあと感心してしまう。始まったビデオは、箱根駅伝。拍子抜けしたけれど、田所の真剣な表情に本気なんだと知る。――インターハイ、ここ走るんだ。話は一切入って来なかった。彼らの自転車に対する思いと、わたしの思いとではかけ離れすぎているのだ。巻島くんが説明をしている時も、坂を登る選手を見ていた。歓声と、息遣いと、中継。苦しそうな表情で坂を走る画面の中の男の人。

 巻島くんは、笑いそうだよね。長くなった髪を左右に揺らして、早く、早く、坂を登って。頂上でもやっぱり笑えなくて……って、何考えてるんの。本人前にして。巻島くんはわたしを見て、首を傾げる。「喉、乾いた?」……お気遣いありがとうございます。

 手渡されたスポーツ飲料。既に表面は水滴だらけで、少しだけ彼の手の中で温められていた。ぎゅっと、缶を握る。その温さが、巻島くんの不器用な優しさの温度みたいで、ドキドキしてしまった。恋っていうのは厄介だね。こんなことでさえ、好きな人の事でいっぱいになるんだよ。乾いた喉を潤す液体が、体中に沁み渡っていく。「ありがと」素直にお礼を言うと、「っショ」と、短い返事。

 応援してるね、頑張って、口にしたい言葉はたくさんあった。でも、言えないの。貰ったジュースで飲み込んで、大きく息を吐く。どれだけ頑張ってきたか、知っているのは表面上だけで。わたしがその努力をしてきた訳じゃない。金城のファンの子は「頑張って、応援してる」と声をかけていた。わたしだって言いたかった。でも、本当に一生懸命な人の姿を見ると、泣きそうになるんだよ。泣いちゃうんだよ。ねえ、巻島くん。わたしはあなたの走る姿を見て、何度泣いたと思う? 知らないでしょう?

 みんなが話し合いをしている間、もらったジュースをちびちび飲みながら、少し離れた椅子に腰かけ考えた。自転車に乗っている彼らはいつもわたしを置いてけぼりにする。なんて思っていたら、「苗字、帰るぞ」と田所が立ち上がった。

「うん」
「気ィつけて」
「あ、そうだ、巻島くん」

 手招きして呼んで、さっきまでわたしが腰かけていた椅子に座らせる。巻島くんは、後ろに立ったわたしにオドオドしていた。みんなも、首を傾げている。「ちょっと、我慢してね」指先に神経が集中して、少しだけ震えた。玉虫色の髪の毛はとても柔らかい。少し上の方でまとめると、そこだけがあまり日に照らされていなかったからだろう、白くて細いうなじが見えた。「女の子みたい」小さく笑ってみる。今日、つけようと思っていてすっかり忘れていたシュシュで軽く結ぶ。

「ポニーテール萌え?」
「どういうことっショ!」
「あ、走る時は外してね。揺れる髪の毛、すごく好きだから」
「なッ」

 髪の毛、というか巻島くんなんだけど。「随分伸びたなーって思って。この長さでわたしの自転車支えてたら、髪の毛巻き込まれてたかもね」「んな訳ないっショ」じゃあ、ちゃんとゴールしてわたしの所に返しに来てね。走る時は邪魔だろうから、寒咲ちゃんに持っててもらって。わたし、一緒に走れないからさ。お守り。

 黒くて、シンプルなシュシュは贔屓目なしでも彼の髪の毛によく似合っていた。小さく返事が聞こえ、わたしは頷く。その髪の毛を目に焼き付けて、3年目に突入したよ。そろそろ、この距離に限界を感じてる。

赤い椅子に修羅

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