辺り一面が、オレンジ色に染まっている。それはほんの一時しか見れない。「夕方だねえ」と、今日の終わりが近づいたことを喜んでいるといつの間にか、黒に飲み込まれている。なんとなく、彼に似ているなあと思った。そうしたらとてつもなく寒気がする。うん、日が暮れるね。でも、わたしの過去のこの季節はもっと、もっと寒い。

「帰ろ」

 思い出したら寂しくなるから。カラスだって鳴いているし、ほらお家に帰ろう。そうして一歩踏み出すと、風が吹いた。強くて、思わず目を瞑って顔を伏せる程。それから、汗の匂いがする気がする。臭くはない。けど、確実に汗の匂い。「……え?」思わず振り返る。「あーしんど」……あ、同じクラスの御堂筋くん。ひょろり、第一印象。何考えてるのかよくわからないから近づかないようにしよう、第二印象。嫌な奴、第三印象。

「うん? 転校生やないの」

 やっべ、目が合っちゃったよ! 大きくて、ぎょろっとしてて、真っ暗な瞳だった。「あ、えっと……自転車?」慌てて逸らした視線の先に、随分とサドルの高い自転車があった。わたしが乗っていたママチャリとは随分違う形をしているけど、タイヤは2本。サドル、ハンドル……紛れもなく自転車だった。「なあ」ぐんと顔が近付いて、体が硬直した。え、何、近い。近い、近い、近い! 予想以上に胴が長い!

「ちり紙持っとる?」
「……………………は?」

 え、何、ちり紙? ティッシュ? ごそごそとカバンを漁って、いつだか駅前でもらったチラシ入りのティッシュを渡す。随分と強引に渡されたけど、まあ役に立ったなら良しとしよう。「あかん。よおさん垂れる」「え?」「鼻水」どことなく聴きなれないイントネーション。「はな……みず」盛大な音が聞こえた。コンタクト980円やて。もっと可愛らしいのないんか、ハァと文句まで付けられ、嫌な奴だと再認識。転入してすぐの頃は、ひょろり、だけだった。ちょっと経って、まるでバイクのように走る自転車を見た。御堂筋くんだった。顔がとってもキモかった。本当にキモかった。この子絶対モテないんだろうなあって思った。そして今、確信した。――コイツ、絶対モテない!

「つっぺしとけば?」
「今、なんて?」

 ぎょろり、目を大きくしてわたしを見る。うっわ、こわっ! 気持ち悪いを通り越して怖いんだけど。「つっぺ?」「……何やのん、ソレ」「ティッシュ丸めて、鼻につめるやつ」「……知らん」どうして、通じないの?

「訛りだったのかな?」
「……ボク、知らんて」

 ぽかーん。そうだ、今の御堂筋の顔はぽかーんだった。そしてきっとわたしもそんな顔をしているに違いない。同じ日本に生まれ、育ったというのに、言葉の壁にぶち当たるなんて思ってもみなかったんだ。「ティッシュ頂戴」軽いその紙切れをとり、適度な大きさに千切り、丸めてみる。それを二つ。「これ、詰めて」わたしの近くにまで垂れ下がった頭を強引に上げ、そのまま鼻に軽く詰めてみる。うっわ、汚ッ! 鼻の下テカテカ、カピカピしてる! 「キモッ!」「こっちの台詞だから!」この絵面の破壊力といったら、もう、すごい。彼のバックには、夕陽が見え隠れしていた。御堂筋くんは影になると、もっとひょろりと長くなった気がする。それだけだと様になってるのに、つっぺが阿呆っぽくて、笑いが止まらない。

「写メとっていい?」
「バカ女」
「なんつった、コラ」

 目を細めて言うな、キモ男。案外、色々な表情があるんだなあ。なんて思っていたら、日が暮れていた。もう夜になる。「まだ練習あるの?」「当たり前や」「ふーん、頑張って」「はよ帰れ」「御堂筋の自転車の後ろ乗って帰ったら、すぐに着くんだろうなあ」なんとなく、なんとなくだった。思ったことを口にした。彼の真っ黒な瞳が小さくなって、その時だけは夜が遠のいた気がした。

「嫌や。……絶対、嫌や」

 気の抜けたような声だった。「御堂筋?」思わず首を傾げ、彼を覗きこんでしまう程に。ひゅるり、風が吹く。なんでかな、そんなことないのに。いつもと同じ気持ち悪い顔なのに、泣きそうだって思ってしまったのか。そっか、鼻水も出てるし具合が良くないんだ。もしかしたら、風に巻き上げられた埃が目に入ったのかもしれないね。そう思う事にする。どうしたの、何かあったの。なんて聞ける程の仲ではない。「じゃあ、帰るね。ティッシュあげる。つっぺしながら練習したら死んじゃうから気を付けて」冷え切った手のひらに、ティッシュを持たせて、その場を去る。御堂筋は何も言わなかった。自転車を漕ぐ事もしなかった。ただ、ぼーっと空を見ているようだった。「もう、夜だ」彼はやっぱり、夕暮れ時に似ている。明るくなったと思えば、急に暗くなる。その瞬間は一瞬だ。

 あの時は、無性に抱きしめたくなった。夕陽が沈むのを止めてあげたかった。影になって、そのまま夜に飲み込まれていきそうで、怖かった。――そんなこと、ある訳ないのにね。

 ひゅるり、ひゅるり、冷たい風が吹くのは嫌いじゃない。だけど、熱っぽくて汗の匂いがほんのり混じるあの風がわたしを横切らないかな、なんて思いを抱いてゆっくりと帰路を歩いていた。

嫌いになるのは簡単で

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