白い息が指の隙間から零れていくのをぼうっと見つめた。行く当てなどなく、ただただ消えてしまうソレが自分のようで、この寒さも嫌いになれない。姿も、形も、こんな風に一瞬で世界に溶け込んでしまえたら、自分の存在価値を問う事なく生きていけるのに。「はあ」吐いた息がまた白く変わる。「寒い」無意識に呟いた言葉を飲み込もうとすると、思った以上に冷たい空気が肺に滑り込んだ。ぎゅっと鷲掴みされたようで、チクリと痛い。

 暫くその場に佇んでいると、遠くから小さな影が近付くのが見えた。僕よりも遙かに小柄で華奢な影はコチラに向かっている。ライナーでもなければ、アニでもない。黒い髪の女の子。「……ナマエ?」不確定要素を孕んだ答えもすぐに当たりだとわかった。白い頬に赤みが差して、一層幼く見えるのでつい笑ってしまった。彼女は何で笑われているのかわからないといった様子で、大きな瞳で僕をじっと見つめる。

「ベルトルト?」
「ほんとうに、同い年に見えない、よね」

 失礼承知で言ってみれば、案の定腹を立てたようだった。「気にしてるんだって!」そう頬を膨らますのもまた、幼い。「まあ、いいや。で、何をしてたの?」すぐに肩を落として首を傾げるのが彼女らしいといえば、そうなんだろう。

 空には分厚い雲がかかっていて、いつもよりも薄暗い。はらはらと散った雪は、どちらかといえば水分を多く含んだ大粒で、肌や服に触れる度にじわりと染み込む。足元は雪の軽やかな感触よりは、雨の日のようなびちゃびちゃとした音を立てるのが少し不快だった。この地域の雪は、僕の故郷よりもずっと重い。重くて、汚い。「雪が降ってたから……」「うん」「外に、出てみた」「……うん?」どういう意味? 首を傾げたまま見上げたナマエの鼻先が赤いのが可愛らしい。無意識に人差し指で軽く、押してみると「んがっ!」女子とは思えない奇声が聞こえてきた。

「何するのっ!」
「うん、だって可愛かったから」
「な、な、何言ってんの! 寒くておかしくなったんだ!」
「そういうことにしておいて」

 だから、ナマエの顔が赤いのも寒さのせいってことにしておくね。「……ねえ、帰ろう?」 どこに? 「寒いし、風邪ひいちゃう。ね、帰ろ」 だから、何処に帰るの? 僕の居場所はどこだろう。最近よく、思う。ライナーが周りと距離を縮めていくのを見るのが、なんだかとっても辛いんだ。そう相談することも出来なくて。勿論アニには声をかけることすら難しい(極力避けられているようだから)。だって、同期はみんな巨人を殺すために訓練を受けている。いや、きっと半分以上は巨人に殺される為に訓練をしているんだと思う。半端な能力はかえって危険だよ。逃げる道を探した方がいい。そう目の前のこの子に伝えられたらどんなに楽なんだろう。

 第一こうなった元凶は僕自身にあって、それでいてみんなの側にいたいなんて可笑しな話なんじゃないかな。空を仰いでみれば、頬に落ちた雪が熱で溶けて伝っていく。「え、泣いてるの……?」それを涙と勘違いしたナマエが懸命に手を伸ばしてくるのが、鬱陶しい。鬱陶しいのを通り越して、最早愛おしかった。――どうして、この子は放っておいてはくれないんだろう。何度突き放しても、笑って戻ってくる彼女の思考回路は理解を越えていたし、きっとどんなに考えても答えは至ってシンプルなんだ。そんなことわかってるんだよ。

「泣いてないよ」
「本当? 大丈夫?」
「うん、ナマエがいてくれるなら大丈夫」

 そんな軽い冗談も流せずに口をパクパクさせている。冷たい空気は美味しいんだろうか。きっと、肺が痛くなる。ぎゅっと掴まれて凍ってしまうんじゃないかと思ってしまう程。

「ベルトルトは、いつも寂しそう」
「……僕が?」
「うん。ライナーの側にいても、なんだか寂しそうだから、わたしが一緒にいてあげる。ねえ、帰ろう? 帰って暖炉の前、陣取ってお話しようよ」
「……何の話?」
「うーん、それを帰るまでに考えようか」

 笑って僕の手を取る。冷え切って感覚がないその手のひらがじんわりと温かくなる。「はあ」漏れた息は相変わらず白いのに、白くてすぐに消えてしまうのに。僕はこうなりたいと思っているのに、ぎゅっと握られた手がそれを許してくれなくて。

「かなわないなあ、もう」
「何、何のお話?」
「なんでもないよ。帰ろう」

 出来ることなら、ナマエと一緒に帰りたいのに。そしたらシンプルなその答えも笑って受け止めるし、これからもこんな関係を続けていけるのにね。「僕の故郷の雪はさ、」「うん」「サラサラなんだ。風が吹くと舞い上がって、すごく綺麗だよ」ナマエはここらの出身だから、知らないと思うけど。「積もった雪を踏みしめると、ぎゅっぎゅって鳴るんだ。それが僕の故郷の冬」――べちゃべちゃと立った音がピタリ、止む。

「本当? 雪がサラサラなの?」
「うん。ライナーにも聞いてみなよ」
「こんなに、濡れないの?」

 頭に積もった雪が、じとり髪の毛を濡らしていた。名前でこれなら僕はもっと濡れてるんだろう。「うん、濡れない」「サラサラ……」「うん、もっと細かくて粉みたいな」記憶の断片を読み起こしてそう言えば、感嘆の声が聞こえる。

「すごい……。それ、いつか見に行けたらいいな」
「――巨人を全滅させたら?」
「うーん……。そっか。でも、なんか、巨人って可哀想だよね」
「――え?」
「あ、ごめん。不謹慎だった」
「ううん、続けて。何?」

 可哀想って、何だろう? 「綺麗なものを1番最初に見れるんだよ。空に1番近いのは巨人だもん。あんなに綺麗なのに、知性も感性もないから無視してわたし達を食べにくる。世界で1番汚れてるのは人間だと、思ってるから、えっと……何て言えばいいのかな。もしも、景色をね、慈しむ心があったら、血塗れの世界なんて作ってないと思うの」 空に近いのは、僕?

「手を伸ばしたら太陽まで届いちゃうのかな。それとも太陽はもっともっと上なのかな。でも初雪を感じるのは巨人だね。折角の雪も目には入って来な……ごめん、わたしばかり」

 困ったように笑うナマエがとても綺麗だと思った。僕が持つ力はこの一瞬を壊す為だけに行使される。だけど、違うのかな。僕は空を見上げたことがあっただろうか。綺麗なものを慈しむ余裕もなく、下ばかりを見ていた気がする。

「綺麗だね」
「へ?」
「だから、帰ろう」
「え、うん、え?」

 小さなその手を握り返して、存在を確かめるように。君が生きていた証を忘れないように。出来ることなら、一緒に粉雪を見れますように。そんな願いを託して、あの時よりもうんと遠い空を仰いだ。「冬も悪くないね」そう呟けば、「寒いけど綺麗だもんね」と、この世界で何よりも綺麗な彼女が腕に頭を寄せ、笑った。

君を誘って百万色の世界を見たいんだ

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