雨が地を叩く音がする。驟雨――だろうか。慌てて窓に手をかけ、外の様子を伺う。「……すごい」折角の休日、外に出ようと思っていたけれど、これは中止だ。ふう。小さく息を吐いて、「あ」思い出す。……借りてたDVD見てなかった。こうして、今日の予定は決まった。

「シャルー、DVD見るけどどうする?」

 開けていた窓を閉めながら声を掛けると、パソコンの画面からふと顔を上げる。「そうだな……」少し考えるような素振り、それから肩を落とす。

「これが終わってから見るよ」
「……先に見ててもいい?」
「うん」

 途中からでも面白いのかな。話、わかるのかな。そんな疑問は沸々と湧き上がるが、頷いて見せた。シャルナークの視線がまた液晶へ移る。――まあ、いっか。ソファ占領できるし。と、ケースからDVDを取り出した。

 二人掛けのソファに横になって、リモコンを操作する。そういえば、これはどんな作品だったかな。レンタルショップで特に吟味することなく無造作に選んだ数本のうちの1つだった。新作ではないけれど、まあまあ人気があるものを選んだつもりだ。「ウェナス……、ね」愛と美の女神……か。美しいヒロインだった。金色の髪が風に靡いて、本当に同じ人間なのか疑う程に。ああ、思い出した。あらすじには、ある国の美しい女王がその美しさ故に神の目に留まる。神からの求婚を断り続けることによって、とうとう激怒した神がその国を破壊しようと試みる――といった内容だった気がする。

 そんな、バカな。例え神がいたとして、そんな暴君だったらこの世界は終わってしまう。と鼻で笑っていたのもほんの数十分だった。結局はその世界観に飲み込まれ、食い入るように見ていた。「ミョウジ」名前を呼ばれて、現実に戻される。

「そこ、座りたいんだけど」
「あ、ごめん!」

 シャルナークは困ったように笑ってから、わたしが避けたそこに腰掛けた。――彼もとても綺麗だと思う。初めてこの人を見た時、心臓が跳ねるどころか一周して止まったような気さえしたのだ。「……見ないの?」かち合う視線。映画よりアナタに見とれてました、なんて言えるはずもなくて返事もせずに視線を戻す。

 必ず、英雄という男が女王を助ける為にやってくる。「ぼくがあなたを救いましょう」「生きて帰ったら、ぼくと結婚してください」それを言うのは、とうとう3人目。――要するに、2人は神に殺され帰らぬ人となってしまった。美しい女王はその言葉にいつも微笑んだ。そして、泣いた。「約束しましょう」と。男は跪いて、それから靴に口付けをする。それは一体、どんな気分なんだろう。彼女が神と結婚する、それだけでこの国は平和を取り戻すのに。……なんて、映画に対して抱く感情としては間違いなんだろうけど。

 そうしていつの間にかエンドロールを迎えている。あれ……終わり、どんなんだったけ。隣のシャルナークをちらり、盗み見る。彼は最初から最後まで表情を崩していなかった。

「ねえ、終わり見てなかった……」
「……え、本当?」

 目を見開いて、それから笑う。「ナマエが見たくて見てたんでしょ」彼の手がわたしの頭を撫でた。「なんか、色々考えちゃって」「例えば?」首が傾く。さらり、髪が揺れる。そういえば、女王と同じ髪色だ。ついつい指で束をつまむ。角度を変える度にキラキラと輝くのは、すごく綺麗だ。もしもわたしが神様なら、シャルナークに恋をして、そして彼が手に入らなかったら、世界を滅ぼそうとするんだろうか。きっと、わたしもそうに違いない。恋は思考を鈍らせる。良いも悪いもわからなくなる。彼が良かれと思って人を殺せば、きっとそれも良しとするんだろう。恋とは、そういうものだ。現に、黙認しているんだし。

「ナマエ? どうしたの?」
「ううん。シャルが好きだなーって」

 無意識のうちに出た言葉にはっとした。パチリ、数回の瞬き。それから「ありがとう」と微笑みかけるシャルナークの顔が見れなくて、つい俯いてしまう。ああ、やだやだ。部屋は暗いけど、こんなに近かったら頬が赤いのがきっとバレてしまう。

「で、何考えてたの?」
「ああ、えっと……ほら、キスをするでしょ。英雄達が、忠誠を誓って。でも、毎回死んじゃうんだもん。意味がない気がして、さ。そんなことするより、神様と結婚すれば良かったんだよなーとか、そんなこと」

 そんな、取り留めもない事。シャルナークは「ナマエらしいね」と頬に触れた。それから顔が近付いてくる。わたしはゆっくり目を閉じて、唇が触れ合ったところで薄く開く。ぼやけた視界に綺麗な顔。呆気なく離れていく唇に、思わず首を傾げる。

「どうして唇じゃ駄目なんだろうね」
「……ん、キスの話?」
「あとは、ほら。手の甲、とか」

 いつの間にか攫われた右手に彼は唇を落とした。「体の表面ですらもどかしいのに、彼らは靴の上。屈辱的だし、どうせ死ぬなら1度のセックスでもいいと思う」――というのがシャルナークの見解らしい。

「その時に足にキスするなら幾らでも構わないけど」
「靴は、嫌なんだ」
「嫌だよ。汚いし」

 わかる気もするし、わからない気もする。けれど、自分よりも遙かに強い男の頭が下がって、足にキスをされる光景はどんなものだろう。「――シャルは女王みたいだけど」「どうして?」「同じ金髪で、それに綺麗だから」「……俺が?」頷くと、ちょっぴり不服そうな顔。男の人は嫌なのかな。シャルナークは格好良いけど、それ以上に綺麗だと思ってしまうのは仕方ないと思う。

「英雄じゃないの?」
「シャルは英雄だったの?」
「そうじゃないけどさ。男なのに女王は嫌だよ。ナマエが女王やって。俺が英雄」

 突飛な事を言って、彼はソファから腰を上げた。それから床に片膝をついて、わたしを見る。……俳優さんより、格好良い気がするんだけど。

「生きて帰ったらぼくと結婚してください」
「――ッ! や、約束、しましょ、う?」

 クツクツと潜んだ笑い声。恥ずかしい。穴があったら入りたい。「……裸足だったね」「あ、うん」「じゃあ、こうしよっか」とシャルナークがわたしの片足を持ち上げた。

「なに?」
「んー」

 曖昧な返事。それから爪先に唇が押し付けられる。それから指に舌が這うので身体が跳ねた。「シャルッ――!」上目にわたしを見て、それからまた舌を這わす。軽くリップ音、離れて笑う。

「どう?」

 悪くはない、なんて言えるはずもなくて。「それとも、神と結婚する?」……ああ、こういうことだったんだ。わたしは首を横に振った。絶対的地位にいて、権力を振りかざす神の元に誰が行こうと思うのだろう。それよりも忠誠を誓って、愛を囁いてくれて、己を崇拝をしてくれる男に守られたいと思う。そして、出来ることなら、不可能だとは思っていても英雄に願いを託して世界を委ねて、救ってもらいたい。

「わかった、かも」

 シャルナークはそう、と口の端を上げた。「今日はもうすることもないし、俺としてはここまでしたら続きをしたいんだけど」「……続き?」なんの? その言葉は彼によって塞がれてしまった。

――最中、シャルナークはいつもとは違う行動をとる。折り曲げたわたしの膝をぐっと腹に押し付けるようにして、それからまたキスをした。

「なあに?」
「俺もなんとなく英雄のことがわかった気がして」

 その言葉に問いかけようとして、体が揺さぶられたので声にはならなかった。後で聞こう。何がわかったの? 爪先にキスをするのはどうして? そんな思いも結局は、快楽に流されてわたしの口から漏れる声に掻き消されてしまったのだけれど。

(エンドロールが終わったら主役は僕達だろうから)