「それって、強迫観念っていうの?」小さなテーブルの向こう側、地に届かない足をぷらぷらと遊ばせながらナマエはそう言った。細く白い首筋がこてん、と曲がって浮き出た筋に噛みつきたい衝動をぐっと押さえる。

「なんね、それ」

 いつものごとく、淡々とした声。人の出入りが激しいお昼時の喫茶店では、彼の声は通らない。ナマエは「聞こえないよ」と笑った。クスクス、とそれは小さな小さな声だったが、高めの声だからだろうか。周りの客と同じように、店内に響いている気がする。

「考えたくないって思っても、頭の中がそれいっぱいっていうか」
「強迫観念ていうのか」

 ナマエはティーカップを口元に運んだ。ふう、ふう。湯気を押しやるように冷まし、それから傾けた。「あっつ!」肩が跳ね、カップに並々注がれていたアールグレイの飛沫が中に舞う。それらは小さなテーブルへとこぼれ落ちた。フェイタンは舌打ちをしてから備え付けられたナプキンで拭き取った。白い紙に、茶色がみるみるうちに滲むのは血のようにも見えた。

「ごめん、ありがとう」
「ナマエは落ち着きないね」
「殺したくなった?」
「どうしてそうなるか」

 フェイタンの手がピタリ、止まった。彼女はその様子をみて「あれ、違うの?」とまた首を傾げる。

「え、わたしを拷問したいって話だったよね?」
「そんなこと言た覚えないよ」
「そういうので頭いっぱいってことじゃなくて」
「噛みつきたいて話」

 吸血鬼さんなの?違う。血が足りないとか?足りてる。フィンには?思わない。欲求不満?欲……?

「噛みつきたい欲求なんてあるか?」
「わたしはないけど」
「ワタシ、今まではなかたよ。ここ最近ね」

 うーん。んー。なんだろうなあ。ナマエの眉間に皺が寄るのを見ながら、フェイタンはコーヒーを飲んだ。今もその衝動は押さえられず、ふと気を抜くと歯を立ててしまいそうになる。例えば、血管の浮き出た白い首筋に。例えば、黒いレース生地の半袖から出たその柔らかそうな二の腕に。例えば、テーブルの上に無造作に置かれた小さな手に。駄目だ、刺激が強い。いつも以上に顔を埋めて、それに耐えることにする。

「わたしに会ってる時だけ? 今も?」
「今も噛みつきたいよ。ただ会わないときもね」
「四六時中?」
「そうかもしれない」

 あれ、それってさ恋みたいだね。

「……は?」
「ずっとわたしのこと考えてるんでしょ」
「……噛みたくてよ」
「安心してると噛みたくなるって人いるよ? あと独占欲とかさ」
「……まさか」

 そうだよねー。フェイタンに限ってねー。

 距離は近い筈なのに、フェイタンの耳には届かない。くしゃり、先ほどの茶色が滲んだナプキンを握り締めて「まさか」もう一度そう言った。「ナマエ、噛み切てやりたいね」それだけを言うと、彼は席を立つ。

「帰るの?」
「黙れ、噛むよ」
「なんで怒っ、いったい!」

 慌てて伸ばした彼女の手を素早く掴んで口元に運び、噛んだ。悲鳴を聞いて嬉しそうに、指を舐めると「や、フェイ」と恥じらうナマエの姿が、さらに欲を強めていくので、親指、とんで中指、薬指、小指と噛んでは舐めて「足りないよ。またく」と呟いた。
Out of control
(「歯型だらけー!もういやだー!痛いよー!」と悲鳴を上げつつ逃げることはしない彼女もまた、)

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