恋人ごっこは今日で終演 | ナノ
 ゲルガーさんは、わたしを一瞥して早々に溜息を吐いた。「遅ぇ」短く、それだけを言うとわたしの頭に手を乗せた。ナナバさんより厚みのある、重い手のひら。

「お部屋、片付けてきたんです。ごめんなさい」
「お前、ほんとにバカなのか? んな雑務やる必要ねぇよ」
「……でも、ナナバさんに頼まれたから」

 ぐちゃぐちゃになったシーツを丸めてたらいに突っ込んだ。悔しかった。水で幾ら流しても消えない匂いに涙が溢れた。何度洗ってもぬるりとした感触が取れなくて、背中が粟立った。「サイアク……」呟いた言葉なんて、水音に消されてしまったけれど。

「頼まれていいことと悪いことくらいわかれ。どうせ洗ったって今日の夜には汚れてるんだしな。わかってるだろ?」

 頷くことしかできなかった。頭の上にある手がぐっと押すから。「……いたい」「痛くねぇよ」「ゲルガーさん、わたし辛い」視線は逸らして、でも口にしてみる。顔は見えないけど、ゲルガーさんはきっと困った顔をしてるに違いない。

「酒、飲むか」
「……わたしお酒嫌い」
「バカ、この味がわからねぇなんて人生の半分損してるんだぞ。ついでにお前はナナバを好きになってもう半分。全人生、棒に振るってるな」

 わたしは人生を損しているのか。なんで生まれてきたんだろう。わたしは幸せになる為にこの世に生を受けたわけではないらしい。親が愛し合ってついでに生まれてきたのがわたしという存在なんだろうか。だって、わたしならこんな世界を子供に見せたくないよ。壁の外には巨人がいて、その壁の中を平和と安心して。でも、もっと昔も人は生まれた。だから、今のわたしたちがあって。……こんな残酷な世界で、どうして。

「……セックスって何の為だと思います?」
「――ッ、何だよ急に! 酔ってんのか」

 ガシガシと髪の毛を弄っていたゲルガーさんの手がピタリ、止まった。「だって、わたしだったらこんな世界で子どもなんて作りたくないもん。可哀想、だと思うから。でも、そんなこと考えてゲルガーさんセックスする? しないよね? 気持ちよくなりたいだけだもんね?」

 ゲルガーさんは眉をぐっと寄せて「女がはしたねぇ」と軽く、頭を叩いた。

「そんなの差別です。女も男も関係ないの。それで、ゲルガーさんは子どもが欲しくて? それとも欲のため? それが愛し方だから?」
「……ガキは、欲しい。やっぱり可愛いと思うんだ。まあ、愛した女の間に生まれたらいいなとは思う。こんな仕事してりゃあ、性欲尽きねぇよ。いつ死ぬかわからないから、体も子孫残したくて必死なんだろうな」

 なんだかんだ真剣に答えてくれるのがゲルガーさんだ。「こういう時ね、どうしてゲルガーさんを好きにならなかったのかっていつも後悔する」「遅くねぇからオレにしとくか?」そう、笑った。わたしもつられて笑う。

「なに、ナマエはゲルガーが好きなのかい?」

 タイミングを計らったようにしてナナバさんはやってきた。白い首筋や鎖骨に鬱血痕。さっきはなかったよね。じゃあ、次の子だ。まるで誰かの所有物のようにして、それは散らされている。「そうですね、ゲルガーさん好きです」嘘ではない。ただ、恋でないことは付け足さない。ナナバさんもそれを知って笑ってるんだろうから。

「シーツ、干しておきました。そろそろ落ち着いてください。若くも、ないでしょ」
「私のだけじゃないからさ。たまたま感じやすい子だったんだ」
「……ナマエ、お前なんでナナバなんだ、本当に」

 そんなのわたしだって知らないよ。「コイツはオレと違う。性欲満たして、終わりだ。万が一、何かを間違えて子どもが出来ても知らないふりだろ? 面倒事は嫌いだよな?」ゲルガーさんが大きく息を吐いた。クツクツと喉元で笑うナナバさん。「そうだね」彼は嘘を吐かない。

「配慮はしているよ。そこはね、もちろん」
「自分のために、な?」
「ゲルガー、あまり私に絡むなよ」

 こんな人がきっと今までにもいて、それで子孫は絶えず残されてきたのだろうか。そうだとしたら、笑える。そんな世界、こっちから願い下げだ。

「本当に、棒に振るったみたい。来世に期待します」
「諦めるなよ、もっと周りをよく見ろ」

 どんなに視野を広げても、目に真っ先に入ってくるのはナナバさんだ。だって、しょうがないじゃない。この人がいなかったら、わたしは既に死んでいたし、救われた命を無駄にはしない。「私の言う事、聞けるかな?」そう問われれば、頷く以外選択肢は残っていなかった。触れられれば、幾ら心が嫌がっても、体が勝手に反応してしまう。本当に、従順だ。わたしは、ナナバさんに。

「来世こそは、ナナバさんと結ばれるように頑張ります」
「ナマエ、もったいねぇよ」
「ゲルガーうるさい。私もそれを信じて死ぬことにするよ」

 思ってもないくせに。今日の夜は誰を抱こうか、それしか考えていないくせに。きっと調査兵団の中で誰よりも紳士的な振る舞いのできる変態とはこの人以外にありえない。1日に何発やれば気が済むの? いいや、すまないんだろう。だから、こうして毎日わたしがシーツを洗わされる。

「ナナバさんなんて死んじゃえ、バカ」
「縁起でもない。さすがに、怒るよ」
「わたしの方が怒ってる。あんな、汚いの、もう嫌だ」
「――なら、止めてもいいよ。だって代わりはたくさんいるんだ」

 ゲルガーさんが「オイッ」と声を上げた。わたしはただ、好きなだけだ。好きな人に振り向いて欲しいだけなのに。「代わりなんて……」いないって言ってよ。わたしだけって、ねえ、嘘でもいいから。どうして、わたしの欲しい言葉は1つとしてかけてくれないのに、他の子には「好き」とか「愛してる」とか平気で囁けるの。本心じゃないんでしょう。なら、わたしにだって言ってよ。それだけで十分、幸せなのに。嘘でも、いいから。

「――ッ」

 目が合った。冷ややかな、その視線の先はわたしだ。「他の子に頼むから、いいよ。悪かった」――突き放される。「いや」「何が」「いやだ、ナナバさん」「わからない」そんな応酬を繰り返して、すっかりゲルガーさんを忘れてしまっていた。「いやだ、わたしを嫌いにならないで」そう告げれば、ナナバさんは笑うんだ。

「それ以上、嫌いになるところなんてないよ」

 茫然としたわたしを置いて、彼はどこかへと歩いていった。ゲルガーさんが何度も、何度も頭を撫でた。「本当に、損してる」そうだ。わたしは損ばかりをしている。溢れる涙を拭って見上げた。

「だって、世界は残酷なんですよ」

 目を伏せたゲルガーさんに頭を下げて、わたしは走った。向かう先はもちろん――。

(言葉で表せるほどの感情ならとっくに伝えてる)
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