1000hit記念企画
キスで目覚めるらしい?02
また目が覚めると窓の外は真っ暗になっていた。色々ありすぎて仕事、忘れてた。電気をつけるとテーブルの上に書き置き。フラフラと紙片を拾い上げて読む。『年休ということにしておきました』……この字はジーノの方か。頭も打っていたし、大事を取って休んでいたことにしてもらえたのかもしれない。後で関係各所に謝罪参りしなければいけないな。
桶の方をそうっと見る。やっぱりボスが居る。桶の下に何かが挟まっている。取り出してみるとそれは紙片で、こう書かれていた。『ご飯はお肉焼いたのを持っていくわ』、このクネクネした感じの字はルッスーリア隊長だ。良かった、自分が調理などという誰一人得をしない事態にならなくて。
めまいはしないが、代わりに頭が痛い。考えることは山ほどある。まずこの状態のボスをここに居させて大丈夫なのか。私にも仕事はあるからつきっきりで面倒を見られるわけじゃない。まあこれは休憩時間は必ず部屋に戻るようにすれば大丈夫か。
次に、ボス不在時の書類はどこに回せば良いのか。これは順当に考えればスクアーロ作戦隊長か。このプロの暗殺集団はボスがしばらく居なくてもなんとかやっていける。その代わりに、そのうち作戦隊長の喉が枯れ果てるかもしれないが。そっちのほうが静かになって良いかもしれない。まだ扉に吹き飛ばされたことは許してない。曲がりなりにもイタリアーナの顔面にドアをぶつけた罪は重いと思っている。
そしてこのカエルもといボスの扱い。ボスがカエルになったことは、ボスの安全という意味でも、醜聞という意味でも、箝口令が敷かれているはずだ。預かり物ということにしておこう。
寝ている間に仕事の時間は終わっている。今から班にあてがわれた部屋に行ってもだれもいないだろう。このまま隊服を着ていても仕方ない。部屋着に着替えよう。ズボン、隊服の上着、シャツを床に落としたところで、はたと気づいた。今やこの部屋は私一人のものでないことに。ちらりとボスの方を見る。こちらとばっちり目があった。自分の思い違いなどでなければ、楽しそうな表情を浮かべているような。すぐさまそれを見なかったことにして、クローゼットから部屋着を取り出す。何の変哲もないセーターとズボン。とてもじゃないが、廊下を歩く気にはなれない格好だ。
ミニキッチンで湯を沸かし、ポットを蒸らし、茶葉を入れて湯を注ぐ。水色を見て味見。今日はボンゴレがダージリンに保有する茶園のオータムナルだ。うん、流石はボンゴレの茶園、味が深いし匂いもいい。高いお金を出して買った甲斐があった。料理は絶賛大不評のこの私だが、紅茶だけは人気だ。なぜその味覚が料理に活かされないのかとルッスーリア隊長に嘆かれるほどに。多分庶民の出の私とやっている任務のイメージと裏腹に上級階級出身者がゴロゴロいるヴァリアーとでは味覚が違うのだろう。
出来が良い紅茶を入れられた私は上機嫌だった。同じ部屋に天敵が横たわっているという現実を忘れて。気分のいい私はデュポンのオルダージュを鼻歌交じりに引っ張り出す。まず紅茶に入れて飲んで、ロックグラスに注いだカルヴァドスをストレートで何杯か飲んで……。そこから先の記憶はない。
*
肌寒さに目を覚ます。体を起こすと頭がズキズキした。紅茶を入れて、あれ、私何したんだっけ。ああそうだ、ブランデーをガブガブ飲んで酔いつぶれてソファで寝たんだ。えらくいい夢を見ていたことは覚えている。詳細は記憶に無いけれどとても幸せな気分だった。
空っぽになって床に落ちていた空き瓶を拾って机の上に置く。床を確認したが、濡れている様子はなく、少なくともこぼして寝るなどということはなかったらしい。汗をかいて気持ち悪いから風呂に入ろう。
これは昔から友人に言えば笑われるし、ガス代が余分にかかると親にもよく怒られたが、私はよく浴槽に湯をためて風呂にはいるのが好きだ。風呂好きだからって別にジャッポネーゼの血が流れているわけではない。生粋のイタリアーナ、というか自他ともに認めるミラネーゼのこだわりがそうさせるのだ。なんでアイツら週一とかの頻度でしか浴槽に浸からないの?
ふらりとソファから立ち上がり、服を自分が座っていた場所にぽいぽいと投げ捨てて風呂場へ向かう。
今にして思えば、この時の私はどうかしていたとしか思えない。いや、確かにアルコールが抜けきっていなかったのだろうけれど。
どうしてよりにもよってその状態で浴槽に浸かろうなどという自殺行為にも等しい発想に至ったのか至ってしまったのか。
正直この判断を死ぬほど後悔している。
*
光が、揺らぐ。見上げた天井がさざなみに揺れる。私は光に向かって手を伸ばすけれど届かない。極度に視界は狭い。視界の四隅は暗く、欠けていて、まるでケラれてる写真みたいだ。気のせいじゃなかったら、視界が段々と狭くなってきているような。そこでやっと、自分の息が苦しい、そもそも息ができていないということに気づいた。
どうしてこうなったのかさっぱり分からないが、取り敢えずこの暗殺部隊においてしばらく語り草になりそうな、凄まじく間抜けな死に方な気がする。そうは思うが、この期に及んでどうしようもない。
まるでジャッポーネで言う走馬灯のように、いろいろな思い出が目の前を過ぎっては消えていく。小さな頃の思い出も、ここに連れてこられてからの思い出も、みんな消える。
そして、ふと思い出す。
首から上だけは絶対に助けてやるといった男の存在を。言われたのは厳密には自分じゃない。平行世界の未来に生きる自分だ。本来知り得ない未来のことを知った以上、私はあの未来の自分にはなれない。
それでも、ずっと、焦がれていた。あの真っ直ぐな目に。誰も寄せ付けぬと言下に言いながら、いろいろな人を惹き付けるあの男に。私も決して例外ではなく、魅せられていた。あの、手を伸ばしても届かない灯りのように、思っていた。
でも、どれだけ焦がれても、どうせ手の届かない相手だ。空に手を伸ばしても決して届かないように、今こうして伸ばした手は灯りに届くことのないように。だらりと腕から力が抜ける。
多分、あの男のことが好きだった。堅実とは程遠く、謙遜など絶対にせず、己の望みのままに食べて飲んで寝る。私の思い描く理想の異性とは大幅に異なる姿。でも、幾度となく訪れた危機に、まるでヒーローのように現れ、必ず私を助けてくれた。たとえそれが私に好意などなく、ただ単に仕事で必要にされていたに過ぎなくとも、それでも、嬉しかった。
私は確かに男の名前を読んだ。今まで一度だって呼んだことのないその名前を。呼んで気付く、あの男は今はカエルに変えられているのだと。邪険に扱った自分を助けてくれるはずもない。
私の呼びかけに応えるように飛び込む何かが居た。耳に満たされた水が鼓膜にその衝撃を伝達する。あまり大きくないそれから、飛び込んだのは人ではないことが分かる。白い腹、黒いヌメッとした体。カエルに変えられて尚、私を助けに飛び込むなんて、なんて危なっかしい男だ。変温動物に変えられた今となっては、この湯は体に害にしかならないでしょうに。
……いや、姿形は変えられても、この男を構成する根幹は変わらないのか。口ではなんだかんだ言い、何かと物を投げつけるような、そんな乱暴な男だが、その実仲間が、部下が傷つけられることを誰よりも嫌がる。それが、XANXUSという男ではなかったか。この期に及んでやっとそんな簡単なことしか理解できないのね、私は。いや、生きている間に理解できなかったことを、せめて死ぬ前に理解できて良かったのかもしれない。
私は最後の力を振り絞って男の唇に口付けを落とし、水面に押しやる。今の彼の力ではどうあがいても私を助けることは出来ない。彼を自分の巻き添えにする訳にはいかない。自分が死ぬことで部隊に凄まじい迷惑をかけるのだ、その上ボスまで失ったらたまらない。
意識が茫洋としていくのを感じていた。むしろここまでよく持ったと思う。今までの自分の所業を思えば、この死に方は間抜け極まりないとは思うが、この間抜けさ加減が自分らしいとも思える。それに、思ったよりも苦しくない。確かに苦しいのだが、不思議な安堵に満ちている。それが、母親の胎内に似たような環境で死んでいくからか、死ぬ間際にあの男が来てくれたからか、それは分からないが。
意識が完全に泥濘のような安寧に沈むその寸前、私の体は水の中から引きずり出された。
桶の方をそうっと見る。やっぱりボスが居る。桶の下に何かが挟まっている。取り出してみるとそれは紙片で、こう書かれていた。『ご飯はお肉焼いたのを持っていくわ』、このクネクネした感じの字はルッスーリア隊長だ。良かった、自分が調理などという誰一人得をしない事態にならなくて。
めまいはしないが、代わりに頭が痛い。考えることは山ほどある。まずこの状態のボスをここに居させて大丈夫なのか。私にも仕事はあるからつきっきりで面倒を見られるわけじゃない。まあこれは休憩時間は必ず部屋に戻るようにすれば大丈夫か。
次に、ボス不在時の書類はどこに回せば良いのか。これは順当に考えればスクアーロ作戦隊長か。このプロの暗殺集団はボスがしばらく居なくてもなんとかやっていける。その代わりに、そのうち作戦隊長の喉が枯れ果てるかもしれないが。そっちのほうが静かになって良いかもしれない。まだ扉に吹き飛ばされたことは許してない。曲がりなりにもイタリアーナの顔面にドアをぶつけた罪は重いと思っている。
そしてこのカエルもといボスの扱い。ボスがカエルになったことは、ボスの安全という意味でも、醜聞という意味でも、箝口令が敷かれているはずだ。預かり物ということにしておこう。
寝ている間に仕事の時間は終わっている。今から班にあてがわれた部屋に行ってもだれもいないだろう。このまま隊服を着ていても仕方ない。部屋着に着替えよう。ズボン、隊服の上着、シャツを床に落としたところで、はたと気づいた。今やこの部屋は私一人のものでないことに。ちらりとボスの方を見る。こちらとばっちり目があった。自分の思い違いなどでなければ、楽しそうな表情を浮かべているような。すぐさまそれを見なかったことにして、クローゼットから部屋着を取り出す。何の変哲もないセーターとズボン。とてもじゃないが、廊下を歩く気にはなれない格好だ。
ミニキッチンで湯を沸かし、ポットを蒸らし、茶葉を入れて湯を注ぐ。水色を見て味見。今日はボンゴレがダージリンに保有する茶園のオータムナルだ。うん、流石はボンゴレの茶園、味が深いし匂いもいい。高いお金を出して買った甲斐があった。料理は絶賛大不評のこの私だが、紅茶だけは人気だ。なぜその味覚が料理に活かされないのかとルッスーリア隊長に嘆かれるほどに。多分庶民の出の私とやっている任務のイメージと裏腹に上級階級出身者がゴロゴロいるヴァリアーとでは味覚が違うのだろう。
出来が良い紅茶を入れられた私は上機嫌だった。同じ部屋に天敵が横たわっているという現実を忘れて。気分のいい私はデュポンのオルダージュを鼻歌交じりに引っ張り出す。まず紅茶に入れて飲んで、ロックグラスに注いだカルヴァドスをストレートで何杯か飲んで……。そこから先の記憶はない。
*
肌寒さに目を覚ます。体を起こすと頭がズキズキした。紅茶を入れて、あれ、私何したんだっけ。ああそうだ、ブランデーをガブガブ飲んで酔いつぶれてソファで寝たんだ。えらくいい夢を見ていたことは覚えている。詳細は記憶に無いけれどとても幸せな気分だった。
空っぽになって床に落ちていた空き瓶を拾って机の上に置く。床を確認したが、濡れている様子はなく、少なくともこぼして寝るなどということはなかったらしい。汗をかいて気持ち悪いから風呂に入ろう。
これは昔から友人に言えば笑われるし、ガス代が余分にかかると親にもよく怒られたが、私はよく浴槽に湯をためて風呂にはいるのが好きだ。風呂好きだからって別にジャッポネーゼの血が流れているわけではない。生粋のイタリアーナ、というか自他ともに認めるミラネーゼのこだわりがそうさせるのだ。なんでアイツら週一とかの頻度でしか浴槽に浸からないの?
ふらりとソファから立ち上がり、服を自分が座っていた場所にぽいぽいと投げ捨てて風呂場へ向かう。
今にして思えば、この時の私はどうかしていたとしか思えない。いや、確かにアルコールが抜けきっていなかったのだろうけれど。
どうしてよりにもよってその状態で浴槽に浸かろうなどという自殺行為にも等しい発想に至ったのか至ってしまったのか。
正直この判断を死ぬほど後悔している。
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光が、揺らぐ。見上げた天井がさざなみに揺れる。私は光に向かって手を伸ばすけれど届かない。極度に視界は狭い。視界の四隅は暗く、欠けていて、まるでケラれてる写真みたいだ。気のせいじゃなかったら、視界が段々と狭くなってきているような。そこでやっと、自分の息が苦しい、そもそも息ができていないということに気づいた。
どうしてこうなったのかさっぱり分からないが、取り敢えずこの暗殺部隊においてしばらく語り草になりそうな、凄まじく間抜けな死に方な気がする。そうは思うが、この期に及んでどうしようもない。
まるでジャッポーネで言う走馬灯のように、いろいろな思い出が目の前を過ぎっては消えていく。小さな頃の思い出も、ここに連れてこられてからの思い出も、みんな消える。
そして、ふと思い出す。
首から上だけは絶対に助けてやるといった男の存在を。言われたのは厳密には自分じゃない。平行世界の未来に生きる自分だ。本来知り得ない未来のことを知った以上、私はあの未来の自分にはなれない。
それでも、ずっと、焦がれていた。あの真っ直ぐな目に。誰も寄せ付けぬと言下に言いながら、いろいろな人を惹き付けるあの男に。私も決して例外ではなく、魅せられていた。あの、手を伸ばしても届かない灯りのように、思っていた。
でも、どれだけ焦がれても、どうせ手の届かない相手だ。空に手を伸ばしても決して届かないように、今こうして伸ばした手は灯りに届くことのないように。だらりと腕から力が抜ける。
多分、あの男のことが好きだった。堅実とは程遠く、謙遜など絶対にせず、己の望みのままに食べて飲んで寝る。私の思い描く理想の異性とは大幅に異なる姿。でも、幾度となく訪れた危機に、まるでヒーローのように現れ、必ず私を助けてくれた。たとえそれが私に好意などなく、ただ単に仕事で必要にされていたに過ぎなくとも、それでも、嬉しかった。
私は確かに男の名前を読んだ。今まで一度だって呼んだことのないその名前を。呼んで気付く、あの男は今はカエルに変えられているのだと。邪険に扱った自分を助けてくれるはずもない。
私の呼びかけに応えるように飛び込む何かが居た。耳に満たされた水が鼓膜にその衝撃を伝達する。あまり大きくないそれから、飛び込んだのは人ではないことが分かる。白い腹、黒いヌメッとした体。カエルに変えられて尚、私を助けに飛び込むなんて、なんて危なっかしい男だ。変温動物に変えられた今となっては、この湯は体に害にしかならないでしょうに。
……いや、姿形は変えられても、この男を構成する根幹は変わらないのか。口ではなんだかんだ言い、何かと物を投げつけるような、そんな乱暴な男だが、その実仲間が、部下が傷つけられることを誰よりも嫌がる。それが、XANXUSという男ではなかったか。この期に及んでやっとそんな簡単なことしか理解できないのね、私は。いや、生きている間に理解できなかったことを、せめて死ぬ前に理解できて良かったのかもしれない。
私は最後の力を振り絞って男の唇に口付けを落とし、水面に押しやる。今の彼の力ではどうあがいても私を助けることは出来ない。彼を自分の巻き添えにする訳にはいかない。自分が死ぬことで部隊に凄まじい迷惑をかけるのだ、その上ボスまで失ったらたまらない。
意識が茫洋としていくのを感じていた。むしろここまでよく持ったと思う。今までの自分の所業を思えば、この死に方は間抜け極まりないとは思うが、この間抜けさ加減が自分らしいとも思える。それに、思ったよりも苦しくない。確かに苦しいのだが、不思議な安堵に満ちている。それが、母親の胎内に似たような環境で死んでいくからか、死ぬ間際にあの男が来てくれたからか、それは分からないが。
意識が完全に泥濘のような安寧に沈むその寸前、私の体は水の中から引きずり出された。
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