沢田さん家の長女さん!
長女さんの遠い過去:その2
ちょうどその時、愛海が開けようと奮闘していた扉がノックされた。少年の意識がそちらを向いた隙に、彼女は少年を突き飛ばし、扉の方へ駆ける。ちょうど部屋の中ほどにたどり着くかどうかで立ち直った少年に体当りされ彼女はギターケースごと部屋の床に押さえつけられた。
拘束を解こうと少女は暴れるが、全く歯が立たない。愛海はともすれば泣きそうになる自身を必死で戒めた。泣けばこの男の子の思う壺だ、と。
応答がないことを不審に思ったのか、ガチャリと扉が開けられた。入ってきたのは男性だ。まだ青年と呼べそうな年齢の彼は目の前で起きている状況に一瞬目を瞬いて、やがて、少年が少女を抑える場所が少し間違えば呼吸困難になる位置だと気づいて慌てて彼女を抱き上げた。案の定、少女は苦しい思いをしたようでけほけほと咳をして、息を整えていた。
少年は不満げに愛海にはわからない言語で青年に何事かを言う。青年は静かにしかし毅然とした態度で返答する。少年は不服そうな顔つきで頷いた。彼女の方はというと、わからない会話に視線を彷徨わせていた。
青年は彼女を抱えて静かに歩き出した。その後ろを少年がついていく。彼女は道中で何度か言語を変えて話しかけられ、青年が日本語を使ったときに初めて心からの笑みを浮かべた。
「日本人なのですね?」
「はい」
「そうですか。今から私たちはこの建物で一番偉い人のところへ行きます。そこで何があったのかを話してくれますか?」
「わたしに、わかることなら」
「それで十分ですよ。そのケースはギターですか?」
「はい。クラシックギターです」
「そうですか。今度聞かせてくださいね。……つきましたよ」
貝をあしらった見事な彫刻がなされた大きな扉の前にたどり着くと、ちょっと失礼しますね、そういった青年に地面に下ろされる。ノッカーで規則正しくノックを三回。扉の向こうから老齢の男性のような声が聞こえ、それに応じるように青年が何かを言う。少し間が空いて、男性が何事かを言い、そこで青年が扉を開いた。青年は扉を開く手を止め何かを言い、愛海の背を軽く推して入室を促した。彼女は部屋に入る一歩手前で小さく一礼し、失礼しますと言って部屋に足を踏み入れた。彼女と言語は違えど同じようにして少年も続く。
青年と男性との間で短く会話がなされている間、少年と少女は差し向かいになったソファを挟んで一方的なにらみ合いをしていた。一方的に少年がにらみ、少女は瞳を怯えに揺らしながらも少年を見る。
子供同士の不毛な争いを打ち切ったのは男性だった。愛海の斜め向かいに座り、優しげな顔で彼女に微笑んだ。少年に対する怯えで比較的鋭い直感も鈍り気味だった彼女でも、男性が優しい人物であることはわかった。
「まず、お名前を教えてくれるかな」
「それは……いえません」
「どうしてかな?」
「おと……ちちに、なまえをおしえてはいけないよ、といわれたからです」
「お父さんの名前は言えるかな?」
「それもいってはいけない、と」
そこで男性はふむ、と一瞬考えるような声を出した。言葉はわからないもののその場にいた人間の顔つきと流れで愛海が名乗らなかったことを理解した少年は彼女に凄んだ。しかし彼女もそう何度も睨まれて怯えてばかりでいられるほど弱腰でもなければ、お人好しでもなかった。泣きそうな目をしながらも愛海は少年を睨み返した。怯えている、取るに足らない人間が自分を睨んで来るのがますます気に食わないのか、少年は目付きの悪さを存分に活かして更に鋭く睨みつけた。
またもや始まった不毛な争いを目にして男性は思わずため息を付きそうになったが、そこはさすが人生経験豊富なナイスミドル。笑顔で配慮が足りなくて済まなかったと彼女に詫た。
「日本から来たのかな?」
「はい」
「そのケースは?」
「クラシックギターです」
そこで男性はそっと目を細めた。睨むような感じだとは愛海は感じなかったので、少し首を傾げた。
「では誕生日は言えるかな?」
この問に彼女はすんなりと答えた。誕生日だけでなく生年も答えてみせたのだが、それを聞いていた青年と男性は思わずお互いに顔を見合わせた。二人の顔色を見て何か間違ったことを言ってしまったのかと思った愛海は不安げな顔つきになった。男性は動揺の色をかき消して、彼女を安心させるように微笑んだ。
「何歳か言えるかい?」
「6さいです」
「今は何年か、わかるかな?」
この問にも彼女はしっかりと答えた。今度は確信したような表情を突き合わせる二人に彼女も彼も首を傾げる。愛海としては父親に教わったことをそっくりそのまま言ったのだが、どうして不思議がられるのか全くわからなかった。
「そうか……」
そこで大人二人はしばらく愛海には分からない言語でやり取りしていた。言語が理解できないのは少年も同じなのか訝しげに顔を歪めている。またもや子供二人の目が合うが、お互いが不思議そうな顔をしているのを感じ取って同じタイミングで首を傾げる。行動が揃うのが気に食わないのか、少年は彼女を睨みつけるが、もう何度もにらみ合いをしていれば慣れてしまうのか、彼女は一瞬キョトンとして反対側に首を傾げただけだった。
「お嬢さん」
この場で女性は愛海一人きり。男性の声に彼女はすぐに顔を上げてはい、と返事をした。男性は優しくほほえみながら、この後の愛海の人生を大きく変えてしまうことを言ってのけた。
「わしの隣りに座っておる男の子はXANXUSというんじゃが、彼には友だちがいなくてね。君が戻るまででいい、彼と一緒に遊んでくれんかの?」
愛海は男性と、彼の顔を見比べて、少し考え込むような表情を浮かべた。やがて考えが纏まったのか、少女は顔を上げて、男性の目をまっすぐに見て唇を開いた。
「わかりました」
ありがとう、男性は微笑んだ。
*
愛海は仲良くするように言われたものの、言葉もわからないためどうコミュニケーションを取ればいのかわからず、こちらにも近寄るなと言いたげな少年に戸惑っていた。それに出会い頭に何かされかけたのも忘れてはいない。事あるごとに睨まれるし、少し、怖かった。
それでも彼女が彼と遊ぶことにした理由はただ一つ。たった一人でこんなところに放り込まれたのは、何かやるべきことがあったからではないかと思ったからだ。彼女にはやるべきことは明確にはわからない。ただ、恐怖を理由に彼から逃げることがやるべきことではないと感じたのだ。
とは言え、XANXUSの方は無断で自分の部屋に立ち入ったのにお咎めなしな上に、睨んでも効果がなくなってきた愛海を完全に敵視しており、彼女の方も理解のできない何かをされたというトラウマじみた記憶から、二人が仲良くすることはかなり難しい状況だった。
そんな二人に挟まれて苦悩することになったのが、青年、オッタビオである。オッタビオは言語の壁もあってなかなか仲良くなれない彼女らにかなり手を焼いていた。かといって、通訳を買って出ようにも、男の上司、ナイスミドルな9代目に、余計にこじれるからやめておきなさいと言われていれば二人を見守るしかなかった。
「XANXUS様、たまにはお外に行きましょう」
考えた末にオッタビオは彼女たちを外に連れ出すことにした。理由は単純である。二人が同じ空間にいると、空気が重たくてやっていられないのである。二人は取っ組み合いさえしていないものの、視線が合えばにらみ合い、大人の彼の計り知れない境域での会話がなされていた。この空気に彼は耐えかねて、二人を外に連れ出したというわけだ。ちなみに彼女のギターケースは置いていってもらった。
広い屋敷の一番奥まった、ごく一部のものしか入ることが許されない中庭に二人を連れて行った。そこには古井戸があったが木の板で封じられていた。柔らかい芝や色とりどりの花がこの庭がお金と時間を惜しまずに手入れされていることを物語っていた。
ここで二人は互いに背を向けて別々に遊び始めた。とりあえずにらみ合いが終わったことに安堵するオッタビオ。彼はベンチに座って本を読み始めた。彼は内心で子供を見守る親のような状態だな、と思ったが、こんな仲の悪い兄妹は嫌だとこっそり体を震わせた。
拘束を解こうと少女は暴れるが、全く歯が立たない。愛海はともすれば泣きそうになる自身を必死で戒めた。泣けばこの男の子の思う壺だ、と。
応答がないことを不審に思ったのか、ガチャリと扉が開けられた。入ってきたのは男性だ。まだ青年と呼べそうな年齢の彼は目の前で起きている状況に一瞬目を瞬いて、やがて、少年が少女を抑える場所が少し間違えば呼吸困難になる位置だと気づいて慌てて彼女を抱き上げた。案の定、少女は苦しい思いをしたようでけほけほと咳をして、息を整えていた。
少年は不満げに愛海にはわからない言語で青年に何事かを言う。青年は静かにしかし毅然とした態度で返答する。少年は不服そうな顔つきで頷いた。彼女の方はというと、わからない会話に視線を彷徨わせていた。
青年は彼女を抱えて静かに歩き出した。その後ろを少年がついていく。彼女は道中で何度か言語を変えて話しかけられ、青年が日本語を使ったときに初めて心からの笑みを浮かべた。
「日本人なのですね?」
「はい」
「そうですか。今から私たちはこの建物で一番偉い人のところへ行きます。そこで何があったのかを話してくれますか?」
「わたしに、わかることなら」
「それで十分ですよ。そのケースはギターですか?」
「はい。クラシックギターです」
「そうですか。今度聞かせてくださいね。……つきましたよ」
貝をあしらった見事な彫刻がなされた大きな扉の前にたどり着くと、ちょっと失礼しますね、そういった青年に地面に下ろされる。ノッカーで規則正しくノックを三回。扉の向こうから老齢の男性のような声が聞こえ、それに応じるように青年が何かを言う。少し間が空いて、男性が何事かを言い、そこで青年が扉を開いた。青年は扉を開く手を止め何かを言い、愛海の背を軽く推して入室を促した。彼女は部屋に入る一歩手前で小さく一礼し、失礼しますと言って部屋に足を踏み入れた。彼女と言語は違えど同じようにして少年も続く。
青年と男性との間で短く会話がなされている間、少年と少女は差し向かいになったソファを挟んで一方的なにらみ合いをしていた。一方的に少年がにらみ、少女は瞳を怯えに揺らしながらも少年を見る。
子供同士の不毛な争いを打ち切ったのは男性だった。愛海の斜め向かいに座り、優しげな顔で彼女に微笑んだ。少年に対する怯えで比較的鋭い直感も鈍り気味だった彼女でも、男性が優しい人物であることはわかった。
「まず、お名前を教えてくれるかな」
「それは……いえません」
「どうしてかな?」
「おと……ちちに、なまえをおしえてはいけないよ、といわれたからです」
「お父さんの名前は言えるかな?」
「それもいってはいけない、と」
そこで男性はふむ、と一瞬考えるような声を出した。言葉はわからないもののその場にいた人間の顔つきと流れで愛海が名乗らなかったことを理解した少年は彼女に凄んだ。しかし彼女もそう何度も睨まれて怯えてばかりでいられるほど弱腰でもなければ、お人好しでもなかった。泣きそうな目をしながらも愛海は少年を睨み返した。怯えている、取るに足らない人間が自分を睨んで来るのがますます気に食わないのか、少年は目付きの悪さを存分に活かして更に鋭く睨みつけた。
またもや始まった不毛な争いを目にして男性は思わずため息を付きそうになったが、そこはさすが人生経験豊富なナイスミドル。笑顔で配慮が足りなくて済まなかったと彼女に詫た。
「日本から来たのかな?」
「はい」
「そのケースは?」
「クラシックギターです」
そこで男性はそっと目を細めた。睨むような感じだとは愛海は感じなかったので、少し首を傾げた。
「では誕生日は言えるかな?」
この問に彼女はすんなりと答えた。誕生日だけでなく生年も答えてみせたのだが、それを聞いていた青年と男性は思わずお互いに顔を見合わせた。二人の顔色を見て何か間違ったことを言ってしまったのかと思った愛海は不安げな顔つきになった。男性は動揺の色をかき消して、彼女を安心させるように微笑んだ。
「何歳か言えるかい?」
「6さいです」
「今は何年か、わかるかな?」
この問にも彼女はしっかりと答えた。今度は確信したような表情を突き合わせる二人に彼女も彼も首を傾げる。愛海としては父親に教わったことをそっくりそのまま言ったのだが、どうして不思議がられるのか全くわからなかった。
「そうか……」
そこで大人二人はしばらく愛海には分からない言語でやり取りしていた。言語が理解できないのは少年も同じなのか訝しげに顔を歪めている。またもや子供二人の目が合うが、お互いが不思議そうな顔をしているのを感じ取って同じタイミングで首を傾げる。行動が揃うのが気に食わないのか、少年は彼女を睨みつけるが、もう何度もにらみ合いをしていれば慣れてしまうのか、彼女は一瞬キョトンとして反対側に首を傾げただけだった。
「お嬢さん」
この場で女性は愛海一人きり。男性の声に彼女はすぐに顔を上げてはい、と返事をした。男性は優しくほほえみながら、この後の愛海の人生を大きく変えてしまうことを言ってのけた。
「わしの隣りに座っておる男の子はXANXUSというんじゃが、彼には友だちがいなくてね。君が戻るまででいい、彼と一緒に遊んでくれんかの?」
愛海は男性と、彼の顔を見比べて、少し考え込むような表情を浮かべた。やがて考えが纏まったのか、少女は顔を上げて、男性の目をまっすぐに見て唇を開いた。
「わかりました」
ありがとう、男性は微笑んだ。
*
愛海は仲良くするように言われたものの、言葉もわからないためどうコミュニケーションを取ればいのかわからず、こちらにも近寄るなと言いたげな少年に戸惑っていた。それに出会い頭に何かされかけたのも忘れてはいない。事あるごとに睨まれるし、少し、怖かった。
それでも彼女が彼と遊ぶことにした理由はただ一つ。たった一人でこんなところに放り込まれたのは、何かやるべきことがあったからではないかと思ったからだ。彼女にはやるべきことは明確にはわからない。ただ、恐怖を理由に彼から逃げることがやるべきことではないと感じたのだ。
とは言え、XANXUSの方は無断で自分の部屋に立ち入ったのにお咎めなしな上に、睨んでも効果がなくなってきた愛海を完全に敵視しており、彼女の方も理解のできない何かをされたというトラウマじみた記憶から、二人が仲良くすることはかなり難しい状況だった。
そんな二人に挟まれて苦悩することになったのが、青年、オッタビオである。オッタビオは言語の壁もあってなかなか仲良くなれない彼女らにかなり手を焼いていた。かといって、通訳を買って出ようにも、男の上司、ナイスミドルな9代目に、余計にこじれるからやめておきなさいと言われていれば二人を見守るしかなかった。
「XANXUS様、たまにはお外に行きましょう」
考えた末にオッタビオは彼女たちを外に連れ出すことにした。理由は単純である。二人が同じ空間にいると、空気が重たくてやっていられないのである。二人は取っ組み合いさえしていないものの、視線が合えばにらみ合い、大人の彼の計り知れない境域での会話がなされていた。この空気に彼は耐えかねて、二人を外に連れ出したというわけだ。ちなみに彼女のギターケースは置いていってもらった。
広い屋敷の一番奥まった、ごく一部のものしか入ることが許されない中庭に二人を連れて行った。そこには古井戸があったが木の板で封じられていた。柔らかい芝や色とりどりの花がこの庭がお金と時間を惜しまずに手入れされていることを物語っていた。
ここで二人は互いに背を向けて別々に遊び始めた。とりあえずにらみ合いが終わったことに安堵するオッタビオ。彼はベンチに座って本を読み始めた。彼は内心で子供を見守る親のような状態だな、と思ったが、こんな仲の悪い兄妹は嫌だとこっそり体を震わせた。
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