夢か現か幻か | ナノ
Of the same stripe
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人は一晩で何度も夢を見るとされている。起きたあとも覚えている夢は、その晩の一番最後、覚醒する直前に見た夢なんだそう。誰だったかに教えてもらった。

あたしが覚えている夢はそう多くない。いつもいつも過去の繰り返しだ。最初は苦しくて眠れなかったりしたけれど、今は寝る前に歯を磨くことと同じくらい当たり前の現象だと思うようになった。今日も、その夢は当たり前、のはずだった。

空が真っ赤に燃えているような夕暮れ。長く伸びる自分の影。気の進まない帰り道。ケーキ屋のショーウィンドウに映る自分の情けない顔。いつもの夢はここまでだった。

ぐらぐらといつもの帰り道が揺れて、崩れると思ったところで目が覚めた。おはよう数時間ぶりの天井と、ベッドと天井の間の空間には瞳孔をかっと見開いた見目麗しいお兄さん。この人は覚えてる。土方さんだ。寝間着から覗く浮き出た鎖骨が雄々しい。外を見ると、床から離れて冷たい空に昇ることを嫌がる太陽。起きるには少し早いように思う。この人は、昨日も私の夢を遮っていた。偶然も三度重なれば必然とはいうけれど、あたしは二回目で必然を確信していた。自信過剰かもしれないけれど。

「おはようございます」
「ああ。飯食うぞ」
「うるさかったですか?」

昨日の夜、ラウンジから部屋に戻った後、あたしと土方さんはどちらがベッドを使うかでちょっとした言い争いになった。やれ女をソファに寝かせて悠々とベッドで寝れるかだとか、やれこちとら芋侍だ床でだって眠れるわとか。こっちの言い分としては、お金を払った側の人を恩人をベッドから追い出して安穏と眠れるわけがない、このソファかなり柔らかいから私も眠れますよ、とか。そんな具合で、話し合いは平行線どころかねじれの位置を突っ走る一方だった。

話し合いがダメなら、じゃんけんやあみだくじで恨みっこなしと一瞬合意した。合意したのだけど、蓋を開けてみれば、不都合な結果に難癖をつけあうだけという結果が待っていた。日付が変わっても、あたし達はベッド脇で口論を繰り広げていた。眠いし疲れたしで口論する元気も薄れてきたあたし達は、でっかいベッドを折半する形で就寝することになった。土方さんは嫁入り前の娘が野郎と同衾なんざとか言って渋っていたけれど、一緒に寝ないのなら一晩中最大音量でオーディオをかけてやると脅せば、半ば諦めたようにベッドに入ってくれた。とまあ、そんなわけでこの人は私の寝言やら何やらを聞いていた可能性のある人なんだけども。

「……いつも魘されてるのか」
「いつもって訳じゃないですよ」
「一晩中呻いてたぞ」

我がコトながら呆れた。一晩中同じような夢を見ているのか……。それは申し訳ない。一晩中ということはこの人はろくに眠れなかったということで。

「それは初耳でした。引き取った親族が朝私の顔を見て嫌な顔をする理由の一端がやっと分かりましたよ」

夜ごと夜ごとに魘される声を聞き続ける側の苦労もさぞ大きかったことでしょう。自分の子でさえないような娘のそれなんてなおのこと。穀潰しってだけじゃないよね、とは前々から思っていたのだけども。

「眠れなかったのですよね。ごめんなさい」
「耳栓したから問題ねェよ。……親父さん関係か」
「ええまあ」
「そうか」

喋るのを渋ると、土方さんも察してくれたのか、それ以上の追求をやめてくれた。ほっとしてしまう。どうしてか、この人が絡むと、いつも以上に自分の所業を知られたくないという意識が強くなってしまう。多分、この人に嫌われてしまえば、本当にあたしの居場所がなくなってしまうからだと思う。打算まみれの考え方に自家中毒を起こして吐き気がする。

「悪ィ。嫌な事思い出させちまったな」
「いえ、違うんです……ごめんなさい」

土方さんの優しさにつけ込む自分が憎たらしい。いつも他人の優しさを利用する自分に腹が立つ。あたしが気分を悪くしたのは、父親の夢のことではなくて、自分の汚さなのに、それを言い出せない。下降のスパイラルに閉じ込められた思考は更に胸の中をかき乱した。

申し訳なくてただただ謝罪を繰り返す。そんなことをしても土方さんは困るだけなのに。

俯いて歯を食いしばっていると、不器用な気質をそのまま表したような手に頭を撫でられた。犬とか猫にやるみたいな撫で方だ。寝癖で浮いた後ろ髪がこじれた。雑な撫で方のせいで顔を上げられないのだと内心で言い訳をして俯いていると、ぽすぽすと頭を軽めに叩かれる。

「気にすんな。ガキってのは周りの大人の善意を食いもんにしてデカくなる生き物だ」
「私、子供じゃないですって」
「うるせえ。せめて酒と煙草がやれるようになってから大人を名乗れ」

これ以上口論を続けるのもあたしが子供な証左な気がするので閉口する。これはこれでなんだか反論できなくて黙り込んだみたいだけど。なるほど、大人っていうのはこうやって相手がどっちを選ぼうと自分の都合がいいようにできる人種のことなんだな、学習した!チクショウ!きっと顔をあげると、土方さんの目が「そうだ、それでいい」と言ってくれた気がした。

「おら、分かったら飯だ。次にジジイ。三に役所。その後はジジイ次第だが買い物。今日は忙しいぞ、しっかり食っとけ」
「はあい」
「気の抜けた返事だな。切腹させっぞ」
「切腹!?」
「間違えた。アレだアレ、マヨネーズ山盛りにするぞ」
「励ましているのか嫌がらせなのか、悩ましいところですね」

そういえば、私の知る史実の新選組の隊士の死因って戦よりも内部粛清による腹切りの方が多かったとかきいたようなそうでないような。おっかないな、この人ら公営ヤクザかなにかで?代案は代案で遠回しに殺しにかかってるし。多分、この人的にはマヨ山盛りは励ましなんだろう。私にとっては嫌がらせ以上の何者でもないのが大変残念だ。

「マヨネーズは森羅万象にあう万能調味料だ」
「あ、そうですか。美味しいものには毒があるといいますし、私は程々に控えておきますね」

土方さんは不服そうだけど、これだけは譲れない。早死云々は正直どうでもいい。昨日ろくでもない倒れ方をしたし、いつの日かもう一度それを通るのも承知している。それよりも、曲がりなりにも女として、肌が荒れてしまうのが嫌だ。性格も悪いし飛び抜けて頭がいいのでもない上に生き方も綺麗ではないのなら、せめて見てくれくらいはと思ってしまう。誰かの評価というよりは自己満足の問題。

ため息を付きつつ煙草を探り当てようとゴソゴソしていた大きな手が止まった。流石に言わずとも思い出してくれたみたいだ。すぐ煙草に手を伸ばしてしまうほどストレス溜まってるのかな。喫煙者で酒も飲んで、トドメのマヨネーズ。生活習慣病三点セットだ。それだけでも結構ヤバそうなのに、この人どうもタイプAっぽそうだし高脂血症からの脳卒中とか心筋梗塞か、それか肝臓やって早死しそう。仕事内容をちらっと聞いた限りだと、三点セットがなくても寿命までは生きられなさそうだけども。

「出会ったばかりの方にこんなことを言うのもアレですが、できるだけ長生きしてくださいね。いざ恩を返そうと思ったら当の本人が居ないではお話になりませんから」
「そりゃ難しい話だな。如何せん切った張ったが日常の、明日も分からねえ野郎だ。お前の恩返しの時まで生きてるかは保証できねェ」
「それが困るんですって」
「じゃあさっさと自分の身辺をなんとかするこったな。時間かければかけるほどリスクは上がるぞ」
「上手くいけばいいのですが」
「お前次第だな」

そんなやり取りをしながらメニュー表を眺める。やっぱりよく分からない食材だ。

*

なまじ味を知っているせいで食欲が失せてしまいそうなマヨネーズ風景を通り過ぎて一時間くらい。あたしは土方さんの後ろについて朝の活気溢れる外を歩いていた。平日だからか人の行き交いは忙しない。改めて見ると不思議な感じだ。看板とか店の中身を除けば映画村とかにありそうな町並みの向こうには、近未来的なビルや一際高い塔がある。物珍しさにきょろきょろと周りを見回していると、土方さんは呆れたような声で私を呼んだ。

「桜ノ宮」
「ごめんなさい、つい……」
「そんなに珍しいか」
「そりゃあもう。ところであのでっかいバベルの塔なんですか?」
「ありゃあターミナルだ。地脈だかのエネルギーをあの塔に集めて、宇宙船を転送し発着させる」
「へー」

エネルギー、転送……何かが引っかかる。毛玉のようにもつれる思考。なかなか解けない。あたしは一旦思考の縺れを投げ捨てた。土方さんはと言えば、彼はなんともいい難い表情でターミナルを見つめている。ありがたいような疎ましいような。それが、江戸の人の本音なのかもしれない。うっすらとしか事情を知らないけれど、直感的にそう思った。

「あの塔があるおかげで江戸は見ての通りだ」
「にぎやかですね」
「良くも悪くもな。お陰で俺らも食いっぱぐれずに済んでるよ」

攘夷浪士と呼ばれる人達のことを思い出す。天人を忌み嫌う彼らにとっては、あの塔は打ち倒すべきものに見えるのかもしれない。あたしにはただの塔にしか見えないのだけど、それはきっとあたしがこの世界のことをまだまだ知らないからだろう。

「おいジーさん、ちょっといいか?」
「今日の診察は午後からだ。急じゃないなら帰んなァ」
「そう堅い事いいなさんなよ、岩尾先生」

診療所は町の片隅にあった。岩尾診療所と書かれた看板が斜めになっている。まだ診察が始まっていない時間だけども、土方さんは診療所の引き戸を開け放ち、我が家のように診察室に乗り込んでいった。いいのかなと思いながら後ろをついていく。

「急患かと思えば、元気そうじゃねえか」
「そっちは老いぼれのくせに相変わらずだな」
「お前ら若いもんにはまだまだ負けんわい」

診察室の奥、医者が座る側のちょっといい椅子には老医師が腰掛けていた。顔の皺やメタルの老眼鏡、ひび割れた肌。土方さんの言う通り老人のような風体だ。しかし、背筋はピンと伸びているし、白衣から覗く腕は筋肉に覆われていたし、笑ったときに見えた歯はすべて自前のものみたいだ。……なるほど、元気そうなおじいさんだ。

「それにしてもトシも遊んでたんだなあ。こんな可愛い子がいたなんて」
「あ?」
「とぼけるでない。その女の子、お前さんの隠し――ゴフォッ」
「とうとうボケたかクソジジイ!!俺のガキなわきゃねーだろこんなクソガキ!!」
「お父さん、こんなこと言ってあたしを認知してくれないの……。頼れる人はお父さんしかいないのに」
「誰がお父さんだ!!てめえの親父なんざ死んでも願い下げだわ!!」
「トシ、血を分けた娘にそんな事言うもんじゃねぇ。ちゃんと認めてやれ」
「ちげーっつってんだろ!!」

コイツ17!俺25!俺のガキじゃねェ!という土方さんの渾身のシャウトが聞き入れられ、寸劇は打ち切りと相成った。冗談の通じない人だ。

――てめえの親父なんざ死んでも願い下げだわ!!

不意に過った言葉が深々と突き刺さる。しかし、それは土方さんの声じゃなくて、父親の声で。逆さ仏でこそなかったものの、親泣かせなことを山程やってきた身には厳しい言葉だ。……うん。冗談が通じないのはあたしの方だな。

「じーさん、あんたの知恵を借りたい」
「トシがそう言うってこたァよっぽどなんだろうな?」
「ああ。お上がかんでない知り合いの中じゃあんたしか頼れねェ」
「おいおい、なんか危ない話じゃねーだろうな」

土方さんの言うお上とはなんだろう。警察の上となれば、国だろうか。あたしの件に国が噛んでいる。そんな大それたことあるだろうか。でも、異世界から自分を引き寄せるなんて、それこそ国かそれに準ずる組織にしかできない、のかもしれない。ふと、ターミナルを思い出す。アレは宇宙船を転送する塔だと言っていた。宇宙船を転送できるのなら、もしかしたら、もあるのかな。でも根本的におかしいと感じる点がある……。

考え込むあたしを余所に、土方さんは私の鞄を漁っていくつかの物品を取り出して並べた。

「こいつの私物なんだが、見覚えあるか?」
「舐めるなよ。目は弱ったが耄碌ってほどじゃあねェ。免許証に保険証、札に、こいつァ教本だな」

岩尾先生は老眼鏡を傾けながら、それらの物品を矯めつ眇めつ検めて、目を見開いた。

「免許証も保険証も住所がデタラメだ。東京ってどこだ。札だってデザインが違ェ。教本は、トシにゃまず理解できねえ代物だ」
「うるせえ。読み書きそろばんが出来りゃ十分だろ」
「お前らの中にゃそれすら怪しいのがわんさといるだろうが」
「……そうだな」

土方さんは遠くを見るような目で応じた。彼の苦労が偲ばれる。真選組という組織は、脳筋集団というイメージで固定された。いや、朝方ぽろっと出てきた切腹のワードから察するに、この人も大概だな。

「話を戻すとして、物証を見る限り、異世界から来ましたっつー結論しか浮かばねェ」

土方さんは腕を組んで、同感だ、と相づちを打っている。

「が、にわかには信じがたい。これが全部俺達を担ぐためのデタラメってこたァねーか」
「担ぐったって何のためにだ」
「お前に取り入って浪士に情報を売り渡す腹づもりかもしれんぞ」
「否定はできねェな」

疑われるのは仕方がないにせよ、目の前でそんな話をされるのは居心地が悪い。身動ぎすると、大きな手がわしゃりと頭を撫でた。彼はまたも鞄に手を突っ込むと、ビニール袋に入れられた制服やらが出てきた。

「あと、コイツの着衣だが、どう思う」
「即死じゃねェな。失血死だ」
「着衣の傷と同じ位置に傷跡があるんだが」
「どれ、見せてみろ」

袷を開いて、傷跡を見せる。でけえななんていう医者にあるまじきセクハラ発言が飛び出たけれど、土方さんが岩尾先生の頭をスパーンと叩いて、代わりに怒ってくれた。

「本物の刀傷だな。一突きか。痛かったろう。……背中も同じ傷があるな。背中からか?」

頷くと、背中越しに唸る声を聞いた。ぽそりと何かを言われた気がしたけれど、聞き返すよりも早く、話が変わっていた。

「トシ、血液型調べたか」
「それも頼む。できれば内密に」
「人使いが荒い野郎だ」
「立っている者は親でも使えってな」
「儂ァてめえみたいなバラガキ育てた覚えはねェ」

お医者さんは制服を手にとって、あたしたちに背を向けると、そのまま診察室を後にした。「美智子ちゃん、今日の診察ちょっと遅くなるわー!あと血液鑑定やっから手伝ってくれー!」そんな声が受付に向かって飛んでいった。一転して白い部屋は静まり返った。話のネタが思いつかなくて、とっさにさっき聞いた知らない単語を呟いていた。

「バラガキ?」
「触ったら手が切れる茨みてェな、手が付けられねー悪ガキの事だよ…」

不意に、親戚の家にいた頃を思い出した。あの頃のあたしは、一体何を考えてあんなに暴れていたんだろう。行動は忌むべきものだったにせよ、今の自分の中にあの熱がないことを心もとなく思うことがある。それは将来のことを考えたときであったり、今このときであったり。

「土方さんもそんな風に呼ばれていた時期があったんですか?」
「まァな」

懐かしむようでいて、悔恨の滲む表情。あたしがあの時、自分の身しか守れなかったことを根に持っているように、後ろに腰掛けているこの人にも悔やむような過去があるのだろうか。……いや、これ以上は突っ込んじゃいけない話だな。診察室の重い空気を打ち破るように扉が開け放たれた。採血に使う道具一式が乗っかったトレーを手にしている。

「よし、嬢ちゃん、あんたの血液取るぞー」

駆血帯を巻きつけられ、ちょっと血管を探られた後、腕に採血用の太めの針が刺さる。手慣れているのか、あっという間に採血されて、いつの間にやら後ろに立っていた看護師さんに容器が手渡される。

「ちょっと時間かかっから、役所行って戸籍でも作ってな」
「いいのか。疑ってたろ」
「どうせ行き場のない娘なんだろ。それに、こんな若い子を男所帯に置いとくわけにもいかん」
「住所ココにするぞいいのか」
「ああ、好きにせい」
「礼を言うぜ、岩尾先生」

話が見えない。疑われていると思ったら、なぜか受け入れられている。状況の変化に戸惑っていると、おい、と短く声をかけられた。土方さんは既に診察室から出ようとしていた。

「役所行くぞ」

戸惑いながら席を立って診察室を後にする。部屋を出る寸前に振り返ると、お医者さんは誰かと似た目をしていた。とっさに会釈して、何も気付かなかったふりをした。

ぎしぎしと鳴く廊下を歩きながら、あの目を思い出す。あれは、バラガキの話をした土方さんと同じ目だ。『彼女』と、同じ目だ。

取り返しのつかない何かを失った人の、悲しい目だ。
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