週休と言っても、午前中にやる事は仕事の日とさして変わらない。稽古をして朝ごはんを食べて、勉強をして、急な患者さんに対応して、それから暇だったらゲーセンに遊びに行く。今の御時世ピンボールなんてアナクロなゲームは置いてないとこが多いせいで、いつも決まったところにいる。おかげで何かあった時には連絡が付きやすい。まあ、この前の将軍の夜遊びの時みたいに携帯の充電が切れてる、なんて事もあるんだけど。
しかし今日は気まぐれを起こして、ゲーセンの前に、ファミレスに寄ることにした。たまにはファミレスでご飯を食べるのも悪くないと思ったのだ。旅籠『大蔵屋』への討ち入りはまだ先だし、余裕もあると考えられたし。入店して早々に、万事屋の旦那と出くわすとは思わなかったけれど。
「よう、奇遇だねェ。今日はお休み?」
「どっちかから呼び出しがなければ」
「二足のわらじも大変だ。でも給料いいだろ」
「今日は奢りませんよ」
だが、入店して、万事屋の旦那と一緒に席に案内されるのを待つ間に、ファミレスの店内で見慣れた爆炎が上がる。着弾点には真選組の隊士二名。原田隊長と、アフロになってるけど山崎さんかなアレ。大した怪我はしてなさそうなので、大丈夫だろう。
発射地点には沖田さんと、彼によく似た女性。骨格を無視すれば沖田さんと瓜二つのその顔を見て、自分の首から喉が詰まったような音が出た。以前に沖田さんの記憶で見た事がある。記憶の中の彼女は後ろで髪をまとめていたが、いまはバッサリとショートにしているらしい。自分の面識はないが知っている。沖田ミツバ殿だ。
沖田さんはしばらく話している間に彼女に何かを言われたのか、焦っているような顔になって、それからあたしと隣の旦那にバッチリ目が合った。……帰ろう。旦那と一緒に背中を向けたが、遅かった。がしりと腕を掴まれる。
「奇遇ですね。旦那に先生」
手がガッツリ食い込んでいる。掴まれた場所からみしりと嫌な音を立てている。背中に嫌な汗が伝った。断ったら死にそうな気配さえある。旦那と二人顔を見合わせて、要求を飲むことにした。こんな事では死にたくない。
「こちら大親友の坂田銀時くんと、僕の彼女の桜ノ宮すみれさんで」
「なんでだよ」
席に座るなりそう紹介され、ファミレスに食器が叩き割られる嫌な音が響いた。沖田さんの頭がテーブルに叩きつけられたのだ。
お姉さんの前でそんな事ができる度胸はない。やったのは万事屋の旦那だ。まあ、今回ばかりは心底彼に同意できるけれど。なんであたしにした?もっと他にいたろ?
疑問を抱えながら、沖田ミツバ殿の顔を見る。心底沖田さんの事を心配している顔に血の気はない。しかし、唇は不思議と赤い。循環器や呼吸器に異常をきたした人の唇は得てして赤くなる。確か、彼女は肺を病んでいた。そして、うっすらと、病棟で嫌という程見たものが彼女のきれいな顔に浮かんでいる。気のせいだと思いたい。
弟の事を思い出す。いい人はいないのか。大方沖田さんも似たような事を言われて、心当たりが自分しかいなかったのだろう。彼の周りの女性はどれもこれも個性的だ。その中でたまたま自分が近くにいただけだろう。それにしたって、自分なんて紹介すべきではないと思うが、姉を心配させまいとする沖田さんの気持ちは分からなくもない。……仕方ない。今日一日付き合うとしよう。
万事屋の旦那にワイロをくれてやっている沖田さんの頭の血を拭ってやる。そんなに出血は酷くない。これなら縫う必要はないだろう。
「友達っていうか、俺としては、もう、弟みたいな?まァそういうカンジかな。なァ、総一郎君」
「総悟です」
旦那の適当な言葉に思わず頬がひきつる。いや、それだったら不用意に口を開かない方がマシでは。ヤバい。お姉さんの目を旦那から逸らすために自分が打って出る。嘘を吐く時の癖、ピアスをいじらないように、自分の手をがっしり握る。
「ご紹介に預かりました。桜ノ宮すみれと申します。弟さんとは親しい交際をさせていただいております」
「まあ、素敵な女の子ね。すみれちゃんはそーちゃんより年下かしら」
「お恥ずかしながら、今は20です」
「まあ!年上の女の人ならそーちゃんも安心ね」
「あはは……。ご期待に添えるように頑張りたいと思います」
親しい交際と言っただけで、恋人とは言ってないので嘘じゃない。欺瞞であるのには変わりないけれど。
「彼はこういう細かいところに気が回るところも気に入っててねェ。ねっ夜神総一郎君」
「総悟です」
「まァ、またこの子はこんな年上の方と……」
「大丈夫です。頭はずっと中2の夏の人なんで」
「中2?よりによってお前、世界で一番バカな生き物中2?そりゃねーだろ鹿賀丈史君」
「どんどん離れていってますよ旦那。彼は総悟君です」
こっちは冷や汗ダラッダラである。いやだって、こんなのどう見たってバレるって。あたしの方はさておいて、旦那の方は嘘っぱちだって分かるって。沖田さんも危機感を抱いたのか、旦那に釘刺してるし。
あれ、お姉さん、なんでパフェにタバスコ丸々一本かけてるんだろう。っていうか、あれ、誰が食べるの?旦那だよね?あたしは嫌だよ。辛いのは好きだけど、それもTPOあってのものだもの。
「本来辛いものじゃないからねコレ」と旦那は言うが、あたしもそれには全面的に同意する。まあ食べるのは旦那なんだけど。だからちゃんと友達のフリしとけって。
「すみません、少しお手洗いに」
三十六計逃げるに如かず。恐ろしい戦場から脱兎のごとく逃げ出した。
*
お手洗いから復帰すると、それまで自分がいたテーブルが真っ二つに割れていた。沖田さんが伝票片手にレジの前に立っている。旦那は喉を押さえて悶絶している。どうやら食べきったらしい。よくやるなあ。
「旦那ァ、生きてますか?」
「てんめェ……よく逃げてくれたなァ?」
「旦那がもうちょっとマトモに(友達のフリ)してたら回避可能だったでしょアレ」
()の中を早口で言うと、旦那の顔が歪んだ。証拠ならあるぞ。無難な事しか喋ってないあたしはタバスコパフェ食わされてない。そもそも何も頼んでないけれど。
「真選組隊士が逃げ足速いってどうなの。士道不覚悟で切腹にならないの」
「逃げたら死ぬ時は戦いますとも。逃げるのはそれが可能でなおかつ逃げて丸く収まる時だけです」
「これのどこが丸いんだよ!銀さんの身体犠牲にして得た安全は心地いいか!?」
「ええ、とても」
「このクソアマァ!!」
飛びかかってきた旦那が、沖田さんに組み伏せられた。
「旦那、人の彼女に盛るのは止めてください」
「総悟君ありがとう」
「何かわい子ぶってんだこの外道!」
「きゃーこわーい」
「安心してくださいすみれさん。僕が指一本も触れさせやしませんよ」
「ありがとうございます」
「仲がいいのね」
くだらない寸劇はレジカウンターの前で立っている店員のお姉さんの咳払いによって打ち切りとなった。
「じゃあ、割り勘にしましょう」
「すみれさん、ここは僕に花を持たせてください」
「そうだよ先生。男には払うもん払わなきゃいけない時があんの」
「でも総悟君いつもあたしにおご――」
いつもあたしに奢らせている。口を滑らせかけて、脛にローキックを食らって悶絶した。普通!ニセとはいえ彼女の脛に!蹴り入れるか!?この野郎、協力してあげれば、まったく……!
「いいからいいから」
「い、一旦、外で待ちましょうか……」
支払いをするという沖田さんを残してファミレスを出た。蹴られた部位から手が離せないほど脛が痛い。
「ねえ、すみれさん」
「は、はい!なんでございましょうか」
「その、あの子とはどこで出会ったの?」
公園の木立が頭をよぎった。自分が怯えていた頃、自分の足元が真っ暗な気がして、うずくまっていたあの時の事を思い出した。そうか。あれから3年も経ったのか。
「すみれさん?」
「あ、ああ、総悟君との出会いですよね。公園で、傷心して蹲っていた時に、声をかけていただいたんです。どうしたんだって」
実際はもっと違う言葉だけど、流石にお姉さんの前でそんな事を言う鬼にはなれない。
「そうなの……」
「弟さんには随分救われました。仕事の面でも心理的な面でも。今も支えられる事が多々あって、歳上なのにお恥ずかしい限りですが、彼にはとても感謝しています。……素敵な弟さんですね」
お姉さんは軽く目を見開いた後、「ありがとう」と花のように微笑んだ。ちょうどいいタイミングで会計を終えた沖田さんが戻ってきた。
「さて、どこに行きますか姉上」
「どこに行こうかしら。そうね、そーちゃんとすみれちゃんがよく行くところに行きたいわ」
「すみません、お恥ずかしながら、あんまり出歩かないもので……。総悟君、それに旦那、どこかいい場所にお心当たりありますか?」
「こういう時の定番つったら、やっぱ遊園地だろ」
なるほど。あたしは手を打った。さすが中2の夏の頭を持つ男。こんな時には真っ当な助言をしてくれる。
*
お化け屋敷で旦那がひたすらビビり倒していたり、四人そろってミラーハウスで迷子になったり、ジェットコースターで変顔晒したり。流石にジェットコースターは旦那とお姉さんにはお留守番いただいたけれど、それ以外は四人で楽しんだ。楽しんだのはいいけれど、楽しみすぎて地金が露出してなかったか、その一点だけは心配だ。なにせ軽く一回りは行ってなかったものでして。
この目ではじめて見た時には凍りつくような心地だったけれど、いざ遊んでみればとても楽しかった。しかし、楽しかった時間はあっという間に過ぎてしまうもので、お姉さんを嫁ぎ先らしい屋敷に送り届けなければならない時間になってしまった。どこかしんみりした空気が流れている。
長く続けばいいのに、そう感じる時間程、短い。大きな門の前で彼女は足を止め、振り返った。
「今日は楽しかったです。そーちゃん、色々ありがとう。また近いうちに会いましょう」
「今日くらいウチの屯所に泊まればいいのに。すみれさんも屯所にいるから、もっとお話できますよ」
「ごめんなさい。色々と向こうの家でやらなければならない事があって」
さり気なくあたしを出汁に使ってお姉さんを屯所に呼ぼうとしたみたいだけれど、あえなく撃沈していた。沖田さんは残念そうに、そうですかとつぶやいた。
「坂田さんも、今日は色々付き合ってくれてありがとうございました」
あきらか適当にカネ目当てで付き合っていたに違いない人間にも彼女は礼儀よく頭を下げている。屋敷の規模に気を取られている旦那は適当な返事を返した。
「すみれちゃんも今日はお休みだったでしょうに、付き合ってくれてありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ、姉弟水入らずのところに押しかけてしまって申し訳ございません」
ぺこぺこと互いに頭を下げ合う奇妙な光景が展開される。それを打ち切るような沖田さんの別れの言葉と、何かに気付いたような、いや言い出しにくい事を切り出すような彼女の声が、場の空気を少し変えた。
「あの……あの人は」
機嫌の良かった沖田さんの顔が一変した。自分の心も凍りつくような錯覚を得る。おそらく、彼女の言う人は、自分が想像する人で間違いないだろう。沖田さんの言う通り、何も言わずに仕事に向かったのも、確かだ。それにしても沖田さん、言うだけ言って帰ってしまうのはよろしくないと思うんですけど。
「彼女を置いていくとは、一体全体どっちが薄情なんだか」
「ホントだよ。勝手に巻き込んどいて勝手に帰っちまいやがった」
「いや旦那は集ってたでしょうが」
「ごめんなさい我が儘な子で」
「いえいえ、この天パに謝る必要は微塵もありませんからね。今日なんて友達のくせに一銭も払わなかったんだから」
「やかましいわ税金泥棒がァ!俺達の税金を還元させてるだけだろうが!」
「税金払う必要ない収入の万年金欠の貧乏人にだけは言われたくないわ!」
どっかの誰かとのやり取りを彷彿とさせる言い争いをしていると、クスクスと笑う声が混じった。見ると、お姉さんが笑っている。穏やかな響きに毒気を抜かれて、互いに袂から手を離してしまった。
彼女はぽつりぽつりと、沖田さんの生い立ちについて話していた。概ね沖田さんの記憶と一致する。幼い頃に両親をなくして、それからお姉さんの手一つで育ってきた彼。小さな頃からあの性質は変わらなかったようで、友達がいなかった幼少期。そこに近藤さんが現れて、彼らは友人となった。
近藤さんと出会っていなければ、彼は一体どうなっていたか。……なんだかんだ、あの人は軌道修正してくれる人間に恵まれた人だから、きっと誰かしらがそばにいてくれるのではないか。個人的にはそう思うけど、近藤さんと出会わなければ、もしかしたらヤベー奴コースだったかもしれない。いや、今でも十分ヤベー奴だな。社会の役に立つかどうかぐらいしか差がない。
「ホントは……あなた達も、友達や恋人なんかじゃないんでしょ。無理やりつきあわされてこんな事……」
「アイツがちゃんとしてるかって?してるわけないでしょ。んなもん」
「ちょっと旦那!!」
「事実なんだからしゃーねーだろ」
「だからって」
「仕事サボるわ、Sに目覚めるわ、不祥事起こすわ、Sに目覚めるわ……ロクなモンじゃねーよ、あのクソガキ。一体どういう教育したんですか」
流石に弟がいた姉として聞き捨てならない言葉が飛び出てきていたので旦那を制止しようとしたら、思っきり肘鉄を食らって呻く羽目になった。普通人のみぞおちに肘鉄食らわすか?
「友達くらい選ばなきゃいけねーよ。俺みたいのと付き合ってたらロクな事ならねーぜ、おたくの子」
「まあ確かに、旦那はすぐ集るし、万年金欠だし、酔っ払うと面倒くさいしで友人としては駄目ですね。個人的には恋人ももう少し考えてほしいものですが……もう少し真っ当な子を選ぶ事もできる方のはずですから」
なんだかんだ旦那も、沖田さんの気持ちを汲んで一緒に付き合っていたようだ。完全にカネ目当てみたいに思ってごめん旦那。
クスクスと、きれいな笑い声が夜の空気を震わせた。
「………おかしな人。でも、どうりであの子がなつくはずだわ。なんとなく、あの人に似てるもの」
あの人が誰なのか。考えるまでもなかった。彼女の視線は、沖田さんのトラウマめいた記憶の中にあったものと似ている。彼女はきっと未だに彼の事を――。
言葉の続きを考えて、胸が痛んだ。この胸の痛みを、自分は知っている。けれど、認めたくない。いつの間にか恩人以上に思っていたことなんて、認めるわけにはいかない。あたしは、彼の事を――。
その人物の顔を思い浮かべかけた時、眩しいヘッドライトの光が後ろからさしてきた。
ヘッドライトが顔に向けられていてやけに眩しい。一体誰だろうこんな所で、そう思って振り返り、そして悪い予感に身を竦ませた。
「てめーら、そこで何やってる?」
大江戸警察のパトカー。そこから出てきた人の顔は、まさに今しがた脳裏に描こうとした人間だ。土方十四郎。沖田さんのもっとも嫌う人で、それでいて――。
「この屋敷の……」
おそらくは「この屋敷の者か?」と尋ねるつもりだった言葉は不自然に途切れた。彼女と彼の視線がかち合って、切れ長の鋭い目が見開かれる。空気が固まった。ああ、やっぱり。胸の中に結論がすとんと落ちた。鉛のように重たく沈むそれは、身体を急速に冷やしていく。
「と……十四郎さ……」
苦しそうな咳。反射的に彼女を見ると、ただでさえ悪かった顔色が更に悪い。マズい。地面に倒れる身体をとっさに受け止めたはいいが、彼女の意識はない。ヘッドライトが照らす唇が紫になっている。常備している聴診器で心音を探る。……危険な状態だ。
「オイッ!しっかりしろ!!オイ!」
「副長、この屋敷の者に連絡を。旦那、一緒に彼女を運ぶのを手伝ってください。山崎さん、貴方は沖田さんを呼び戻してもらえますか」
「え、あ、」
「今すぐやる!!」
「は、はい!」
男共は一瞬で散った。土方さんが先に屋敷の人間に連絡するために屋敷の人間に説明をしている間、着物の帯をくつろげる。
「大丈夫ですからね」と気休めでしかないけれど声をかけた。こればっかりは主治医じゃないとなんともできない。しかし、主治医が来るまではなんとしても彼女を持たせなければ。
程なくして内側から門が開いた。話を通すのは警官である土方さんがベストだと思ったけれど、それは正解だったらしい。血相を変えた使用人も飛び出してきた。
万事屋の旦那、そして土方さんと屋敷の使用人と協力して彼女を部屋へと運んでいく。幸い医者が控えていたようで、すぐさま主治医に引き渡す事ができた。あとは彼の腕次第といったところだろうか。
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