夢か現か幻か | ナノ
Lost cause
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仕事仕事の毎日から解放される週休の朝。初夏の朝は清々しい。あたしは久しぶりに岩尾先生のところで朝を迎えた。食事をとって、軽く稽古をして、少し先生と話をして、論文を読み漁ってと休日にも関わらずそれなりに忙しくしていると、あっという間に午後。さてゲーセンでピンボールでもやろうかと裏口に降りたところで、美智子さんが顔を出した。

「あら、ちょうどよかったわ。たった今、若先生を呼ぼうと思っていたところなの」
「どうかなさいましたか?」
「患者さんが、先生にお願いしたい事があるんですって」
「事件ですか?」
「詳細は聞いていないけれど、どうしてもって聞いてくれなくて」
「分かりました。このままの格好で大丈夫ですかね」
「いつも思うのだけれど、折角若いんだから、もう少しお洒落したほうがいいんじゃないかしら」

言われて、自分の服装を見る。ついいつものノリで黒いスラックスに白いシャツ、そして黒いジャケットを持ち出してしまっていた。随分前に沖田さんにこの格好を見せたら信じられないものを見るような目で見られた事を思い出す。

「あー、それはまた、追々という事で」と苦笑してその場を誤魔化した。

診療所の受付に繋がる方の扉をくぐりながら密かにため息をつく。これは予定変更、だな。

「あのな、うちの店に代わりに出て欲しいねん!お休みお願いした時には、店長顔に出さんかったんやけど、他の子に話聞いたら、みんな風邪で出られへんって」

そりゃ警官だし、患者さんから頼み事をされることも少しはある。けれど、大抵そういうのは何かしら事件性のあるものなのであって、こういう便利屋みたいな事を頼まれたのは初めてだなあ。

「この診療所の女の子、美人さんやって話やったから、もしかしたらって思って」
「はあ」
「噂通りの美人さんや!今日一日だけでええから、出てくれへん?一生のお願いや!」

「その『一生のお願い』、今までに何回使った?」と口に出したい衝動をグッと飲み込む。市民の困り事に対処するのが警察だって脳内の近藤さんは言うけれど、脳内の土方さんは警察はなんでも屋じゃねーんだぞと吐き捨てるように言った。正直な話、脳内土方さんに全力で頷きたい。

でも、流石に、腫れた喉を酷使してまで頼まれてる以上、断りにくいなあ。一応今は私人だし、今のところ特に予定もなかったと思うし、困っている人を捨て置くのは。ため息が漏れる。

「わかりました。今日一日、出勤すればいいんですね」
「ええの?」
「うちの局長なら、困っている市民を助けてやるべきだって言うはずですから」
「ほんま!?ありがとう!」

……この笑顔が見れたのだから、まあ、よしとするか。

そういや、お店の名前、聞いてないな。この子純情そうな感じがするし、多分団子屋かしら。

*

そう思ったのも10分程前。渡された紙に従ってたどり着いたのは見覚えがありすぎる看板。ネオンがきらびやかな扇形の看板には、「スナック すまいる」の文字。え、花子さん、すまいるの従業員だったのか。なにかの間違いかと思って首をふるけれど、ここであってる。表に急募可愛い女の子ってあるし。

正直帰りたい。死ぬ程帰りたい。けれど、引き受けた以上は、最後までやり遂げるべきだ。自分の気持ちと使命の板挟みにあって動けずにいると、がちゃりと入口のドアが開いた。

「そこのロリっぽい君!……君だよ、黒いジャケットの!そう、君!歳いくつ!?」
「20です」
「合法ロリ!君今日暇?バイトしない?お賃金たくさん出すよ!」

こっちが引くくらい情熱に溢れている。情熱というか、文字通り必死。今日マジでいないんだな、人。さりとて休業にできない程の事情があるとみえる。どうにも嫌な予感がする。けれど、必死な人達を見てしまったからには、逃げるわけにも。

「こちらのお店で人手が足りず、非常に困っていると従業員の花子さんに頼まれて参りました。桜ノ宮すみれと申します」
「中身もマトモな娘だ!花子ちゃん!!ナイス!超ナイス!……ってあれ?何度か見覚えが、もしかして真選組の」
「何騒いでんの店長」

人前である事も忘れて「げ」と本心が漏れた。そこにいたのは白髪の天パ。真選組のゆく先々に現れ、様々なトラブルを引き起こす要注意人物。紅桜の一件でもなんか噛んでたらしいんだけど、山崎さんの適当な報告書のせいで容疑が有耶無耶になった人物だ。

万事屋のオーナー、坂田銀時。なんでいるのか知らないけれど、気が進まない仕事が更に嫌になった。

「うわ」
「開口一番それは酷くね?」
「自分の行いを顧みてから物を言ってください。天パの頭は飾りですか」
「天パは関係ねーだろうが!!」
「うん、訂正。性格結構キツイねこの娘。でもカワイイからいいか。採用!」
「はあ、今日一日、よろしくおねがいします」
「よろしく!ささ、服を着替えて」

背中を押され、店内に入ると、いるわいるわ色物が。まっさきに目につくのが乳首を隠すようにタオルを巻いた……男。そして同じようにタオルを巻く年増の猫耳女。こちらはお登勢さんの店の従業員だ。それからボンテージ姿の紫髪の女。この顔、大江戸病院で見たな。すぐ居なくなったけど。最後に、えらく厚化粧な上に崩れてエラいことになってる神楽ちゃん。あれじゃ素材が台無しなんじゃなかろうか。

「すごい、イロモノ博物館だ」
「すごく的確に状況を評価してくれたね」
「いやでも、お妙さんと、眼帯の彼女はごく普通、うん?……まさか柳生さん?」
「君は、真選組の……どうしてここに」

今は可愛らしい格好をしているこの方に、土方さんの刀が折られた事はハッキリ覚えている。でも、済んだ事の話をすべきではない。

「患者さんに頼まれまして。そちらはいかなるご事情で?」
「妙ちゃんが困ってるみたいだったから。彼らや君達にも色々迷惑をかけたことだし」
「そうですか。では、今日一日限りとはいえ、私達は同僚なのですね。短い時間ですが互いに頑張りましょう。よろしくおねがいします」
「ああ、よろしく」

右手を差し出して、握手を求めると、戸惑いがちに握られた。やっぱりマメがぎっしりとついて少し硬い手のひらだけど、ちゃんと女の子だ。ついしっかり握って互いのボディチェックをしてしまったのは、まあ武人の癖という事で。

「君も剣は長いのか」
「長さの割には大して強くないですよ」
「いや、ここで前に会った時に感じたが、君の剣には圧がある。機会があれば、一度手合わせを願いたい」
「柳生家始まって以来の天才と名高い貴方と手合わせができるとは、光栄の極みです。折あらばぜひお願いします」

社交辞令かもしれないけれど、強い人間と戦える事に頬の緩みが押さえられない。彼女もこころなしか不敵な笑みを浮かべているような気配がする。戦の前の高揚にも似た空気は、店長の咳払いで霧散した。

「時間がないから着替えと化粧を……」
「分かりました。お妙さん、開店前で忙しいところ申し訳ないのですが、衣装を選んでいただいてもよろしいでしょうか。私、服選びのセンスには自信がなくて」
「わかったわ。一緒に行きましょう」

「薄ら寒いものを感じるんだけど」と体を抱きしめて二の腕を擦る万事屋の旦那を見なかった事にして、更衣室に急いだ。

「うーんやっぱりすみれ先生のイメージだと洋服かしら。あら、これいいんじゃない?」
「……これ、ですか」
「職業的にもぴったりだわ」
「いやでもこれは」

突っ返そうとしたタイミングで「まだー?」と催促する店長の声。対案がない人間に選択の余地はない。えーいままよ!それまで着ていた服を脱ぎ捨てて、渡された服に袖を通した。

*

簡単に化粧を施され、男性陣や他の方にも披露する。これ、大丈夫かなあ。あたしが20って事忘れてない?不安に包まれながら、男性陣や他の女性陣の感想を待つ。ほんの一瞬の出来事のはずなんだけど、異様に長く感じる。

「おおおおおお!」
「やっぱり似合うわ!」
「いや、でもこれ」
「いーねー、なんか違う店みたいになっちゃってるけど、いいね、ミニスカポリス」

そう。あたしに提示された服はやたら深い開襟のミリタリーテイストのシャツと腰の太いベルト、ミニのタイトスカートに膝上まで長さのあるブーツだった。ご丁寧に飾緒と空軍風の略帽までついてきている。早い話がミニスカポリスである。え、これ本職がして良い格好か?つーか警官と軍人ごっちゃじゃないかこの格好。ベルトが付いているのは刀を佩く事ができるからいいんだけども。意外とモノがいいのか生地も小物もしっかりしてるし。

「すみれ先生、『逮捕しちゃうぞ』ってやってみてよ」
「御用改めである!神妙にお縄につきやがれ!」

つい抜刀して言ってしまった。空気が凍りついている。店長に至っては青ざめてるように見えるし。やば、つい真選組流の『逮捕しちゃうぞ』になっちゃったし、これでは土方さんのマネだ。咳払いして誤魔化すも、時既に遅し。生ぬるい視線がとてもつらい。

「本職のそれ、本気でお客さん怖がっちゃうから、やらないでね……」

青ざめて強張った表情の店長の言葉に、その場の全員が頷いていた。今の自分はキャバ嬢。ミニスカポリス流の『逮捕しちゃうぞ』に切り替えなくては。

「店長ォ!!お客様、来ました!」
「え!?もうどうしよ!」

うろたえる店長。当たり前だ。本職のキャバ嬢はたった一人。他は全員即席のなんちゃってだ。正直本職の彼女も普段の行い的には非常にヤバい。事態を制御できる人間は誰も居ないのだ。これが何を意味するのか。張り切るお妙さんの背中を見て、こめかみに指を当てた。

頭痛を感じ始めたその矢先、ローションで滑って後ろでまごついていた二名が殉職した。工事現場で起きた事故の中には、高さ50センチメートルという僅かな高さから転落して死亡したケースも有る。助けに行ってやりたいところだが、ローションで滑っている環境では二次災害の危険がある。つか正直、こっちから局部丸見えの格好でひっくり返ってる人達に関わり合いになりたくない……。見なかった事にして、お客様の出迎えに行く。更に打撃音が響いた気がするけど、気のせいに違いない。

「オイコラ逃げるな医者ァァァ」

万事屋の旦那の声も気のせいだ。出迎えた人が松平公な事もきっと気のせいだ。戻ってきたら万事屋の旦那と新八くんがソープ嬢の格好してるのもきっと気のせいなんだ。……花子さんにはとても悪いんだけど、今からでも帰っていいかな。これ、とんでもない泥船だ。

「アレ、なんか今日初めて見る娘が多いな。新人さん?」

その声を聞いて喉から窒息したような音が出た。聞き覚えのありすぎる声だ。毎日屯所で聞いている声。見慣れた制服。そして、飽きるほど見た顔。近藤さん土方さん沖田さん、いつもの三人がなぜか松平公にくっついて店内に入ってきていた。なんですかこれ。追い打ちか?

「あ、お前!繋がらねえと思ったら何やってんだ!」

案の定見つかった。鬼の副長に手首を掴まれて震え上がる。助け舟をと思ったけれど、店長は殉職してる。あそこでしゃくってる万事屋の旦那はタダのやぶ蛇で戦力外。しゃくれてる他の面子も同様。ボールギャグかんでるのと、それに絡んでる沖田さんは論外。……自助しかない!

「すみません、患者さんにどうしても人手が足りず、手伝ってほしいと頼まれたものでして、すみません、ここの前に来るまでこの店だって気づいてなかったんです」
「お前なあ……。ちとマズいだろ」
「ですよね。これヤバいですよね」
「ああ、これ着ろ」

土方さんはジャケットを脱いだかと思うと、それをあたしの肩にかぶせた。あれ?この人、格好の事を言っていたのか?ここにいる事じゃなかったの?

「脚はどうしようもないとして、胸がな……」
「いやあ、すげー格好ですね、先生」
「あ、沖田さん」
「総悟、なんか持ってないか、コイツの乳隠せそうなもん」
「ケーキでも押し込みゃいいでしょ。こんな感じで」

どこから取り出したのか、沖田さんは人の谷間にケーキを詰め込んだ。思わず蹴っ飛ばすと、沖田さんはローションの残渣で滑って階段から転落した。先のソープ嬢二名同様の体勢で殉職している。

「沖田さん殉職しちゃいました」
「アイツが悪いから気にすんな。火葬が終わったら名誉副長に任命しておいてやらァ。良かったな総悟、願いが叶うぞ」

土方さんは谷間からケーキを取り出すと、ぺろりと食べてしまった。……?ナチュラルにこの人、谷間に手ェ突っ込みませんでした?ベストにスカーフ突っ込むのとはわけが違うぞ。不衛生だし、ハラスメント的な問題を多く孕んでいるような。

「甘ェな」

胸についていた残りカスまですくい取ってこの一言である。何かが切れた気がする。沖田さんと同じように土方さんも蹴落とす。いくら土方さんでも許される事と許されない事がある。今のがどっちかは言うまでもない。

「良かったですね土方さん。火葬が終わったら名誉局長ですよ」
「今のはトシが悪いな」
「ところで、局長。税金で何しに来たんですか?」
「ああ、それは――」
「おーい、お前らも飲んでくか?」
「いや、そーもいかねェ」

何事もなかったかのように立ち上がった土方さんが一歩一歩確かめるように階段を登っていく。やべ、抹殺に失敗した。報復が怖いぞこれは。案の定すれ違いざまに後で表来いって言われたし。切腹?切腹?でもセクハラしたのはあっちだし、あたしが切腹ならあっちも切腹じゃないと納得できない。立場が違いすぎるからこっちだけ切らされる可能性が大だけど。

「じゃあ、ごゆっくり楽しんでいってくだせェ。俺たちゃしっかり外見張っとくんで――」

頭を下げた沖田さんにつられて、自分も頭を下げる。視界はお客さんの足元だけだけど、足袋を見ただけで分かる。町民のショボいそれとは比べ物にならない高級品だ。少し視線を上向きにすると、高そうな袴。

まさかと音もなく唇を動かす。まさか、まさか。

最大級に膨れ上がった嫌な予感を抱えながら顔を上げる。本当に高貴な人というものは、後ろ姿でも高貴だと分かるものなのだ。自分が見送った背中もまさにそれだった。

「上様」

公にそう呼ぶことが許される存在は、今やこの国にたった一人しかいない。自分が仕えるべき主。この国の表向きの頂点。征夷大将軍、徳川茂茂公だ。なるほど。これは嬢が全滅しても開店するしかないわけだ。

中にいる面子を思い出す。

さっき、自分はこの状況を泥船とたとえた。けれど、それは間違いだったかもしれない。

泥船なんて生ぬるい。更に下級なものだ。

あたしは、泥舟どころか、トイレットペーパーの船に乗ってしまったのかもしれない。
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