「遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございまーす」
「ありがとうございまーす……」
誕生日を迎えるにあたって悲惨な場所とはどこだろうか。まず刑務所や拘置所。臭い飯を食べながら迎える誕生日とはいかなものだろうか。ついで裁判所。検察に追求されているその時に誕生日を迎えるなんて、自分がその立場なら涙がこぼれてきそうだ。そして、今自分が寝かされている部屋、病室。ただただ虚しい。しかもひと月遅れだ。土方さんの誕生日だって過ぎている。
まあ、墓の中で迎えるよりは良かったと思って、全てを受け入れるしかない。一番不安だった左脚も快方に向かっているようだし、うん。
彼女には手が届かなかったし、自分は何者か本格的にわからなくなったし、弟はどうにもならなかった。それでも、すべての結果を背負って生きていくしかないのだ、結局は。今でも彼らの事を思うと、胸がぐっと締め付けられるように痛む。でも、自分は真選組の衛生隊長だ。いつまでも感傷には浸れない。恩を返すにも、前に進むにも、自分にできる事を積み重ねるのみだ。
「すみれ」
たまに呼ばれる下の名前に顔を上げる。少し困り顔の近藤さんと沖田さん、そしていつも通り鋭い眼差しの土方さんがあたしの顔を覗き込んでいた。
「すみません、ぼんやりしていました」
「せっかくプレゼントをやろうって時にこれじゃ困るぜ」
「全くでィ。という事で土方さんがすみれさんを笑わせる一発ギャグを」
「いつぞやのラジオ番組でそれ失敗してませんでしたか」
「忘れてくれ頼むから。つーかそれだいぶ後の話だろ時系列無視するな」
「時系列がしっちゃかめっちゃかのこの作品で何を言いますか」
「お前こそ何言ってんだ」
「土方さんは置いといて、俺からはこれをどうぞ」
大きい箱だ。ちょっとドキドキする。開けてもいいかと目で聞くと、頷かれたので、遠慮なく包装を引っ剥がしていく。
「あ、ヘルメット」
「すみれさんの持ってるのとおそろいにしてみた。脚が治ったらそれでどっか連れてってくれィ」
「桜ノ宮のじゃなくてお前のもんじゃねーか」
「そうですね。予定どおり行けば、来月の半ばには退院できるから、その時にどうかな」
「よし、非番とっとく」
先の事を言うと鬼が笑うというけれど、今くらいいいだろう。そう思っていたら、鬼から鋭い声が飛ぶ。
「おい、お前自分が『いつ免許をとって』その上で『二人乗りの条件がいつからか』知ってて言ってんだろうな」
「道交法違反は許しませんよ!」
「アララ、こいつぁだいぶ先になりそうだ」
そうだった。二人乗り解禁は3ヶ月以上先の話だ。残念だけどそれまでは沖田さんとタンデムはお預けだ。二輪車の二人乗りは運転者が自分と相方二人の命を背負う重大な行為だ。万が一の事があれば、近藤さんや土方さん、それに彼のお姉さんにも申し訳が立たない。
「ありがとうございます。私が二人乗りできるようになったらその時は、必ず」
沖田さんはひらりと手を振って病室を出ていってしまった。
「あ、総悟ってば、照れちゃったかな。俺からは誕生日ケーキ。美味しいって評判のところを教えてもらったんだ」
「お妙さんに?」
「そうそう」
なるほど。話の出汁になったんだな、あたしは。それで近藤さんが楽しかったのなら、いいけれど。しかし、少しでも脈があるのなら、他の女の人の話嫌がるんじゃないかな。殴られたにせよそうでないにせよ、あまりいい話題ではなかったのでは、と思わなくもない。
「アンタはな……」
土方さんも同じ事を思っているのか、なんともいい難い顔つきになっている。
でも近藤さんのいいところは、そういうところでもあると思っている。要は優しいのだ。
「なにはともあれ、ありがとうございます。お忙しいでしょうにわざわざすみません」
「いいのいいの!ここだけの話だけど、本当は屯所で盛大にお祝いする予定だったから、せめて、このくらいはね」
「期待を裏切って申し訳ないです……」
「墓前に供える事にならなかっただけ良かったぜ。これに懲りたら次はもう少し穏当な方法でやるこったな」
埋まった人間を探すのがすごく大変だったと聞いているから、もう反論の余地がない。それはそれとして、自死以外の方法がなかったら、あたしは何度でもその方法を取るつもりなので、曖昧に頷いた。お人好しの近藤さんはさておき、3年も長い間面倒を見てもらっている土方さんにはその辺はまるっとお見通しなのか、それはもう恐ろしい目で睨まれた。目を逸らす。病室の大きな窓の外。四角い枠から見えるのは庭の大きな桜の木。花は完全に散って、青々とした葉が茂っている。
「……まあいい。次だ」
「それと、屯所の連中からは共同でこれ」
「これは……!」
幻の銘酒とされるバッカス星の最高級品……よりは数段落ちるけれど、それでも非常勤の日給の半分くらいは軽く吹っ飛ぶお酒だ。ボトルキープしている人と意気投合して一緒に飲んだ事があるけど、このお酒もえらく美味しかった。
「これ、高かったんじゃないですか?」
「厚意だ。受け取っておけ。……もっとも、入院中は俺が責任を持って預かるが」
「それはいいですけど、下戸の土方さんには絶対飲ませませんからね」
「てめえこそ未だに酒の飲み方分かってねーくせに贅沢な酒飲んでんじゃねーよ!」
「二人ともまあまあ」
睨み合って唸っていると、割って入った近藤さんに引き剥がされた。まあ、こんな時くらいは大人しくしておくべきか。
「皆さんに、お礼を伝えてもらえると嬉しいです」
「もちろん!」
「治ったら皆で飲みましょう」
「やめとけ。全員で割ったら一杯も飲めねェぞ」
「でもせっかくもらったのだし」
「俺達に気を遣わなくてもいいんだよ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
手元から離れた箱を名残惜しく眺めながら次を待つ。
「ホラ、次はトシだろ!」
「……俺からはこれやるよ」
薄い直方体の何かが包まれている。なんだろうと思いながら開いていくと、紙のカバーに覆われた角の取れたアルマイトの箱が出てきた。蓋には、喫煙具に興味がない人間でも知っているジッポーの刻印。
蓋を持ち上げると、そこには確かにジッポーライターがある。けれど、現行のものよりも角が尖っているし、何よりヒンジが外側についている。
これ、初期のモデルで、だいぶ前に発売されたレプリカも予約が殺到してあっという間に売り切れたやつじゃ。一目惚れして予約するためにPCの前で待機していたら、呼び出しを食らって泣く泣く諦めた記憶がある。
「あれ、これって」
「たまたまだ、たまたま。お前も成人だから、それらしいものをと思ったら目についた。そんだけだ」
「嬉しいです。ありがとうございます」
まさか中古や転売品を手に入れる人じゃないだろうし、もしかして、前々から予約していてくれたんだろうか。嬉しい。
「大事に使いますね。末代まで伝えます」
「いや、そこまでしなくていいけど」
「伝える相手いないんですけどね」
「できるさ。そのうち」
できるだろうか。結局自分の身しか守れない未熟者が、家を持って誰かにこれをあげる日が来たりするんだろうか。隊士になる少し前に土方さんは、あたしに足りないのはごくありふれた幸せだと説いていた。ごくありふれた幸せ、結婚、家族。どれも遠い。
結婚、結婚。ふと、弟の言葉が過る。
――江戸時代ならもう結婚してる歳じゃないか。
開国した今は晩婚化が進んでいるけれど、昔は自分の歳で子供がいる事なんて珍しくなかったのだ。自分が子供を連れている姿を思い浮かべようとしたけれど、失敗した。あまりにもぼやぼやしすぎていて、何が何だか分からない。
この際と土方さんの顔を並べてみる。意外と父親いけそうな気もする。なんかあたしへの態度も父親じみて……いかんいかんやめとこ。
正直他に当てがあるわけでもないしな。こんな性格だし、忙しいし、貰い手がいるとは思えない。背負うべき家も支えるべき家族ももうない。だから、別に独身でもいいかなと思ったりもする。けれど、自分の手が噴き出した血とは別の暖かさを求めているのも確かなのだ。弟は、それを見透かしてあんな事を言ったのかもしれない。
言うだけ、言ってみるかな。
「もし私が30まで貰い手がなくて、土方さんも独身なら、土方さんの苗字くれませんか」
「お前が30なら俺は37じゃねーか、四十路手前のおっさんだぞいいのか」
「いいのかは私が聞きたいです」
土方さんはひとつ唸って考え始めた。視線を巡らせると、いつの間にか近藤さんが居なくなっている。忙しい時に変な話をしてしまったかもしれない。
「性格にゃ難がある上に、なんかやたら変な虫がつくし、忙しい仕事。おまけに血生臭ェ」
「股から血ィ垂れ流してるんだから、血生臭いのは当たり前じゃないですか」
「そういうところだ桜ノ宮。……だがまあ、俺にゃそれくらいが丁度いいのかもしれねェな」
「よかった。実は、弟にいい人は居ないのかみたいな事を言われまして」
「そりゃ気にもするか……。分かった。お前が三十路手前になって貰い手がなかったら、そん時ゃ考えてやるよ。ただ、俺でいいのか。その、総悟とかいんだろ」
なんでここで沖田さんの名前が出てくるんだろう?土方さんの意図が読めなくて、混乱する。文脈的には沖田さんと結婚の約束をするというように取れますが。え?あの人?ナイナイ。
「沖田さん?なんで?」
「お前ら仲いいだろ」
「まあ多少は」
「だから、お前はてっきり総悟の事を好いてるもんだと思った」
「まさか。弟みたいな人間と付き合う年上女とか、客観視したらキッツいです」
土方さんはなぜかそこで大きく息をついた。まるでホッとしたかのような息の仕方だ。うん?これは一体どういう事だろうか。なんでそこでホッとした?男心は複雑奇々怪々なり。しきりに首をひねっていると、仕草が目についたのか若干めんどくさそうな声音で「気にすんな」と言われてしまった。
「せいぜい30までは死んでくれるなよ。俺ァ冥婚は御免だぜ」
「いや、そこまでして土方さんと結婚したいとは思いませんし」
「役職付きの公務員予約しておいてその言い草は何だテメー」
「それ言っちゃ、女医つかまえておいて何事ですか、収入と安定度合いじゃ負けませんよ、って話です。第一、死にやすいのは土方さんも変わらないでしょう」
「違いねェ」
土方さんはふっと笑った。珍しく穏やかな、屈託のない笑顔。この人も年頃の青年だったのだと思い出させられるレアな表情に目をパシパシさせていると、すぐさま元の仏頂面に戻ってしまった。アレはアレでよかったのに。
「俺と結婚したいなら、利きマヨネーズができるようになっておけ」
背中を向けて、片手を上げて去っていく姿はいつも通り。でも声音は穏やかだ。
……マヨネーズってマヨリーンの以外にあるの?
*
翌日の昼。
できるようになっておけと無茶振りされた利きマヨネーズは永遠に出来る気がしないので、その代わり別の事をする。
岩尾先生に持ってきてもらったファイルから目当てのものを引っ張り出して、トレーシングペーパーに写し取り、チャコペーパーで白く細長い布地に転写していく。
薄い黄色でチクチクと土方さんの名前の縫い取りをする。いつぞやの誕生日にあげたスカーフは縫い取りがボロボロになってしまっていたから、新しく作る事にしたのだ。あげた時はあそこまで使ってくれると思わなかったので、嬉しい誤算だ。
本当は別のものをあげるつもりでいたのだけど、残念な事に当面外に出られそうもないし、土方さんの誕生日はもう1週間以上前だ。
誰かに頼もうにも、近藤さんはあの人態度に出るから機密保持の観点から無理。山崎さんは土方さんに問い詰められたらあっさりゲロるから無理。土方さん絡みの案件で沖田さんにお使いを頼むのは賭けに等しい。原田隊長はあれでいて忙しいし、斉藤隊長は自分の買い物にさえ難儀する人だ。
不意に、白髪天パのニヤけ面が浮かんだけれど、論外オブ論外。彼に土方さんのための買い物してほしいなんて頼もう日には、永遠に揶揄われ続けるに違いない。今更プライドがどうとか言うつもりはないけれど、誰だって揶揄われるのは不愉快だ。
おかしいな。交友関係が広がったのに、選択肢がない。これは一体どういう事なんだろうか。あれか。類は友を呼ぶってか。
「すみれさん、またそれ作ってんのかィ」
「前あげたのがボロボロになっていたから」
「ふーん」
少し面白くなさそうな声音だ。そっぽを向いてしまっているし、ちょっと不機嫌になってしまったのは間違いないだろう。
「沖田さんの図案も考えましょうか?」
「スカーフは土方とペアみたいで嫌だ」
「うーん、沖田さんハンカチ持ってましたっけ」
「俺ァ便所から出た後、手ェ洗わないんで」
思わず半目で睨んでしまう。沖田さんからそっと体を離す。勿論土方さんへのプレゼントも。とくにカテーテルが刺さってる左腕をガードした。
「沖田さん不潔です」
「なんでィ普通だろ」
「知ってますか。立ちションした後って、手に尿の飛沫が付いてるんですよ。その手でご飯食べるんですか沖田さん」
「……昼戻しそうなんだけど、トイレどこ」
「あっち」と指をさすと、彼は脱兎のように病室から姿を消した。この分だと、食事前にトイレに立ったな。……ところで、土方さんって、トイレした後手を洗うんだろうか。あの人は何を触った手で平然と煙草を持つようには見えないし、なんならハンカチ常備の人だし手は洗う人なんだろうな、多分。
つーか、土方さんはいいとして、他の隊士はみんな手を洗うのかな。屯所の厠のあの汚れ具合を見るに、確実に手を洗ってないと思うんだけども。そこまで考えて、口元を押さえた。……これ、今度啓発が必要かもしれない。屯所の衛生状態を改善するのも衛生隊長の仕事だ。
といっても隊士を集められるタイミングは限られているから、啓発するテーマは月に一つだ。入院中の4月と5月は代わりに岩尾先生がやっちゃったから無理。6月は食中毒予防、7月は熱中症対策と予防、8月は水難事故が多いから救命法について。あれ、9月以降にしかねじ込む隙間がない。
「全部戻しちまった」
「口はゆすぎましたか」
「当たり前だろ。手も洗ってきた」
「手を洗うのは人間として当たり前ですからね」
この人、斬った後も血や脂がついた手でご飯食べてるんじゃないだろうな。自分が確認できる範囲ではそんな人居なかったはずだけど。基本放任決め込む岩尾先生でも流石にそのくらいは指導するだろうし。
「斬った後手を洗ってますか」
「当たり前だろィ」
「よかった」
何の病気を持ってるかわからない血液を口元に運ぶ迂闊な真似は流石にしていないみたいで安心した。
「じゃあ、いくつか白いハンカチ買って、隅っこに縫い取りやってみます」
「へいへい」
「せっかくあげるんだから、ちゃんと使ってくださいね」
「へいへい」
……これ、聞いてもらえないやつだな。あたしはよく知ってるんだ。
まあ、沖田さんがこうなのは今に始まった話じゃない。ため息をついて作業に取り掛かった。
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